DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

萩原麻里『暗く、深い、夜の泉』B、同『月明のクロースター』B

【最近読んだ本】

萩原麻里『暗く、深い、夜の泉』(一迅社文庫、2008年)B

 閉鎖的な全寮制の高校が舞台。そこに転入した一人の少女を主人公に、最初はなんとなく赤川次郎のような雰囲気の謎めいた学園ミステリとして始まるが、学校の怪談、謎の生徒会長、生徒の自殺、超能力、前世の記憶、予知夢、ゾンビ、幼児虐待、七三一部隊、ネオナチといった伝奇小説の要素てんこ盛りの展開の果て、超能力者の一族とそれに対抗するスパイ組織の対決の歴史が浮かび上がる。300ページたらずの作品でここまで話が拡大するとは正直思ってもみなかったが、なかなか読ませる。ただ読む年齢的には学生の内でないとやや厳しいかもしれない。謎の転校生が実は高校生スパイだったという設定を30過ぎて読まされてもね。

 最初に学校の校則がでてきて、その中に学校に伝わる怪談について調べてはいけないという一条があるというのが、ツカミとして提示される謎なのだが、これが「自分が既に死者であることに気づいてしまう]」からというのは秀逸で、これ一つで短編ができそうである。これだけでなく細かいアイデアの宝庫で退屈はしないものの、話としてはバッドエンドであまり読後感はよくない。ちょっと百合っぽい雰囲気を見せながらもあまりそういう方面には立ち入らずに終わった感がある。

 もともとは2004年に講談社X文庫ホワイトハードでシリーズ2巻まで出たがそこでストップ、どういう経緯でか一迅社文庫で再刊したがこちらは1巻でストップ。2巻は読んでないが、怪談というのが八犬伝的なモチーフを持っているので、おそらくもっと続きの予定はあったのだろう。このままいくと政治小説ラノベになっていたかもしれずちょっと気になるが……

 

萩原麻里『月明のクロースター』(一迅社文庫、2008年)

 こちらは一迅社文庫での新作で、やはり閉鎖的な全寮制の学校が舞台。幼馴染みの少女が心に傷を負った事件の真相を探る主人公(男)が、旧校舎で真夜中に開かれる謎の集会の存在を知る。ピエロや獣の仮面をつけて興奮者(インフィアンマティ)や情熱者(アルデンティ)といったコードネームで呼び合い、校内で起こっている事件について話し合う神秘主義の儀式的な集会ということで、アニメの『STAR DRIVER 輝きのタクト』(2010年)を思い出してしまう。これはビジュアルで見たいなーと思いつつ(挿絵にも集会の様子は出てこない)、面倒なのでビジュアル描写を適当に流してたら、そこも物語の一つの要素になってて参った。

 高校3年とは思えない幼い感じの幼馴染が妹のように主人公を慕っている、というのは妙に美少女ゲームっぽいし、集会や校舎裏といった場面がまず設定され、その中でのキャラクターの会話から少しずつ事件の真相が見えてくるという進み方は、ノベルゲームを進めているような感覚になってしまう。これは偶然そうなったのか、レーベルを意識してのことなのか。そんな中で幼馴染が主人公の男子寮の部屋に忍び込んでくるのだが、ラッキースケベ的な「不可抗力」イベントもなく帰らせたのがかえって新鮮だった。

 『暗く、深い、夜の泉』は校内の事件と見えたものが社会の裏で繰り広げられる組織の闘争へと拡大する話だったが、こちらは校内全体を巻き込む陰謀が主人公と幼馴染の関係性に収束していく。まあ前作よりは順当なラストと思った。やはり裏生徒会みたいな組織に納得するのはある程度年齢の制約があるだろうが。

 全編に仮面のモチーフが散りばめられている他、色々なネタが見られるのは同じだが、主人公が「学生でなく教育実習生」というのは全く思いつかなかったので、ラストでやられたと思った。確かに年齢を考えると不自然さはなくもなかったのだが。

