DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

バグリィのパクリ疑惑

 冒険小説の大家であるデズモンド・バグリィ(1923~1983)に『南海の迷路』(原題Night of Error)という作品がある。

 彼の死後に出版された真の処女作、といういわくつきの作品である。彼は1962年にこれを書き上げたがなぜか出版せず、悪漢たちがナチスの残した金塊の争奪戦を繰り広げる海洋冒険ロマン『ゴールデン・キール』(原題The Golden Keel)で1963年にデビューし、日本でも有名な人気作家となった。

 しかし『南海の迷路』も決してそれに劣るものではなく、なぜ彼がこれを封印していたのかは謎だった――

 のだが、先日判明した。

 パクリだからである。

 バグリィの大先輩の現代冒険小説のパイオニアハモンド・イネス(1913~1998)に、『蒼い氷壁』(原題Blue Ice、原著1948年)という作品がある。先日たまたま読んだのだが、これが驚くほど『南海の迷路』と似ているのである。

 

 その物語は――

 主人公(『蒼い氷壁』では鉱山技師、『南海の迷路』では海洋学者)がある日近しい人物(『蒼い氷壁』では友人、『南海の迷路』では弟)の訃報を受け取ったところから物語が始まる。

 「その人」は、新たな鉱物資源の産地(『蒼い氷壁』では珪トリウム、『南海の迷路』ではマンガン団塊)を発見した直後に謎の死を遂げたらしい。

 主人公はその死の報告に、殺されたのではないかと不審を抱くが、冒険を嫌って最初はかかわらないようにする。

 しかし、鉱物資源の場所を示すサンプルや断片的な地図を知らずに受け取ったために、次々に謎の敵に襲われるようになる。

 自分も既に巻き込まれていることを悟った主人公は、死んだ「その人」の恋人や、同じ目的を持ったライバルや信頼のおける仲間とともに、船乗りとしてその鉱物資源をめぐる陰謀に身を投じていく。

 敵対勢力との熾烈な競争の末、徐々に浮かび上がってくる「その人」の死の真相、そして人物像は驚くべきものであった。

――という、メインプロットが驚くほど共通している。

 そして終盤、「肝心の「その人」が実は生きていて、現れて真相をぶちまけた後、最後に本当に死ぬ」というオチまで同じである。

 こうなると、『蒼い氷壁』の舞台は北欧のフィヨルド、『南海の迷路』の舞台は南太平洋のタヒチやフィジーという対照もわざとらしい。

 

 ここまで似ていれば、バグリィが意識的にイネスのプロットを借りて『南海の迷路』を書いたのは明らかであろう。

 これを書いた当時に出していれば相当な問題になっていただろうが、実際に出した頃までにはイネスが読まれなくなってしまっていたのか、まあもちろん気づいた人もいただろうが、大きな問題にはならずに(ネットでも指摘は見当たらなかった)好評を受けたということになる。

 そしてなんとwikiによると、日本では『ミステリマガジン』における「あなたが選ぶ冒険・スパイ小説ジャンル別ベスト 海洋冒険小説部門」で14位にまで入っている。『南海の迷路』の出版が1986年、ランキングが1992年であるから、決して話題性で評価されたのではなく、内容が好まれたものとみることができる。その盗作するほどのプロットの魅力を考えれば、イネスの功績を横取りした形である。

 

 だからといって、バグリィが非難されるべきではないだろう。

 前にも述べたように、『南海の迷路』は彼の死後発見されて出版されたものであり、彼の意志には反している。バグリィとしてはあくまで習作として、イネスの作品のプロットを借りて書いてみたということなのだろう。彼がそれを死ぬまで隠していたのも肯けるが、廃棄しなかったのはそれなりに愛着もあったものだろうか。

 なにしろイネスはバグリィの後年まで生きているし、バグリィも、自分の死後に勝手に出版されたなどと知ったら青くなったかもしれない。

 両者とも亡くなった今となっては、バグリィが作中でもたびたび表明しているイネスへの尊敬を示す貴重な資料が、ここにもあるというべきだろう。

 

デズモンド・バグリィ『南海の迷路』井坂清訳、ハヤカワ文庫、1986年

ハモンド・イネス『蒼い氷壁』大門一男訳、ハヤカワ文庫、1972年

 

安岡章太郎において隠されたもの

【最近読んだ本】

安岡章太郎『サルが木から下りるとき』(角川文庫、1974年、連載は朝日新聞1970年)B

 安岡章太郎というのは、文壇の大御所的な存在であったにもかかわらず、どちらかといえば地味な印象がある。小説やエッセイを読むと、起こったことを順に綴っていくようなものが多く、凝った構成やレトリックで魅せるというタイプではない。ただ描写が時に驚くほど克明になり、その描写の積み重ねが可笑しさや哀しみを醸し出すことがある。それが強く印象に残っている。しかしその地味さゆえか、2013年に92歳で亡くなってからは、ほとんど話題に上ることもなくなっているように思える。

 安岡章太郎文学史に名を残すとすれば、小説よりもむしろ、多数の回想的なエッセイ群によってなのではないかと思っている。『良友・悪友』をはじめ、遠藤周作吉行淳之介近藤啓太郎など、当時の文壇の人々との交友を描いたエッセイは、大作家のユーモラスな一面を伝える貴重な証言としてよく引用されている。また、『なまけものの思想』などの回想エッセイは、太平洋戦争前後の社会風俗を、庶民的な視点から紹介するやはり貴重な証言となっている。たとえば、昭和という年号が発表されたとき、明治や大正より古臭くていやだという意見があったなどという話は、現在からはちょっと想像がつかないことだろう。安岡章太郎はその当時に生きた者のみが知る雰囲気や印象を克明に記録して見せる。その成果が『私の昭和史』全3巻に結実したのだとすれば、これは所を得た仕事であったと言って良い*1

