DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

あまのあめの『ピンクロイヤル』B、メアリ・W・ウォーカー『凍りつく骨』B

【最近読んだ本】

あまのあめの『ピンクロイヤル』(全2巻、MeDuコミックス、2019~2020年)B

 戦隊もので変身ヒロインものである。昔戦隊ものが好きだった女の子が、ある日突然、戦隊ヒロイン・ブキレンジャーのピンクアローとして戦うことになる。最近の魔法少女もののように、かなり戦隊ものというジャンルに批評的であり、戦うのが女性ばかりだったり、かなり死に方が惨たらしかったり、戦いが終わっても救いがなかったりと、グロテスクな表現が多い。

 しかし、そういう批評的な視点が目につくせいか、やや引いた構図が多いせいか、心情やドラマがあまり感情的に訴えてこないところがある。なぜ女性ばかりが戦うのか?など、一応謎解きをしてちゃんと完結しているものの、作者的にはまだまだ構想があったことが語られている。全何巻の予定だったのかわからないが、ちょっともったいない気がする。

 

メアリ・W・ウォーカー『凍りつく骨』(矢沢聖子訳、講談社文庫、1993年、原著1991年)B

 ベテランの犬訓練士・キャサリンは、不況のあおりで破産寸前のところ、長いあいだ音信不通だった父から援助の申し出を受ける。それにすがるべく、30年以上ぶりに父に会おうと、彼の働く動物園を訪ねた彼女は、数時間前に父がトラに喰い殺されたことを知らされる。あまりに不自然な父の死に不審を覚えた彼女は、動物園で働きながら、動物園の中で進行している陰謀、そして突然連絡してきた父の真意を知ることになる。

 テキサスの動物園が舞台という変わったミステリである。序盤の、借金で四方八方からどんどん追いつめられていくところが、厭味ったらしい銀行の人とのやりとりなど、つらいながらも迫真の描写で読ませる。ミステリとしては、動物園ならではの、ヘビやトラの生態を利用したトリックや、犬訓練士としてのスキルを生かした抵抗など、アイデアも多彩であるが、序盤の波乱につぐ波乱にくらべると、主人公の立場が安定してきてしまうとやや見劣りする。

 とはいえ、主人公もまたひとつの悪を見逃すことで平和を得るという、単純に正義と悪の二分法にならない終わり方は、序盤の厭らしさが戻ってきたようで良い。

 ちなみにwikiによると、作者の元夫はDellの社長らしい。40代半ばにデビューして4作ほど書いたが、98年を最後に執筆は途絶えているようである。

桐野夏生『顔に降りかかる雨』B、ディーン・R・クーンツ『ファントム(上・下)』B

【最近読んだ本】

桐野夏生『顔に降りかかる雨』(講談社文庫、1996年、単行本1993年)B

 桐野夏生としての実質的なデビュー作。実は桐野夏生自体がちゃんと読むのは初めてなのだが、それをもったいなかったと思うくらいの面白さはあった。もともとベテランであったとはいえ、第一作からこのレベルというのは、相当に話題になったのではないだろうか。

 女探偵・村野ミロが、依頼というよりは巻きこまれる形で、大金をもって失踪した友人を捜すことになる。その調査の過程で、ノンフィクション作家として派手な暮らしをしていた彼女の、見栄に満ちた裏の顔を知ることになる。

 二つの関係のない事件が偶然かさなったことで話が複雑になっていたという真相はありがちであるが、登場人物が裏社会を生きる大物だったり怪物的に自分本位だったりとそれぞれに印象的であり、意外に読みやすい。

 ただ、友人の夫との恋愛のくだりは必要だったのかどうか。こんな状況で恋心が芽生えるものかどうか、こういう展開を見るといつも疑問になるのだが、どんなものか。しかも少し調べてみると、これがシリーズの後の作品にも影響するようであるし。

 