池波正太郎『幕末新選組』B、山岡荘八『小説太平洋戦争1』C

【最近読んだ本】

池波正太郎『幕末新選組』(文春文庫、1979年、単行本1964年)B

 永倉新八が主人公の新選組小説。なぜ永倉なのかについては、解説の駒井晧二は、根っからの江戸っ子である永倉の生きざまを池波が気に入ったからであろうと推測している。江戸っ子であるというのは、物語から読み取れるところでは、明るい性格で義理堅く、正義感が強く、恋愛には情熱的で、両親には(行動はともかく)孝行心をもち、過ぎたことはこだわらず、きれいさっぱり忘れる――という風に書いていってみると、単に物語に都合の良いキャラ設定のような気もする。

 短めの作品だし、政局にかかわらず己を通すのが新八の生き方であるから、あまり大局的な話は出てこない。キャラクター的な観点から見れば、原田左之助との絡みが多いのはよく見る話だが、藤堂平助が嫌味っぽい色男として描かれ、二度にわたって新八の恋敵となり、池田屋事件で新八が彼を助けたことで無二の親友となる、というのはちょっと珍しいかもしれない。この作品では藤堂は油小路ではなんとか逃げようとして失敗して殺されてしまう。

 近藤勇は、土方に従属する存在ではなく、あくまで「親分」として人間的魅力で新選組を引っ張っているように見える。この作品の連載は『燃えよ剣』(1962年11月~1964年3月)と同時期の1963年1月~1964年3月であり、おそらく司馬により確立されたのであろう「新選組の真の立役者」としての土方歳三というキャラクターと無縁に書かれたとみてよいのではないか。

 池波正太郎をほとんど読んでいないので知らなかったのだが、鬼平(1968~1990)、剣客商売(1973~1992)、藤枝梅安(1973~1990)と、代表作は1923年生まれの池波の中では遅めであり、その中で『幕末新選組』は比較的初期にあたる。そのあたり、作風の変化とあわせて読むと面白いのかもしれないが、単体としてはそれほど読む価値があるとは思えない。

 

 

山岡荘八『小説太平洋戦争1』(山岡荘八歴史文庫、1986年、執筆1962年~1971年)C

 一冊で太平洋戦争の流れを見渡せる本を、と思ってのぞいてみたが、これはハズレだった。序文に

日支事変を泥沼へ追い込んでいるものは、決して近衛や東条でもなければ蒋介石でもないようだった。両者が握手しそうになると、列強の間から援蒋の手が動いたり、原因不明の不思議な事件が突発したりして戦線は思わぬ方向へ拡大する。前者の主役はアメリカとイギリスであり、後者には世界赤化をめざすコミンテルンの手が動いている、ということだけは気づきだしていた(p.5)

 という時点で嫌な予感がしたが、読んでみると松岡洋右が日独伊三国同盟を成立させ凱旋した1941年に始まるのだが、そこから先は日本政府は誰一人として戦争を望んでいないのに、諸大国の思惑(特に是が非でも第二次大戦に参戦したいアメリカ)の策略で開戦に追い込まれていくという被害者的な史観である。

 だからといって山岡荘八が責められるものではないだろう。従軍記者として戦場を目の当たりにし、多くの仲間を失った山岡がそのような過剰な合理化を行うのは仕方のない面もあるだろう。しかし、それをいまだに無批判で刊行し続けているというのはだいぶ問題があるのではないか。せめて最終巻では解説でフォローされているのだろうか。

 1巻の時点ではほぼ松岡洋右近衛文麿東条英機が中心で、人が多いわりに群像劇というには不足。松岡が純情に近衛に惚れ込んでいるというのがかろうじて新鮮だった。対して近衛は誰にもよい顔をするが誰も信じていないニヒリスト。この性格設定は昔からそうなのか。

遠藤周作『何でもない話』B、眉村卓『遙かに照らせ』B

【最近読んだ本】

遠藤周作『何でもない話』(講談社文庫、1985年)B

 内容はタイトル通り――つまり、取るに足らない事件や事件未満の出来事をきっかけに、自らの人生をふと振り返ったり、見方を変えることになったような人々の物語集ということになるのだろうが、しかし本当にそうだろうか。