 一方で、安岡章太郎の諸著作を読んでいて物足りないのは、あれだけ友人や社会風俗を克明に描きながら、本人の顔が全く見えてこないということである。思えば、私小説の歴史に残る傑作とされる『海辺の光景』もそうであった。この作品は、母親が入院先の精神病院で息を引き取るまでの10日間を息子(=安岡章太郎)の視点から描くものである。息子は病院の中をうろうろして、他の患者の様子を見ながら、両親が戦後の混乱期を生き抜こうとして精神の平衡を崩していくまでを回想する。父母のことをこれでもかとばかり克明に描かれるのに、しかし自分自身はろくに描かれない。父は元軍の獣医で、戦後は鶏の卵で儲けようとして失敗するなどお金に苦労する。母は父の支えになろうとするが空回ってばかりで、やがて精神に異常をきたしていく。その中で、やがて稼ぎ頭になるはずが病気の療養でかなわない息子はどんな位置を占めているのか。本当なら彼に期待が向くはずなのに、母親は何をやってもうまくいかない父親を責めるばかりで、息子には一向に矛先は向かないのである。まるで三人称小説のように、語り手はそこにいるのにいないかのようになっている。

 そんなことはない、というかもしれない。安岡章太郎といえば、その主人公は劣等生や落ちこぼれという属性をもつキャラクターで規定されるとはよく言われることだ。確かに、阿川弘之遠藤周作北杜夫といった錚々たるエリートのそろっている文壇において、慶応大学に三浪し、その後も落第を繰り返した安岡は、多くの作品を劣等生的な意識から描き、第三の新人の中でも独自の地位を占めたとは言われる。しかし一方で、我々は読んでいてもそれ以上の情報が得られない。落第生というレッテルがわかりやすい隠れ蓑になっているように見えるのだ。実際、安岡の親友の三浦朱門は、彼の作品について、

安岡章太郎は「劣等生」というフィクションによって、自分の実生活を分析し、作品化することに成功した時、作家としてのスタートをすることになった。(『なまけものの思想』(角川文庫)解説)

と述べている。実際、落第は病気療養のためであるし、浪人したというのは三浦朱門に言わせれば当時はそんなに珍しいものでもない。しかし安岡は、落第生であることを強調することによって、インテリによって描かれる文学群の中での独自性を確保した。そして同時に、自己についてはそれ以上語らずに、周囲を克明に観察した記録を小説として形にするという方法を身に着けたのではないか。そう考えると、私小説的な作品はどうにも何か大事なことを隠しているようで落ち着かない。彼の小説の内で残るものがあるとすれば、私小説から離れた「蛾」や「雨」など、奇妙な味の短編群なのではないだろうか。

 

 そして今回読んだ『サルが木から下りるとき』もまた、面白いのだけれど、やはり著者の顔が見えてこない。1970年にアフリカに行った旅行記なのだが、なぜ行ったのかがよくわからないのである。

 冒頭では動物園のゴリラや『キングコング』を観て、進化論に思いを馳せ、人類のルーツであるゴリラを絶滅する前に見に行こうと思い立つのだが、行った先では動物園のサルの買い付けにきたと説明し、しかしナイロビ、モンバサ、ウガンダなどを旅した末に、ゴリラにはめぐりあえずに帰ってしまう。あとがきでは「ゴリラの夫婦喧嘩というものを観察して、精神分裂的になったゴリラの夫を主人公に小説を書」くためと言っているが、その後書かれたのかどうかはわからない。そもそも1970年といえば『沈まぬ太陽』のアフリカ篇の作中年代がそのころであり、気軽に行けた時代ではない。家族もいる身でなぜいったのか、いったい旅行費は誰が出したのか、本当にひとりで行ったのか、実は別に何か目的があったのではないかなど、さっぱりわからない。『別冊新評 安岡章太郎の世界』の自筆年譜では「1970年3月、ケニアウガンダタンザニアを旅行し、5月、帰国。」としか書かれておらず、この本にはアフリカの写真なども載っているものの、大した内容ではない。作中に出てくる名前では、河合雅雄伊谷純一郎など霊長類研を中心とした京大の人々とつながりがあったらしく、その調査に同行したのではないかと想像したりもするが、だったら隠すことでもない。まあ、安岡が自身の小説において自己を隠しているように、このこともまた判明することはないのだろう。

 本自体はそこそこ面白い。現地で働く日本人の妻のパワーに振り回されてあちこち観光したり、現地でセーベエという青年と仲良くなって一緒に旅したりして、飽きさせない。その合間にアフリカ文明に対する文明批評が挟まれるが、それは特に印象には残らない。主に安岡が感銘を受けた伊谷純一郎『ゴリラとピグミーの森』の調査を跡付けるような旅行になっており、安岡が訪れた時点ではピグミーはすでに現代の文化を取り入れて変貌している。矢じりや何かを売りつけようとして来たり、写真を撮ろうとすると金を払うことを要求してくるピグミーに失望している。おそらく伊谷の著書とあわせて読めば、アフリカの変化を教える貴重な証言になるのではないか。一方でタイトルが「サルが木から下りるとき」――すなわち、サルが樹上生活をやめてヒトとしての進化に歩みだした瞬間をタイトルとしているように、どうにもおかしな、新たな進化を目前にしている「変革の予感」のようなものを全編に横溢させているのが、予言の文学のようで、どうにも安岡には似つかわしくないものに感じられた。

*1:とはいえ、安岡章太郎の回想エッセイは、同じ出来事でも本によって状況や発言が違っていることがあるので注意が必要である。たとえば、『良友・悪友』(新潮文庫)では、安岡が遠藤周作と作家になってから再会したのは昭和29年の夏、遠藤周作のエッセイ集『フランスの大学生』の出版記念パーティーにおいてであるが(pp.40~43)、『なまけものの思想』(角川文庫)では、昭和28年の夏、フランス留学から帰国した遠藤の歓迎会においてであり、このときは安岡は芥川賞を受賞したばかりで祝われる側でもある。(pp.63~64)また、安岡の父は軍の獣医で、戦後は鶏を飼い商売をしようとして失敗したとされるが、私小説風の短編「愛玩」ではウサギに変えられている。

小林秀雄とクリシュナムルティ――『栗の樹』感想

【最近読んだ本】

小林秀雄『栗の樹』(講談社文芸文庫、1990年)A

 小林秀雄を読むときは、デジャヴのような気持ち悪さに悩まされる。何しろ重複が多いのだ。たとえば有名な「無常という事」は、収録されている本を文庫で調べてみただけでも、

『無常という事』(角川文庫)

『古典と伝統について』(講談社文庫)