ディーン・R・クーンツ『ファントム(上・下)』(大久保寛訳、ハヤカワ文庫、1988年、原著1983年)B

 かつてはスティーヴン・キングと並び称され、その後あま名前を見なくなったモダン・ホラーの第一人者の代表作である。読むと、なるほど当時話題になったのもわかる。最初は、ある町の住人がすべて、つい一時間前に一斉に消えてしまったり、変死体になって発見される事件が起こる、というホラーの定番のような導入で始まる。

 ここに偶然迷い込んだ姉妹の目を通して、謎につぐ謎を提示して恐怖を煽っておいたところで、現代の最新装備の軍隊が導入されて科学的な調査が始まるというのが面白い。分析の結果、残された液体が完全な純水だと驚いたり、変死体にまったく菌が繁殖していないと驚いたり、コンピュータのモニターを介して謎の存在と会話したり、最終的に化物を科学的な手段で打倒したりと、ともすれば笑ってしまうようなことを大真面目にやっていて、デスノートばりの実験的な作品になっている。ただまあ、やはりどうしてもあちこちで笑いがこみあげてくるのは確かで、発表当時に本当にそんなに怖かったのかどうかはよくわからない。

 なお、原書ではさらにあとがきがあって、この作品のせいで自分は「小説家」ではなく「ホラー作家」として認知されてしまった、という後悔を皮肉げに語っていて面白い。

とこみち『君が肉になっても』A、V・C・アンドリュース『オードリナ(上・下)』B

【最近読んだ本】

とこみち『君が肉になっても』(ヤングジャンプコミックス、2020年)A

 『見える子ちゃん』の二番煎じのようなものを予想して読んだら、独自の世界を構築していて面白かった。ジャンルの上では百合でホラーということになるのだろうか? 眠ると、肉の塊のような化物になって人を喰うようになってしまった女の子と、それと知りつつ彼女と一緒にいようとする女の子の話である。

 画風の問題もあるのかもしれないが、特に後者の女の子が変で、怪物になった友人がどれだけ危険な存在になっても、無表情に近い笑顔で、なにか理屈をつけてやりすごしたまま日常を続けようとする。化物になった友人が猫を食べたことについて、うちの猫じゃないから良いとか。その中で、彼女は友人のことが本当に好きであるということに気付いていく。けなげとも違うし、単純に狂気とも違う、淡々とした奇妙な読み心地である。読者は――時に主人公も、すべては後になって知る。死んだ子が実は彼女たちの親友だったこととか、世界は滅んでしまったことも後になって知る。すでに決まったことを受け入れることを繰り返して、淡々と進んでいく。

 おもしろいと思って読んでいたら、1巻で完結とのこと。もったいないことである。

 

V・C・アンドリュース『オードリナ(上・下)』(中川晴子訳、サンケイ文庫、1986年、原著1982年)B

 昔はブックオフにいくらでもあったアンドリュースの作品群も、買わないでいるうちにすっかり見なくなってしまった。

 本書は、シリーズものの多いアンドリュース(およびその後継者)の作品の中で、唯一単巻のものである(これも最近になって続編が出たが)。

 ジャンルとしては、ゴシックロマンスでサスペンスホラーということになるだろうか。9歳の幼さで不幸な事故で亡くなった姉・オードリナと同じ名をもち、彼女の生まれ変わりとなるべく運命づけられた少女・オードリナと、彼女をとりまく一族のおりなす愛憎劇である。

 独善的な父、いじわるな従姉と伯母、優しいが無力な母たちとともに森の奥の屋敷に暮らしている。外界との接触を禁じられ、夢うつつのような不思議な感覚のなかで生きる彼女は、しかし成長するにつれ、近所に住む少年との出会いや従姉の家出、不思議な力をもつ妹の誕生といった事件を通して、自分のおかれた世界の不自然さと異常さに気付いていく。

(以下ネタバレ)

 9歳で近所の少年たちに強姦されたオードリナを「救う」ため、家族が示し合わせて時間感覚を狂わせ、自分が別人のオードリナであると思い込ませるようにした、という真相は、綾辻行人の某作品を想起させるが、これがヒントになったということはないのだろうか。