 たとえば表題作の「何でもない話」は、主人公がやり手のテレビディレクターで、浮気相手のためにこっそりアパートを借りて世話してやっている。そんな彼がふとしたことで、その近所にかつて母親を殺しながら不起訴になった恐ろしい男が住んでいることを知る。元凶悪犯が、いまはその様子もなく平穏な暮らしを営んでいるのを見て、警察に捕まるような罪は犯していないものの、浮気して堕胎手術に付き添ってきたばかりの自分の人生に思いを馳せ、物語は何も起こらずに終わるのだが……

 しかし読み終わってから改めて見直すと、主人公のやっていることは「何でもない」ものではなくて、当時の価値観でも酷い、いずれ破滅を予感させるはずのものである。それが「何でもない話」という印象で終わるというのは、遠藤のストーリーテリングによるものだろう。物語にできるのはある程度特殊な状況であり、それをいかに「普通」に見せられるかが重要となる。他の作品にしても、社会を揺るがすようなものではなくともそれなりに本人の人生には大きな事件を一見「何でもない話」として描いていて、読み返してみて巧さに唸らされる。

 

眉村卓『遙かに照らせ』(徳間文庫、1984年、単行本1981年)B

 ファンタジー的な世界観の中で、自分たちの生きる世界にふとした疑問を持ったものたちの物語集――ただ、疑問が芽生えたところで終わってしまうので、その後どうなるかは読者の想像にゆだねられる。それが抑制が効いていると思うこともあるし、不足を感じる時もある。

 ただ、この作品集は多くが全くの架空の世界の話で、どうも世界観を読み取るのが面倒であった。

 狩に出たトライチの集団は、うまい具合にヤカの大群を発見した。

 ヤカは、ふたつの群に分れて、草を食べている。

 だから、先任リーダーのカサラ30は、みんなを並ばせて二列にし、いった。

  といった調子で、明示的ではなく、さりげなくあちこちで背景を説明しながら進んでいくのだが……架空の用語や単位ばかりの中から必要な情報を抜き出して世界観を構築していくという作業は、やはり精神的に余裕がないとつらいところがある。

 しかし今読むと、読者の読む力を養い、日常に疑問を持てというメッセージを与える、教育的な作品である。自由な発想で書いているように見えて、かなり目的意識を持って構築していることがうかがわれる。

マイケル・バー=ゾウハー『ファントム謀略ルート』B、宵町めめ『龍宮町は海の底』B

【最近読んだ本】

マイケル・バー=ゾウハー『ファントム謀略ルート』(広瀬順弘訳、ハヤカワ文庫、1982年、原著1980年) B

 1980年の国際情勢を背景に繰り広げられる大仕掛けなサスペンス小説で、二つの物語が並行して進行する。ひとつはアメリカ大統領候補として強気な石油戦略を打ち出して注目を浴びるジェームズ・ジェファーソンの、選挙運動と彼が対決するOPECとの熾烈な駆け引き。もうひとつはノンフィクション作家クリント・クレイグが追う、ナチス崩壊の時にゲーリングが秘匿したという美術品の行方の物語。その謎に、第二次大戦時代に将校だったジェファーソンがかかわっていたらしいとわかったことで、二つの物語は絡みあって進んでいく。真相を探るクレイグとジェファーソンの娘・ジリアンは何者かによる妨害工作をくぐり抜け、戦時と現代を結ぶ真実へと行き当たることになる――

 ワシントン、パリ、ベルリン、ジュネーブ、メキシコのグアナハトなど世界各地を舞台にサスペンスあり、謎解きありで最後まで面白いが、35年前の事件の調査の進みが順調すぎるところに違和感があった。まあ460ページで話を収束させるためには仕方ないのかなと思って読んでいたら、実はそれも伏線のひとつですべてはジェファーソンを失墜させるためのOPECのお膳立てしたお芝居だったというのが真相で、わかりやすいけど個人的にはあまり感心しなかった。