『モォツアルト・無常という事』(新潮文庫

モーツァルト』(集英社文庫

 と、主要な文庫を全制覇する勢いであり、講談社に至っては文芸文庫の『栗の樹』にも入っている。ほかにも、たとえば『考えるヒント』(文春文庫)は、色々なエッセイや講演の寄せ集めだから、いくつかの文章は本書にも収録されている。タイトルもいい加減だから、『古典と伝統について』には「平家物語」という同じタイトルの文章が2つ収録されている。だから小林秀雄の文庫本を2、3冊読むと、常に「これはもう既に読んだのではないか」という不安と戦いながら読むことになる。もともと小林秀雄の文章というのが、話題がとりとめなくあちこち飛ぶので、どれかの話題がどこか記憶の隅に引っかかってすでに読んだような気分になる。編集者はよかれと思って自分の推す文章を入れているのだろうが、それでこうも重複するのでは困ったものだ。

 しかしかくも称賛される「無常という事」は、実際そんなに良いものなのだろうか。「無常という事」は冒頭、

「或云(あるひといはく)、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つゞみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひ問はれて云(いはく)、生死無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給へと申すなり。云々」(一言芳談抄)

 という短文が引かれる。そのあとが持って回ってわかりにくいのだが、自分の言葉で語り直してみると――小林秀雄比叡山を訪れていた時にこの文章が思い出され、その意味が突然「分かった」気がしたというのである。その時何がわかったのか、今では思い出せないが、しかしその瞬間、自分は鎌倉時代そのものにタイムスリップすらして、心境を理解できていた気がするという。そのときに得られた「気分」は、今理屈で考えてもよみがえることはない。そんなことを言っても歴史学的には無意味なのだろうが、確かにその時理解できていた。そしてそういう形での過去の把握こそが、歴史学的な過去の把握よりも本物なのではないか。そんな風なことを、繰り返し言っている。詳しく読めば、当時の時代思潮への批判とか、もっと色々と示唆的なことを言っているのかもしれないが、自分で読めた範囲ではこれだけである。

 これぞ悪名高い印象批評というべきもので、これだけだとよくわからないのだが、ところで『考えるヒント』の3巻(文春文庫)には、「信ずることと知ること」という講演録がある。のっけからユリ・ゲラーを称賛しているという奇妙な講演なのだが、その中で、

私の友達の今日出海のお父さんというのが、もうとうに亡くなったが、心霊学の研究家であった。インドの有名な神秘家、クルシナムルテという人の会員でした。だから私はああいうことは学生の頃からよく知っていました。(p.7)

 ここでクルシナムルテ、つまりクリシュナムルティという意外な名前が出てくる。ジッドゥ・クリシュナムルティといえば、神智学協会の幹部であるリードビーダーがインドで見出してきた天才少年である。彼は成長して恐るべきカリスマを発揮し、「星の教団」の指導者となるが、のちに信仰には教団は不要であるとして解散し、その後は一人の聖人として生きた。作家の今東光今日出海の父・今武平は、どうやら「星の教団」に日本人として唯一参加していたものらしく、クリシュナムルティの著書の翻訳もしている。その関係で、小林秀雄も学生時代からその思想に触れる機会があったというわけだ。

 小林秀雄論というものをあまり読んできたわけではないが、このつながりに触れていたものは見たことがない。しかしこれは、小林秀雄について考えるうえでかなり重要なのではないか。小林秀雄といえば、晩年のベルグソン神秘主義への傾倒が有名であるが、それ以前から、神秘主義的な思考が一貫して根付いているのではないか。

 同じ講演の中で、彼はベルグソンにも触れている。ベルグソンがある会議に出席していた時、精神感応があるかどうかという話題になった。ある女性が、戦争のときの夫の死の光景を、遠いパリでまさにその時刻に、その通りに夢に見たという話をする。だがフランスの名高い医者が反論する。そういう報告はたくさんあるが、その夢が間違っていたという報告も非常に多い。それなのに、正しい方ばかり注目して、精神感応が実際にあるというのはいかがなものかと。それに対して、そこにいたもう一人若い女性が、

「先生、先生のおっしゃることは私にはどうしても間違っていると思われます。先生のおっしゃることは、論理的には非常に正しいけれど、何か先生は間違っていると思います」と言ったというのです。ベルグソンは、私はその娘さんの方が正しいと思ったと書いている。(p.9)

 

その医者は夫人の見た夢の話を、自分の好きなように変えてしまう。その話は正しいか正しくないか、つまり夫人が夢を見た時、確かに夫は死んだか、それとも、夫は生きていたかという問題に変えてしまうというのです。しかし、その夫人はそういう問題を話したのではなく、自分の経験を話したのです。(略)それは、その夫人にとって、たった一つの経験的事実の叙述なのです。そこで結論はどうかというと、夫人の経験の具体性をあるがままに受取らないで、これを果して夫は死んだか、死ななかったかという抽象的問題に置きかえてしまう。そこに根本的な間違いが行われているというのです。(p.9)

 自分はこの話を理解できたとはとても言えない。穏当な表現をすれば、夫の死を本当に幻視したかどうかはともかく、自分が夫の死をまざまざと見たように感じたのはまぎれもない事実である――ということになるのだろうが、それが事の本質をつかみ取れているかどうかは自信がない。なんにせよ、こういわれてしまうと、議論は無意味になってしまい、我々としては何も言えなくなる。そしてこの構図は、先に挙げた「無常という事」でも同じである。比叡山にいたあの瞬間、小林秀雄はあの女房をめぐる短文が理解できていた。歴史学的に誰がなんといおうと、それは揺るがないのである。

 ここには小林秀雄の考え方が端的に現れている。今まで、小林秀雄の批評の方法論というのは、坪内祐三も引いているように、

私の書くものは随筆で、文字通り筆に随ふまでの事で、物を書く前に、計画的に考へてみるといふ事を、私は、殆どした事がない。筆を動かしてみないと、考へは浮ばぬし、進展もしない。(坪内祐三『考える人』新潮社、p.13 より孫引き)

 というあたりに明快に語られているとみられてきた。確かに、とりとめなく連想的に広がっていく彼の評論やエッセイの方法論は、これで十分に説明されているように見える。確固たる知識や理論体系によって対象を解剖的に論じるというより、心に浮かんだイメージを真実として書き留めていく。非論理的な飛躍が多くて難解とも魅力ともいわれる彼の文章は、それで説明がつくように見える。

 しかしその深層には、実は神秘主義的な方法がナマで潜んでいたのではないか。彼の評論は思索と呼ぶよりはむしろ、瞑想や幻視に近いものだったのではないか? 彼の評論やエッセイは、それこそクリシュナムルティが多く残したような、瞑想録や講話のようなものに近いのではないか? 入試に使われる評論文として、論理的・客観的に読み解くべきものではなかったのではないか?