 ゴシック小説が超自然的なものへの畏怖が必要不可欠なものとしてあるのであれば、すべての「運命」があくまで人工的なものでしかない本作はアンチ・ゴシックと言えなくもない。それでも彼らはそれに縛られて生きざるを得なかったところに哀しみがある。

真梨幸子『縄紋』B、ジョン・スミス『スカイトラップ』A

【最近読んだ本】

真梨幸子『縄紋』(幻冬舎、2020年)B

 イヤミスの名手として名高い作者による、400ページにおよぶ伝奇ホラーということなのだが、あまり楽しめなかった。伝奇小説というのは多分にロマンを楽しむものであり、一方で真梨幸子の本領であるイヤミスというのは、ロマンを破壊されるところにマゾヒスティックな快楽があると考えれば、どうにも食い合わせが悪くなる。

 本書では『縄紋黙示録』という自費出版小説の原稿と、その校正をすることになった男を中心に、その内容をめぐり巻き起こる事件を描いている。登場人物としては、主人公の家に強引にあがりこんで相棒のようになる男や、やたら説教臭く不安をあおる女医など、真梨幸子らしい嫌な人ばかりであるが、一方で『縄紋黙示録』の探究を通じて明かされる縄文時代の真実についてはみんなやたら素直に感心していて、どうにも鼻白む。変にスピリチュアルで自分語りの比重が多いところはいかにも自費出版物という感じでうまいのだが。あまりスピリチュアルな内容に登場人物が感心していると、作者がどの程度本気なのか不安になってしまうのは現代となっては避けられない。64年生まれの作者としては、スピリチュアルやニューエイジというものにそれなりな思い入れがあるのかもしれないが。

 終盤、『縄紋黙示録』から現在の話が中心になると、それまで伏線のように語られていた犯罪事件とリンクしてくる。殺人事件の犯人と目撃者の心理戦や、『縄紋黙示録』の内容と著者をめぐるカルト的な動きが背景に現れてきて、今まで読んできた構図が一変し、がぜん面白くなってきたところで、終わってしまう。そのあたりの盛り上げ方はさすがなのだが、面白くなるのがいかんせん遅すぎたと思う。連載中に読んでいたら迷走している感じがかなり強かったのではないか。

 

ジョン・スミス『スカイトラップ』(冬川亘訳、ハヤカワ文庫、1985年、原著1983年)A

 著者がジョン・スミスなどという検索のしにくい名前で、他の作品はなにがあるか苦労して調べてみたら、現在は「ジョン・テンプルトン・スミス」という名前で書いているらしい。それはそうだろうな。

 事故が原因で飛行恐怖症になったパイロットが、アフリカのマラウィで物資輸送の依頼を受ける、というあらすじを読んで、恐怖症との戦いと飛行のロマンがメインになるのかと思ったら、実際にどうにかして飛ぶまでが長い。どうも依頼に裏があると思った主人公は、物資の輸送を隠れ蓑にしてダイヤモンド密輸の片棒をかつがされていることに気づく多が、敵も嗅ぎまわられるのを嫌って、真相を隠すために次々に殺人事件が起こる。

 これが元恋人やその夫の大富豪など重要そうな人物があっさり殺されたり、有力な証人を捕まえたのに突然あらわれた豹に殺されたり、予想のつかないめまぐるしい展開で楽しめたのだが、解説を読むとこの辺が新人デビュー作らしい稚拙さと取られているようにも見える。出てくる者がみな小悪党という感じで、最後に明かされる黒幕もそんなに大物感がないが、個人的には悪くないと思う。

 ただ著者が現役パイロットであるせいか、その辺のディティールがすごくて、ダイヤの隠し場所など、それで本当に気づかれないものなのかよくわからない。訳者泣かせのようだったが、実際英語圏の人でもどれくらいわかるものなのか。