 むしろキャラクターの魅力で読ませるようなところがある。なかなか仕事をしようとせず、どうせダメだろうと思いながら35年前の事件を調査し始めて、脈ありとみるや俄然やる気を出すクレイグはまあともかく、彼と敵対するジェファーソン――35年前の自分の過去と、父に疑念を抱く娘への愛情、スキャンダルにより崩壊しそうな選挙の行方に苦悩する彼に心情的に肩入れしながら読んでしまう。クライマックスで彼が大統領になることにこだわった理由がこの事件の真相を大統領権限で探るためだったと明かされたときこそが、ジェファーソンという人間のみならずこの物語を完成させる瞬間として秀逸だったと思う。そのほか、死後ミイラになって先祖とともに並んで安置されている男や、善良そのものという顔で出てきながら裏でナチスの秘匿した財宝を隠し持って生きていた男など、個々のエピソードはなかなか良い。クリント・クレイグの存在は、彼ら怪人たちを次々に見せるための狂言回しのような趣もある。

 変人のオンパレードのような作品でありながら、財宝の隠匿にかかわったとされるオットー・ブランドルとミシェル・スコルニコフはあとがきによると実在の人物らしい。あまり詳しくないのでどの程度「もっともらしい」のかはよくわからないが、そのあたり勉強してからいつか読み直してみたい作品である。

 謀略をめぐらすOPEC首脳が戯画的な悪の組織のように描かれるのが、イスラエルの作家であることを考えるとちょっと面白かった。

 

 

宵町めめ『龍宮町は海の底』全2巻(ガムコミックスプラス、2016年~2017年)B

 舞台は海底に広がる巨大な都市・わだつみ市。何の疑問も持たず平和に暮らす人々の中で、ある中学生の少女が外の世界への憧れを抱くようになる。外部からの侵入者に出会ったことで、彼女たちはいつしかその都市の成り立ちにかかわる秘密に迫っていくことになる――

 意外に込み入ってて難しい作品。ディストピアSFとしての構図は終盤で明かされるが、それまでの断片的に出てくる情報が曲者で、物語では普通「真実」を示すはずのフラッシュバックや回想のシーンが、実は少女たちが記憶操作を受けていたことによるフェイクであり、最後にそれが全部ひっくり返される。信用できるはずの描写が信用できないというのが、定石を外していてマンガのテクニックとして面白い。

 「信頼できない語り手」に似た視点からの物語なのでわかりにくいけど、真相をまとめると、地上は伝染病の蔓延により生活できなくなり、非感染者は海底の都市で生きることを余儀なくされている。政府はウィルスへの抗体を生まれつき持つ子どもたちを育て、地上での生活に適応した新人類(というよりは奴隷)として送り込むべく、少女たちを徹底管理のもと育てていた――ということになるのだろうが、都市の他の部分がどうなっているのかよくわからないため、いまいち少女たちの都市における位置づけがわからないところがある。

 ウェブ掲載時はカラーページがあったというが、単行本ではなくなってるのが減点。演出上非常に重要なのだが、kindle版では再現されているのだろうか。あとわだつみ市は海底というよりは海の中を生きるようなイメージなのだと思うが、表紙の印象に比してちょっと画面が暗く見える。

 少女二人の絆が物語の主軸なのだが、中学3年にしてもちょっと子どもっぽいのであまり百合という印象ではない。これは記憶操作を受けているせいという意図的なものなのかはよくわからない。ただ、2巻という短い巻数ながら、最初は活発な友人に引っ張られるままだった内気な女の子が、少しずつ関係性が変化し、友人が傷つき倒れた時に彼女に代わって反逆を起こす勇気を得る、という成長物語はとてもうまいと思った。