 では小林秀雄はいかに読まれるべきか。小林秀雄についての論考はあまり読んでいないが、たとえば江藤淳のように伝記的な事実(特に中原中也をめぐる恋愛の問題)から思想を追うものが主流であるように見える。あるいは坪内祐三が警告しているように、多くの論者は「小林秀雄をだしに己れを語ろうとしたがります。たとえば己れの文学的青春であるとか文学的自意識であるとかを」(『考える人』p.15)。しかしそうではなくて、他者とのかかわりや時代との取り組みとは離れて、ある種の宗教者や幻視者の著作として捉えるべきだったのではないか。もちろん人の思想はその人生や時代とは切り離せるものではないが、たとえばゴッホモーツアルトの伝記的な事実との比較から小林秀雄の論を間違いとするような読み方は、小林秀雄が目指したものとは離れてしまうのではないかと思うのである。

 

 「無常という事」の感想から話が長くなって、『栗の樹』の感想を書いていなかった。本書は、こういった論考よりも、時折現れる、友人たちを語ったエッセイが面白かった。先に挙げた今日出海のほか、志賀直哉、菊地寛、深田久弥川端康成などそうそうたる顔ぶれが、入れ代わり立ち代わり現れて、小林秀雄との交流が語られる。たとえば小林秀雄が初めて講演をしたときには、志賀直哉にスーツを借りに行き、ちょうど居合わせた志賀の甥に借りたのだが、それが着心地がいいものだから一週間以上返さないでいたという話とか、深田久弥と雪山にスキーに行って、無理をして難しいコースに行って危うく遭難しかけた話とか。全体に、謹厳な雰囲気の文学者たちの、笑えるエピソードを集めている。これは実体験だから具体的であり、ちゃんとオチもあって意外に読みやすい。こういったエピソードが、難解な講演や評論の中にも時折ひょっこり出たりするので油断できないのである。こういった部分を集めていったら当時の文壇模様を知る貴重な証言集になるのではないかと思うのだが。

塚本青史『始皇帝』B、咲村観『始皇帝』B、イアン・フレミング『カジノ・ロワイヤル』A

【最近読んだ本】

塚本青史始皇帝』(講談社文庫、2009年、単行本2006年)B

咲村観『始皇帝』(PHP文庫、2007年、単行本1983年)B

 始皇帝の伝記小説が相次いで手に入ったので続けて読んでみたが、描かれる人間像は驚くほど似ている。ひどく暗いのである。

 その事績を見れば、父親が秦王の何人もいる王子の一人だったのが思いがけず後継者に選ばれ、その父王が早死にしたことから若くして王となり、それから10年ほどで中国全土を統一して始皇帝になる――という、壮大な物語のはずなのだが、ここで描かれる、後の始皇帝・政はたいして野望や人望を持たない平凡な男である。しかし人生の要所要所で呂不韋、李斯、韓非子、尉繚、王翦などといった有能で野心的な臣に恵まれて勢力を拡大して行き、彼らの多くはやがて相次いでトラブルを起こして滅んでいき、その屍を踏み越えて政は始皇帝となる。

 一貫して始皇帝自身は大した才覚を見せず、ただ目前で起きる反乱や侵攻に対処していくだけ。ただ性格においてはときどき見せる、執念深く裏切りや侮辱を一切許さない面が人生の原動力となる。その生涯は不安と猜疑の日々であり、塚本も咲村も全1巻と短めに描いているせいか、安息の日々はほとんどなさそうな人生である。

 読み比べるとほぼ同じ内容で塚本の方がディティールに優れているが、咲村の方は始皇帝は政治よりも土木工事を好んだとか、臨機応変に事に当たったなど興味深い指摘もある。

巨大な土木工事が、政(始皇帝・引用者注)は好きであった。設計の詳密さに、担当者は「王ともあろうお方が、このような絵図面まで……」と驚きの言葉を放っていた。(p.94)

 機に臨み、変に応じて行き方を変える。これは生まれついて以来の政の性格であった。誰に教えられたというものでもない。困難に遭遇すれば、自然にその方向へ心が動くのである。

 この気性ゆえに、政は諸侯や家臣をあやつって、天下平定を成し遂げることができた。だが、一たび権力を掌握すれば、本心に従って行動し、他をおもんぱかることをしなかった。みずからそれに気づきながら、最後には己れの意思を優先させたのである。(pp.292-293)

  このあたりは実際、本質をついているのではあるまいか。

  読み終えてみると、晩年に不老長寿への妄執に取りつかれて醜態をさらしたのがやはりまずかったというか、多分そこから逆算して二人とも始皇帝の性格を成型したのだと思われるけれど、もう少し小説として面白くしてもらいたかったという気もしてしまう。

 

イアン・フレミングカジノ・ロワイヤル』(井上一夫訳、創元推理文庫、1963年、原著1953年)A

 スパイ小説史上の記念碑的作品であるジェームズ・ボンドシリーズの第一作。

 時は冷戦のまっただなか、フランス共産党の大物で謎の国際スパイ組織「スメルシュ」の幹部であるル・シッフルが、組織の資金の使い込みを隠すため、カジノで一攫千金を目論む。それを知った西側の組織は、彼をギャンブルで負かして失脚させるため、英米仏のスパイをカジノへ送り込む。

 スパイ小説の歴史は、ジョゼフ・コンラッドサマセット・モームグレアム・グリーンなどの「暗い」文学路線に始まったのが、フレミングの登場により娯楽路線がスパイ小説界を席捲した。以後は文学路線と娯楽路線がせめぎあい、スパイ小説というジャンルをよくわからないものにしてしまった――というのが個人的な見解であるが、本作は第一作にして早くも「娯楽小説としてのスパイ小説」の完成形を示しているといえる。

 ここで描かれるのは、あくまで知的なスリルに満ちた冒険小説であり、東西冷戦の国際情勢などお膳立ての方便にすぎない。ギャンブル対決がそのまま東西の対決になるという一歩引いてみればギャグにしか見えない状況を大真面目に描くことで娯楽に徹している分、後年の文学路線と娯楽路線の両立を図った過度に複雑なスパイ小説群よりよほど面白いともいえる。

 そこで貫かれるのはいかにもイギリスらしい、フェアプレイの精神である。英国情報部の金で安全圏からのギャンブルという「ズル」をしたボンドは、自身の有り金をすべて賭けて敗北したル・シッフルに誘拐され、死ぬ寸前まで叩きのめされる。しかしそうやってギャンブルの負けをゲームの外で奪い返そうとしたル・シッフルは、ソ連の暗殺者に粛清されることになる。因果応報の物語を彩るのは、美女との駆け引きやグルメの蘊蓄、エリート同士の韜晦めいた会話、一種凄惨なアクションの数々である。悪趣味な俗っぽさの中にインテリをくすぐる要素もちりばめられている。

 かつて三好徹と石川喬司はフレミングを指して「あれは酒と女の情報小説だ」と批判していたことがある(集英社文庫の『情報小説傑作選』だったか)。実際に読んでみると、酒に関しては、作中で新しいカクテルを生み出しているくらいだからいいとして、女についてはどうか。

 本作のヒロインとなるヴェスパーは、任務においてボンドの助手を務め、その魅力についてはボンドも認めるものの、任務中は冷たくされ、その後は誘拐されてボンドの内心で罵倒されるなど足手まといになり、任務のあとは、死にかけたショックを癒すための慰めとしてのみボンドに必要とされ、最後にはソ連のスパイとしての正体を明かして自殺する。ここにあるのは女性蔑視あるいは女嫌いとしか思えず、映画版の華やかなボンドガールとはかけ離れている。このあたり、現在はどう評価されているか気になるところだ。

斎藤肇『<魔法物語>シリーズ』A、K・クリパラーニ『ガンディーの生涯』A

【最近読んだ本】

斎藤肇『<魔法物語>シリーズ』A

『魔法物語 上 黒い風のトーフェ』(講談社文庫、1993年、単行本1990年)

『魔法物語 下 青い光のルクセ』(講談社文庫、1993年、単行本1990年)

『新・魔法物語 竜形の少年』(講談社文庫、1996年)

『魔法物語3 竜形の闇』(自費出版、新・魔法物語のリメイク、2019年)

光の子を探すがいい

彼は世界を動かす

ひとりは黒き風

ひとりは闇の種

ひとりは滅びの光

ひとりは熱き星

いずれかが救いとなる(魔法物語上巻p.165)

 

 久々に長編ファンタジーを読んだ。斎藤肇は「異形コレクション」に収められたSF・ホラー系の短編でしか読んだことがなかったが、ファンタジー小説のこれも面白かった。そのまま読み逃していたが、90年に日本でこんな本格ファンタジーが書かれていたというのは全く知らなかった。

 物語は、一見オーソドックスな冒険ファンタジーとして始まる。『風の谷のナウシカ』のユパさながらの戦士リバが、冒頭に掲げた詩で予言された、世界を滅びから救う力をもつ四人の「光の子」を探す旅に出る。

 それぞれの巻が一人の光の子の物語となる構成で、全体がリバの生涯を賭けた旅の物語でもある。次々に現れる怪物を卓越した剣技や魔法の力で倒していくところは、堅実な描写で読ませるものがある。超人的な戦いぶりを発揮している割にはそれを感じさせない(反面、みんな満身創痍で戦っているように見えて心配になるが……)。また、世界全体がどうなっているのかがよくわからない(他の国はあるのかとか、魔法というのは一般人の間ではどの程度身近な存在なのかとか)といった不満はあるものの、その分政治劇や曲芸めいたアクションとは無縁の、地に足のついた戦いぶりが見られ、その中で光の子や世界の滅びをめぐる真実が少しずつ明らかになっていく。

 本作は魔法物語上下巻、新・魔法物語で3人の「光の子」の物語が描かれ、長い間途絶していたが、大幅な加筆修正のもとで3巻が自費出版でリメイクされ(現在は著者のサイト経由で入手可能)、4人目の「光の子」の物語も執筆中であるという。まさに著者のライフワークといってよい壮大な物語となっている。

 しかしこの物語は、2巻ラスト以降、一般的なファンタジーからは逸脱して、独自の道を進んでいるように思われる。ネタバレになってしまうが、2巻において――つまり二人目の「光の子」が見つかった時点で、世界を滅ぼす「もの」が倒されてしまうという、大番狂わせが起こるのだ。ではいまだ見ぬあと二人の「光の子」の立場はどうなってしまうのかというと、3巻に入り、物語は全く新たな滅びの危機を見せ、そしてその全貌はいまだに見えてはいないところで続きを待っている。

 なぜこのような展開になっているのかと考えると、この作品の特色として、「運命」という言葉が二つの意味で使われているところにあると思う。一つは「光の子」が持って生まれた力によって世界を救うという、魔道師が定めた「運命」。そしてもう一つは、それよりももっと上位にある、世界全体の「運命」である。前者はあくまで人間が決めた、人工的なものであり、後者は個人の思惑や感傷とは隔たったところにあり、魔道師もまたその一部に過ぎない。「歴史」などとも言い換えられるだろう。

 この二つは、普通のファンタジーでは一致している。古典的なパターンでは、世界は光と闇の対立という構造を持ち、主人公たる光の勇者が闇の魔王を打倒すると、世界に平和が訪れる。よく考えると勇者と魔王の対立は世界の平和と関係あるとは限らないのだが、これが無前提に直結していることで、個人の物語と世界の物語が一体化し、自分たちは歴史の動く場に居合わせるというカタルシスを読者に与える。