ウォーレン・マーフィ『地獄の天井』A、千葉貢『相逢の文学』C

【最近読んだ本】

ウォーレン・マーフィ『地獄の天井』(平井イサク訳、サンケイ文庫、1986年、原著1984年)A

 ベルリン、ワシントン、カリフォルニアを結んで繰り広げられる「現代史伝奇スリラー」。翻訳小説で伝奇とつくのは珍しい。

 時は1984年、主人公はアメリカ大統領のシークレット・サービスを務めていたロバート・フックス。彼はテロリストに狙われた大統領を守って重傷を負い、その場に居合わせた妻も巻き込まれて昏睡状態となる。引退してボディーガードを開業したフックスに舞い込んだ依頼は、ドイツからアメリカにくるネオナチ研究家のコール教授の護衛だった。初仕事に勇躍するフックスだったが、ワシントンのホテルに着くや教授はあっさり殺されてしまう。ベルリンに住むコールの家族にその報告に行った彼は、なにも得るものもなく帰国し、次の仕事にとりかかろうとするが、その時には既に彼を巻き込んだ巨大な陰謀が進行していた――

 最初は堅実な捜査活動が主で、280ページくらいまではゆっくりしているのだが、そこから話が急ピッチで動き出す。序盤に出てくる、「コールが戦時中に会った、名前しかわからない女性の行方」の謎が40年以上経った現在にどうかかわってくるのか不安だったが、最後の方で多少強引に真相が明かされる。まあネオナチ研究家が出てきている時点でヒトラー=ナチスの復活がテーマというのは何となく勘付くけれど、なかなかそこに結び付かないので見込み外れかと不安になった。エヴァ・ブラウンが別人に成りすましてアメリカに亡命し、ヒトラーの遺児を産み、彼は成長して闇の組織を背景にアメリカ大統領になろうとしている――という真相は、スティーヴン・キングの『デッド・ゾーン』(小説1979年、映画1983年)のような、狂気の大統領によって再び戦争がはじまるという恐怖と時期的にも同質のものとみえる。

 終盤の急展開までを保たせるのが、堅実に捜査をすすめる主人公のキャラクターであると思う。テロに巻き込まれて身体と心に傷を負い、妻も目を覚まさない状況でも前向きに仕事に取り組む姿はなかなかカッコいい。元シークレットサービスとしてそれなりに度胸もある。

 ただ問題は主人公が浮気者すぎるところで、妻の妹、コールの娘など、主要女性人物のほとんどに欲情している。終盤で妻の妹と結ばれるので、これは最後の最後になって妻が意識を取り戻す皮肉なオチかと思ったら、その直後に妻が意識が戻らないまま死亡ということになって、ちょっとどうかとは思った。

 ラストはこれから本当の戦いが始まることを予感させる、絶望的とも希望を持たせるともいえるもの。中盤までの堅実な描写、その後のアクション満載の急展開、ハードなラストと、テーマ的にも同時代であればそれなりに切実さもあったであろう、質の高いサスペンスを味わえる。シェイマス賞受賞作というのもその辺を評価されてのことだろう。

 

千葉貢『相逢の文学』(コールサック社、2016年)C

 副題に「長塚節宮澤賢治・白鳥省吾・淺野晃・佐藤正子」とあるので、淺野晃について論じているのは珍しいと思って読んだが、期待外れだった。淺野晃については、恩師である彼の『現代を生きる』の復刊に尽力したときの苦労を書いた後は、それに触発されたと称して文明とは何かとか現代を生きるとは何かとかいった問題を色々と考えるだけで、淺野晃について何か新しい知見が得られるわけではない。他も似たりよったりである。作品を引用してここが良いとか、ここは古典の述べるこの思想を体現しているとか、中国・日本の古典から現代思想まで参照していて幅広いのはわかるが、全体に当たり障りなく無難に過ぎる。大学教授とのことなので著者のファンならば楽しめるのかもしれない。あとがきによると解説を書いている鈴木比佐雄はコールサック社代表で著者とは友人らしくその関係で出たものか。

 まあ、副題に宮澤賢治が出ていることと、「相逢」が禅語であると帯にある時点である程度察するべきだたかもしれない。宮澤賢治を仏教思想で読み解くなんて話はたいてい鬼門でしかないのだ。