 しかし『魔法物語』ではそこまで単純ではなく、この二つの「運命」は必ずしも一致しない。最初に提示される光の子という「運命」は、あくまで魔道師の決めたものでしかなく、彼ら魔道師をも歯車のひとつとした、もっと大きな「運命」の存在がようやく見えてきたところなのだ。その全貌はまだ明らかになってはいないが、恐らく序盤から重要な存在となっていた「竜」が重要になってくるものと思われる。本作での竜は生物というより、魔法という概念が世界に形をとって現れているものであり、それゆえに、竜が出現するときが世界の「運命」が大きく動くときであり、3巻のラストでは竜により時間も空間も超越して、それぞれの登場人物が過去と向き合い、前衛文学とも見紛うヴィジョンが展開される。

 このように『魔法物語』がファンタジーとして異色なものになっているのは、著者がSF出身であるということが大きいと思う。本作で描かれる魔道師は、魔法使いというより科学者に近い。魔道師たちは神の代行者であるよりも、神に成り代わり世界を救う存在であろうとしている。

 何はともあれ、謎は多くを残したままで、4人目の「光の子」の物語が待たれている。恐らくSF的な想像力はこの物語の世界の全体像にも及び、竜の、そして世界の正体が明かされていくのだろう。その中で、それぞれの光の子、そして彼らを探す戦士リバは報われるのか。個人的には、魔道師に体よく利用されながらもそれを自身の「運命」と信じて旅を続けるリバにも、最後は幸せをつかんでほしいと、個人的には思う。

 

 

K・クリパラーニ『ガンディーの生涯(上・下)』(森本達雄訳、レグルス文庫、1983年)A

 読みやすい伝記。もちろん著者は随所でガンディーを讃えているが、熱狂的な崇拝者というほどではなく、また新書版とはいえ上下巻という長さもあり、ガンディー崇拝者には不都合そうな事実もこまごまと拾われていて、比較的バランスの取れた本だと思う。

 元来ガンディーという人が矛盾に満ちており、かなり後の方まで裏切られながらイギリス政府を支持して(非暴力を標榜していたのに)ボーア戦争第一次世界大戦においてはイギリスに味方して志願兵を募ったとか、南アフリカで政治運動を展開したときは現地のインド人のみを対象としてアフリカ人は対象としなかったとか、家族に対しては自身の思想を押し付けようとして軋轢があったとか、ムスリムヒンドゥー教の勢力はガンディーの姿勢を理解せず最後まで対立が絶えなかったとか、一般的なイメージとは離れるところが多々ある。著者はそういったエピソードも紹介して、あまり熱心な弁護はしていない。一応著書や講演から本人の言葉を引用して、単純な理解ができる人物ではないと強調しているが、高度な皮肉と取れなくもない。

 個人的にはガンディーといえば、白い綿布をまとって糸車を回している有名な写真のイメージが強く、ほかの基本的な伝記的事項を全く知らなかったので、それ以外にも読んでいて新鮮な事実が多い。若い頃にイギリスに留学して弁護士になったとか、その政治運動の最初はイギリス領南アフリカにおけるインド人の人権回復運動だったとか、ロマン・ロラントルストイとも交流があったとか色々あるが、その中で特に気になったのは、モーハンダース・カラムチャンド・ガンディーはいかにして「マハトマ(偉大なる魂)・ガンディー」として目覚めたのか、ということである。

 一族の反対を振り切ってイギリスに留学し、念願の弁護士になったものの、生来の口下手のためにろくに弁論ができず廃業し、代書人として細々と生きていた青年が、いかにして聖者と言われ、世界を動かしインド独立を勝ち取るまでになったのか。実際、若いころのガンディーは宗教的熱狂とは無縁だったと本書でさえ述べられており、この変貌はどうにも謎であるらしい。

 本書を読む限りでは、ロンドンに留学した際の、神智学協会やカトリック聖職者との交流がきっかけであったように見える。ガンディーは神智学協会メンバーの紹介で、ヒンドゥー教聖典である『バガヴァット・ギーター』のエドウィン・アーノルドの英訳や聖書など宗教書を読みふけり、それを通じて自国の文化を「発見」し、宗教者として覚醒したのだというのである。つまるところインドがイギリスから独立するためには、イギリスの文化人たちの影響が不可欠だったのだ。後年、神智学協会はインドでジッドゥ・クリシュナムルティを見出すが、ガンディーはその先駆的な存在だったともいえる。イギリスとインドの交流史やオカルトの歴史の側面からのガンディーの研究も読んでみたいものであるが、ロンドンにいたころのガンディーの日記は散逸して残っていないらしい。しかし、どれだけ裏切られてもなかなかイギリスそのものに愛想をつかさなかったのは、彼ら同胞への信頼によるところが大きいのは間違いない。

 不満を言うならば、登場人物が非常に多く、タゴールネルーらのインド人の同志、そしてイギリス人の立場からガンディーに共鳴して熱心に協力した人々など、興味をそそられる人物が多数登場するので、彼らの略伝も欲しかったというところ。本文中によく読めば彼らの事績も読み取れるのだが、読みやすいまとめがあるとなお良いと思う。

星新一『白い服の男』A、ジョン・バーンズ『軌道通信』B

【最近読んだ本】

星新一白い服の男』(新潮文庫、1977年8月)A

 久しぶりに読んだ。ショートショートとしてはやや長めだろうか。

 よく言えば寓話的、悪く言えば単純で、メッセージがわかりやすすぎるきらいはあるが、それだけに後に生まれた色々な物語の原型みたいなものが見えてくるのが面白い。たとえば「白い服の男」は赤城大空下ネタという概念が存在しない退屈な世界』(ガガガ文庫)との類似でよく挙げられていた覚えがあるし、個人的に注目したのは「特殊大量殺人機」である。これは、「特定の条件に当てはまる人間を選んで殺せる機械」が発明され、それによる世界平和を目指す発明者と、世界の支配を目論む各勢力がドタバタ劇を繰り広げるというものであり、小畑健大場つぐみの『デスノート』とアイデアがよく似ている。

 だからといって、別にパクりというわけではない。星新一の場合は冷戦時代の核抑止論への皮肉が前提にあり、『デスノート』は清涼院流水など新本格ミステリを背景にしたゲーム的な発想があると思われ、全くアプローチは違うのだ*1。しかしそれが結果的に似た構図の作品を生み出すのが面白いところである。