J・T・ブラナン『絶滅』A、新美健『明治剣狼伝』B

【最近読んだ本】

J・T・ブラナン『絶滅(上・下)』(棚橋志行訳、二見文庫、2016年、原著2014年)A

 考古学者が謎の構造物を地底に発見するプロローグに始まり、突然動きだす巨大な像、次々に人類に牙をむく鳥や犬たち、大津波大寒波など異常気象による大災害と、畳みかけるように世界中で異常な現象が続発する。世界規模の大混乱の果て、やがて物語は政府の陰謀、偶然にその真相を知ることになった人々、さらにその裏で暗躍する謎のカルト教団「惑星刷新教」の、三つ巴の戦いに収束していく。

 日本の作家で言えば松岡圭祐に近いだろうか。映像的な文章による高いリーダビリティ、壮大なスケールのハッタリ、次々に繰り出される派手なアクション、現れては消えていく脇役たち……鍵を握る秘密兵器は実のところ大したものではないのだが、偶然真相を知った一般人たちとそれを追う米軍の追いかけっこがなかなか良い。雪の森林をスキーで逃げ、遊園地をスナイパーから逃げ、市街地を戦車から逃げ、高層ビルの中を特殊部隊から逃げ、縦横無尽にあらゆるアクションを読ませてくれる。追手がどいつもこいつも人間的に未熟で、暴力衝動を満たすために軍に入ったような奴らが多いので、彼らが翻弄される様を見るのはなかなか痛快である。たった一作でここまでアクションをやってしまうと、他の作品でできることがなくなるのではないかと心配になる。

 これにストーリーの大半を奪われ、いまいち世界の危機的状況が実感しにくいきらいはあるが、まあそれはアクションを描くためのお膳立てに過ぎないだろう。鍵を握る秘密兵器「スペクトル9」は、自然界に存在する「第9のスペクトル」なる音波を発生させ、これを世界にまき散らすことで異常気象を起こしたり、原子構造を組み替えて巨大な像を動かしたりする――というやたら大雑把な兵器で、あまり真面目に考えているとは思われない。あと主人公も含め(途中で交代する)登場人物が結構あっさり報われもせず死んでいくので、食傷気味になるかもしれないが、とにかくスイスイ読めるし、読んでいる間はそれほど気にならない。

 どんなドタバタも終わらせなければならない以上、最後は普通に終わるのだろうと思って読んでいたら、ラスト30ページで真相が二転三転して、予想外のところで「あの伏線」が回収され、やられた!と思った。上下巻の大長編に対して変な言い方だが、よくできたショートショートを読んだ気分。

 時間のある向きにはおすすめしてみたい一作である。

 

 

新美健『明治剣狼伝』(ハルキ文庫、2015年)B

 本作で第7回角川春樹小説賞特別賞を受賞してデビューした新美健――その正体はアリスソフトの『戦国ランス』などエロゲーのノベライズで有名な沖田和彦・三田村半月である。……その他、細谷正充の解説に経歴がかなり詳しく書いてあるけど良いのだろうか。

 主人公は村田銃を開発した村田経芳。時は明治10年の8月頃、西南戦争が西郷軍の敗北で終わるのが決定的になっている中、村田に西郷救出の密命が下る。純粋に親友を助けたい大久保利通、西郷を助けようとしたという態度だけでも示しておきたい山県有朋、ジャーナリストとして英雄の死を劇的に演出したい福地桜痴など、曲者たちの思惑の中で旅立った村田は、集められた西郷救出隊と合流するが、早くもリーダーが殺されたり、道中で何者かに襲撃を受けたりと混迷の様相を呈し始める。果たして彼らは鹿児島にたどり着くことができるのか――

 正直言って物足りない。大阪から紀州街道を下り、山中宿で仲間と合流したあと、和歌浦から外海を渡航して九州へ、という旅が話のほとんどを占めてしまい、鹿児島潜入後の話は約320ページ中、100ページないくらいのものである。

 それは話の性格上仕方ないとはいえる。これは、明治という時代を受け入れられない男たちの物語なのである。主人公の村田とともに救出隊に加わるのは、元新選組斎藤一の他、新徴組や庄内藩、長岡藩の生き残りという、言ってみれば歴史の敗者というべき者たちである。彼らがそれぞれに独自の目的をもち、一方で仲間としての絆も深めていき、それがぶつかり合うことで悲劇が起こる――そういうドラマがおそらく主眼にあり、西郷本人は既に死を悟ったもののごとく、聖人のように描かれる(最終章タイトルが「西郷は巫女なり」というのもすごい)。どうもこの作品にも、昔からの西郷英雄観が支配的にすぎる気がするのが難点である。それならなぜあんな無様な負け方をしたのか、本作ではほぼ桐野利秋たちのせいになっているが、それは不公平というものだろう。救出隊の旅を描いたドラマは結構面白かっただけに残念である。

 ディティールとしては、村田経芳が出てくるだけあって銃の描写は詳しい。のちの有坂銃の開発者・有坂成章も出てくる。幸い『ゴールデンカムイ』のおかげでピンとくるものがあった(村田銃が出てくるし、有坂をモデルとしたキャラもいる)が、それがなかったらよくわからなかったかもしれない。

 こういう変わった視点を北方謙三が評価したというのは肯けるところであるが――個人的にはもっとドラマティックに、甲斐弦『明治十年』なみの大長編で読んでみたかった。彼らが出航した和歌浦の港は神武東征の上陸地であると示唆されたり、どうも日本神話の象徴があちこちに仕掛けられているらしいのだが、あまりそこまで深く調べるような気にはなれなかった。 

カール・A・ポージイ『嵐の演習空域』A、三好徹『風は故郷に向う』B

【最近読んだ本】

カール・A・ポージイ『嵐の演習空域』(山本光伸訳、ハヤカワ文庫、1991年、原著1984年)A

 翻訳者の山本光伸が、訳者あとがきの4ページ中2.5ページを「訳者あとがき」を書くことへの愚痴に費やし、残りで「読んでみたら面白かった」とちょっと褒め、あとは著者略歴を載せて終わり、ということで、読む前は不安だったのだが――読んでみるとなかなかどうして面白かった。

 テーマはハリケーンのコントロール実験という、割と珍しい冒険小説である。内山安二の科学まんが(コロ助の科学質問箱だったか)を昔読んだのを思い出す人も多いのではないか。あれは台風にドライアイスを大量に投下したら向きを変えて規模も大きくなり大被害になったという話で、それが1947年のこと。作中の説明ではその22年後の1969年にハリケーン・デビーにヨウ化銀投下実験を行い、台風が弱まったことを確認したらしい。本作はその後何年かを経た、再びのヨウ化銀投下実験への挑戦を描く。時代設定は明らかではなく、原著出版の84年とほぼ同時代と思われるが、1962年のキューバ危機がかなり身近な記憶として語られているので、70年代の想定かもしれない。

 主人公はハリケーン研究所の科学者たち。シェイクスピアの『テンペスト』に出てくる魔術師から名前を取った「プロスペロ計画」の実験中に、ヨウ化銀を投下する飛行機を軍事行動と誤解したキューバ軍の襲撃を受ける――というプロットは序盤で明かされるのだが、構成が凝っていてなかなか読ませる。襲撃を受けた時を「ゼロ時間」として、そこに至るまでとその直後の二つの物語が語られるのである。突然の研究予算の縮小宣告でプロジェクト凍結を余儀なくされた科学者チームが実験遂行に執念を燃やす物語、そして襲撃を受けた後にパイロットが軒並み死亡した中、生き残ったスタッフで台風の中飛行機で生還を目指す物語――この二つが交互に語られ、その行き来によってそれぞれの人間ドラマが立体的に浮かび上がってくる。

 狂気にも似た執念で政府を出し抜いて実験を実行しようとするリーダー、離婚した心の傷癒えぬまま実験に臨む主人公の科学者、その他スタッフそれぞれの恋愛や確執、そしてそれらすべてを飲み込んでいく国際情勢……主人公周辺のドラマはややメロドラマめいているものの、キューバ軍襲撃の悲劇まで一気に読ませる力をもっている。著者は気象問題を専門とする科学系のライターらしく、ディティールにもこだわっている。