 しかし、かつて気楽に読んだときと比べると、今は作者に関する伝記的な知識があるせいか、厭世的な気分をそこかしこに見出してしまう。元になった単行本はハヤカワ・SF・シリーズで出た『午後の恐竜』だというからなおさらだろう。コントのような話もあるが、半分以上がディストピアものである。これらの作中で、ディストピアに生きる人々は、いずれも最後まで日常に何の疑問を持つこともなく生きており、抵抗することなど思いもよらない。

 そうして星新一の作品群を通してわれわれ読者は、ディストピアを創り上げた体制側と、それに安住する人々のどちらにも属さず、両方を批判的に見る特権的な位置に、強制的に立たされる。星新一の創りあげるディストピアはひどく堅牢強固であり、読んだ後でそれに対する抵抗や変革といった方法を考えさせる余地がないように見える。とはいえだからといって、物語が我々に危害を加える心配はないわけだから、読者が置かれるのは、何もできず、する気もなく、しかし本質は見通している観察者という、安楽だが何の役にも立たない人間という立場である。

 そういう物語ももちろんあって良いのだが――しかし少なくともオーウェルの『1984年』や『動物農場』を読み終えた時は、この中でうまく抵抗するにはどうすればよいか無意識に考えてさせられた気がする。それと星新一ディストピアものとは、まったく異質の読書体験だったのではないか。こういうものに慣れ親しんだことが自分にどのような影響を与えているのか考えると、ちょっと恐ろしい気がする。

 

ジョン・バーンズ『軌道通信』(小野田和子訳、1996年、原著1991年)B

 宇宙時代の少年少女のスクールライフを描く佳品であり、TVアニメ『宇宙のステルヴィア』(2003年)を思い出させる。宇宙空間ならではのスポーツ、エリートたちが受ける特殊な教育などの要素も似通っている。

 時代は2025年、1990年代に戦争や疫病で地球が壊滅的な被害を受け(ユーロ戦争やミュート・エイズによるダイ・オフと説明されている)、一部の人類は宇宙に逃れて衛星を改造し、そこで独立した社会を営んでいる。主人公たち少年少女は、地球での生活を知らない、宇宙で生まれた第一世代にあたる。主人公の少女(13歳)が地球の人へ向けたレポートの「草稿」という形で、理解ある大人たちの庇護のもと、地球からの転校生との出会いやクラス内での対立、成績が上がらないことへのコンプレックス、クラスメイトとの初恋など、青春小説らしいストーリーが描かれる。(以下ネタバレ)

 普通はこういう設定では、何世代も後の安定した社会を描くのが定石であり、わずか一世代でこんな安定した社会を実現できるわけがないというのは誰もが思うところである。実際、終盤になると、実は子どもたちは周到なマインド・コントロールを受けて生活していることが徐々に明らかになっていく。上に挙げた青春小説らしいイベントも、この特殊な社会の担い手に成長するための計画されたものでしかないことが少しずつ明らかになっていくのは、語り口の巧みさと相まってなかなかスリリングではある。

 惜しむらくは本書はシリーズものの一作目なのに、その後の作品が訳されていないことである。この社会がどのように変質していくのか興味はあるが、未来社会独自の言い回しや価値観の描写なども多く、自分の英語力では難しそうだ。

*1:デスノート』が第二部で失速したと言われる(個人的には第二部の方が好きだが)のは、デスノートというストーリーの根幹を握るはずのアイテムが、戦略の一要素に過ぎなくなったことにより神秘性を喪ってしまったことがあると思う。最近発表された続編はますますその傾向を強めている。星新一の短編は奇しくもその隘路を予見させるものとなっているのではないか。

早乙女貢『志士の肖像(上・下)』A、三好京三『子育てごっこ』C

【最近読んだ本】

早乙女貢『志士の肖像(上・下)』(集英社文庫、1995年、単行本1989年)A

 14歳という最年少で松下村塾に入塾し、幕末から明治維新の動乱を生き抜き、明治政府では陸軍中将や司法大臣として活躍した、山田顕義が主人公。彼は明治時代には会津出身者とも親しい交流があったせいか、ならず者ばかりとして描かれる薩長出身者の中では、会津推しの作者により品行方正な才人として描かれている。

 一応、扱っている時期としては『若き獅子たち』の続編にあたる(『若き獅子たち』は八月十八日の政変天誅組の壊滅がクライマックスだが、『志士の肖像』は八月十八日の政変と生野の変を始まりとする)が、暗殺と内ゲバでひたすら凄惨だった『若き獅子たち』に比べると、まるで別世界のようで、無駄な濡れ場などもなく、ずいぶん読みやすい。

 しかし苛烈な書きぶりは相変わらずで、大村益次郎など、暗殺された際は抵抗もせず逃げ回っていたことを罵倒されたあげく、負傷した脚を切断してなんとか延命しようとしたことまでも、同じ状況でそれを拒否し、武士として死んだ河井継之助と対比して非難されるなど、憎悪が常軌を逸している感じがある。他の人物も、豪快に見せて勢いだけの実は小心な高杉晋作、才覚もなく粗暴なのにうまく立ち回って絶大な権力を手に入れた黒田清隆、非常な自信家ゆえに才能さえ生かせればどこに属しても満足だった榎本武揚、なんとなく得体のしれない雰囲気で大物と思われていただけの西郷隆盛など、およそ好感が持てる描き方をされない。

 しかし本作も史料の調査力はさすがで、禁門の変で敗走した長州藩士たちが京都を脱出できたのは、西本願寺に匿われたからであるとか(そのためのちに新選組に目を付けられて西本願寺が屯所とされた)、あまり触れられないようなところもしっかり書いている。他にも愚かな好戦派として描かれやすい来嶋又兵衛が若者にも慕われる経験豊かな大人として描かれたり、桂小五郎がやや軽率で禁門の変の勝利を確信していたりと、あまり見られない性格付けがされているのも面白い。薩長を憎むあまり、実は西郷の死は、生き延びようと逃げ回っているのを見苦しいと桐野利秋に射殺されたなどという説も、ここぞとばかりに余談として紹介されている。あるいは高杉晋作は下関戦争における和議交渉では、ひたすら「ノー!」を言うだけだったことにされて、古事記を暗唱して煙に巻いたという、伊藤博文の回想にのみ登場する真偽不明のエピソードは見向きもされていないとか。調べられるだけ調べて、あくまで史実を曲げず、隙あらばひたすら薩長を罵倒するという姿勢は一貫していて、逆に痛快ですらある。