 読んでて少し『シン・ゴジラ』を想起するのは、怪獣が大災害のメタファーでもあるからだろう。実際上のモチーフは作中でも言及される『白鯨』であろう。研究所長のヘンリー・ソレルは、それこそエイハブ船長よろしく台風の消滅へと執念を燃やす。エイハブは白鯨によって脚を喪ったが、ソレルは1969年のハリケーンカミーユにより家族を喪っている。

 台風と人間の戦いを軸に、キューバ軍とアメリカ軍、研究者の倫理鳥論、国家と個人、元妻とその恋人など、たくさんの対立軸をかなりうまくまとめ上げている。終わりもさわやかで、映画化してみてほしい一作である。

 

三好徹『風は故郷に向う』(中公文庫、1975年、単行本1963年早川書房)B

 時は1959年7月、キューバ革命の年。極東自動車社員の清川暁夫は、突然の社命でキューバに商談のため赴任することになる。だが彼には気がかりなことがあった。日本を発つ直前、妹もまた新婚旅行に出発したのだが、その直後に婚約者らしき男をいるはずのない東京で見かけたのである。妹とともに旅に出たのではなかったのか? 困惑のうちに出発した彼は、移動中に妹夫婦が失踪したとの知らせを受ける。だが革命下のキューバでは電報一本打つことももままならず、焦燥の清川の周囲でも不可解な盗難や殺人事件が起き、革命政府に反抗する巨大な組織の存在が見え始め、彼は知らず知らずのうちに巨大な陰謀に巻き込まれていく。

 革命下のキューバが舞台とはいえ、もちろん日本人がカストロの依頼で大活躍、というようなご都合主義的展開はない。基本的にはハバナを舞台になんとか日本と連絡を取ろうとする主人公の右往左往が描かれ、どうも地味であるが、そこをリアルと言ってよいものか。このドタバタが清川のキューバ赴任や妹の結婚も含めて、ある組織がキューバの高官を亡命させるためのパイロットを国外から用意するためのものだったというのは、大がかりすぎてちょっと無理があるような気もする。冒頭で触れられる「戦時中は海軍航空隊の飛行機乗りだった」というのが最後になって利いてくるのは感心したが。

 ちょっと驚いたのは、最後に実在の人物がひとりかかわってくること。カミーロ・シエンフエゴス・ゴリアランという、初めて知ったがゲバラカストロと並ぶ英雄なのだとか。革命では主導者的位置にいたが、革命後ほどなく航空機事故で死去。事故か謀殺か、謀殺とすればアメリカによるものか、あるいはカストロによるものかなど、真相は今も謎らしい。作中では彼の死はカストロによるものと示唆され、カストロについてはその他にも絶大な人気を利用してライバルを蹴落としたり、彼の勝ちの陰で殺された無実の人々の声が描かれるなど、どちらかといえばカストロに批判的なのが、のちに『チェ・ゲバラ伝』を書いたほど入れ込んでいる著者にしてはちょっと意外。

 発表当時は高く評価されたらしく、解説の石川喬司によると昭和38年度の推理小説ベストテンの第3位だったらしい*1。革命が起こる前は「マンボとルンバの国であり、バナナボートの故郷」(p.14)でしかなかったキューバの実像を小説の形で伝えるということで、情報小説として評価されたものであろうか。

*1:ちなみにベストテンのリストは、1 河野典生『殺意という名の家畜』 2 中薗英助『密航定期便』 3 三好徹『風は故郷に向う』 4 戸川昌子猟人日記』 5 水上勉飢餓海峡』 6 星新一気まぐれ指数』 7 鮎川哲也砂の城』 8 結城昌治『夜の終る時』 9 陳舜臣『天の上の天』 10 佐野洋『蜜の巣』

 今でも評価が高いものといえば映画化もされた『飢餓海峡』になると思うが、それより順位が上なのだからすごい。2位の中薗英助も日本におけるスパイ小説の先駆けであり、同年がジェームズ・ボンドシリーズの映画第一作『007  ドクター・ノオ』が日本で公開された年でもあることをみると、ちょっとしたスパイ小説ブームが起こっていたのかもしれない。