 しかし有名どころの人物が大暴れする中で、主人公たる山田顕義は、用兵には大村益次郎に次ぐ才能を示しながらも、小柄で童顔なせいか何かと侮られて重用されず、文官に転じてからも山県有朋らの権勢欲に任せた暴走に翻弄され、最後は疲れ切って死んだ感があり、あまり読後感はよくない。とはいえ彼は結局のところ維新史を語る上での狂言回しに過ぎない感もあり、会津推し・薩長憎しの視点から上下巻で明治維新史が再構成されていくダイナミックさは比類がない。

 

三好京三『子育てごっこ』(文春文庫、1979年、単行本1976年) C

 ひどく不快な小説である。

 『ファーブル昆虫記』の翻訳や『気違い部落周游紀行』などの著作で知られる作家・きだみのる(1895-1975)は、一方で定住を嫌い放浪して暮らす奇人でもあった。

 彼が80歳近い晩年に連れ歩いていたミミという女の子(本作では吏華という名前)を、田舎の分校の教師をしていた三好夫婦が家に引き取って育てたことをもとにした、おそらくほぼ私小説的な作品が本書である。

 なにしろ10歳まで小学校に行かなかった子どもを引き取るのだから、一応は日教組に囚われない自由な教育を自認している三好といえどもうまくいかないのは予想できるが、それにしても三好は引き取った女の子に対して普通に体罰を振るうし、かなり気紛れに不機嫌になって良い子にしても褒めなかったり、授業中の態度が悪いといって無視したりで、時にその暴言は妻にまで向く。

 吏華のそばに行き、耳元で、

「(教室から)出て行け!」

 と叫んだ。

「うるさいわね、いやよ」

 吏華は平然とした顔で言った。

「出て行くんだ」

 ぼくも少し本気になり、腕の付け根をつかんで立ち上がらせた。

「礼儀知らずは出て行け」

「いやよ、さわらないで」

「邪魔だ!」

 爆発した。押し倒された吏華は、初めておびえた顔になって教室を出て行った。

 授業が終わって宿直室に戻ると、吏華は猫と遊んでいて、ぼくの顔をみると、鼻に皺を寄せてイーをした。(p.29)

「俺のつけた通信簿に文句があるんだな」

 と押し殺した夫の声がそばでしたので、わたしも吏華も声をのむほどびっくりしてしまいました。こういう感じのときの夫は、止めどがないほど兇暴になります。

「どこに文句があるんだ!」

 声が炸裂したとき、吏華はすでに夫の腕に釣り上げられて、口をふわふわさせていました。

「音楽が……」

「なに?」

 ひどい音がして吏華はぶざまに押入れのところに転がり、反射的にわたしは吏華のからだにのしかかって、夫の第二段の攻撃からかばおうとしました。

「おい、音楽がどうした」

 わたしの覆いかぶさった隙間から手をさし入れて吏華の襟首をにぎり、ものすごい力で引っ張りあげます。

「お詫びするのよ、あんたが悪いんだから」

 必死で吏華を抱きしめながら言いました。

「すみません、わたしが悪かったです」

 吏華はふるえて変なことばづかいをしました。教室でしばしばある状況が初めて家庭にあらわれたのです。夫は長い間、狼が獲物に食いつくときのような眼つきで吏華を睨んでいましたが、やがて力をゆるめると、どさりと二人を畳の上に放り棄て、

「ふざけるんじゃねえ」

 足音を荒げて廊下へ出てゆきました。(pp.37-38)

吏華は引き取られていた九ヵ月間、ぼくの子どもであり、受け持ちの児童だった。しかし、子どもであったのは最初の一ヵ月ぐらいで、あとは叱咤され通しの児童になった。野放図な甘えと無礼を憤って、ぼくは笑顔を見せることがなくなり、その代わりに過酷な生活の規制だけを与えたのだった。吏華は妻に対してだけ熱っぽく甘えるようになり、鬼面のぼくには恐れて距離を置いた。

 そのころの感情生活が残っている。成長したけなげな吏華を見て、慈しみたい気持は動いても、こわばった感情の被膜がなかなか破れないのだ。(p.102)

 教師というより暴君として君臨しており、読んでいる側が恐怖すら感じる。作中では三好とその妻が交互に語り手となり、彼の教育方針は妻の視点から批判されるという形でバランスは取っているものの、単に露悪的な描き方ともいえない、それでは済まないものを感じる。これが出版されて直木賞を受賞し、教育評論家としても活動していたところから見ても、自分の「教育」にもなにがしかの理があると恐らくは思っていただろうし、世間もまたそれを受け入れていたのだろう。

 そんな仕打ちを受けても、その女の子は父親ながら偏屈なきだみのるに嫌悪を抱き、実の母にも疎まれて居場所を失い、三好夫婦のところで暮らしたいと願う。しかし三好は、たとえ不幸でも子どもは親と暮らすのが一番よいのだと言って拒絶し、本当の親のもとに戻るように命じる。

どんな親でも親は親、親のそばで暮らすなら、子どもはどのように不幸に育とうとも、結局は納得しなければなりません。吏華を引き取れない理由が、経済事情によるものか、問うつもりは全くありませんが、あらゆる事情にかかわりなく、親は子のために死ぬべきです。そのつもりで親になった筈ですから……(p.84)

 子どもの意志を完全に無視して、自分の気紛れな感情を古い道徳で正当化するさまはよく書けたものだと思う。のちに現実の吏華は、三好が性的虐待をしていたと訴えたようだが、この小説の描写だけでも十分にダメだろう。このことは、三好京三の教育が批判されるようになった社会の変化とも連動しているのかもしれない。小説の中では、吏華は子どもながら媚びることを覚え、また自由さを見せることもあるが、三好への恐怖に怯えている風が振る舞いから見える。

 ひたすら不快であるが、昔の教育の姿を伝えるという意味では貴重な「史料」のように思われる。きだみのるの実像とか、タイトルの意味とか、小説上の仕掛けや論点は色々あるのだが、そこまで読み込む気にはなれなかった。