矢部嵩『紗央里ちゃんの家』B、佐神良『僕らの国』B

【最近読んだ本】

矢部嵩『紗央里ちゃんの家』(角川ホラー文庫、 年)B

 「僕」が毎年恒例で訪れる親戚の紗央里ちゃんの家は、小学5年の年はどこか違う。祖母がいつの間にか亡くなっていたと知らされ、紗央里ちゃんはおらず、出迎えた叔母は包丁をもって血まみれで現れ、誰に何を聞いても答えてくれない。そして何が起こっているのか探る「僕」は、洗面所の床に指が落ちているのを発見する。

 ほとんどの文が「た。」で終わっているのが気になるが、文庫で160ページ程度で一気に読める。どうやら祖母は殺されていたらしいとわかってくる状況だけでなく、「僕」が落ちている指を隠すために口に放りこむなど、語り手自身も大幅に狂っているとわかってくる構成は手法としてはベタであるが、グロテスクな描写の連打や、コミュニケーションがまったく取れないわけでもないギリギリを攻めた会話など、飽きさせずに読ませる。

 真相は漠然としたまま、解説もなく終わってしまうが、それもまた宙づりにされて良しである。

 

佐神良『僕らの国』(光文社、2005年)B

 南関東が大震災により崩壊し、大規模な気候変動で人跡未踏の「自由地帯」となった旧幕張地区。10年後、熱帯のような奇妙な生態系が発達したそこへ、生物部の調査として高校生たちが潜入する。青春の一コマになるはずだったそれは、一人のメンバーが行方不明になったことで暗転し、彼らは遭難した末に、震災後もそこで独自の生活を営む子どもたちと出会う。

 震災後も外部と接触を絶ってコミューンを形成する特殊な学校の存在を軸に、その背後に隠されている陰謀、教師たちや子どもたちそれぞれの夢や思惑、真実を知ったものたちの怒りや葛藤が描かれ、終盤は二転三転する真相の果てに、すべての崩壊と残されたものたちの再生へ続く。近未来サバイバル小説として面白い要素がてんこもりのはずなのだが、しかし思ったほどの満足感は得られない。

 個人的には、自然描写が薄かったのが不満かもしれない。幕張地区には熱帯のジャングルのような生態系が発達しているはずなのに、読んでいると普通の原っぱを歩いているような感じであるし、いくら自然の浸食になすがままであるとはいえ、もともと関東であった痕跡もあまり言及されない。ビジュアルでもっと見せてもらえば違ったのかもしれないが。自然描写だけでひとつの作品として成り立ってしまうような濃密さがほしかったと思う。

 とはいえ、作者としては本当に書きたかったのはむしろ後半になって明かされてくる、奇妙な教育理念を掲げる学校の姿であり、それが未曾有の事態にどう立ち向かえるかということであり、そうした学校のオトナたちに思惑に翻弄されながら自分の夢のために生きる若者たちという構図にあるのだと思う(作者は塾講師らしい)。ただ、そうだとするなら、オトナたちがあまりに子どもじみていて、あまりそういった対立という構図は明確にはならなかった気がする。

 しかしそれでも、終盤で夢やぶれて次々に死んでいく少年少女の姿は、どうしようもなく胸を打つものがある。それが無駄死にであろうと、報われなかったとしても、彼らは生きていたという痕跡を読者には残していくのである。それはつまり、文句はいいながらも、確かな世界を見せてもらえたということであろう。

購書記録211023

【最近買った本】

 なんだか、最近ブックオフは良い本がなくなってしまったなどと、バカにされて当然の扱いばかりなのが、ブックオフばかり行っている身としては癪なので、備忘録も兼ねて買った本のメモを挙げてみる。コミックなど最近のものは割愛する。

 

10月23日、都内のブックオフにて(順不同)

吉川英治『魔粧仏身』吉川英治歴史時代文庫

内田樹『最終講義』文春文庫

中丸明『好色 義経記新潮文庫

岡本綺堂『綺堂随筆 江戸のことば』河出文庫

佐藤賢一『双頭の鷲 下』新潮文庫

村上龍『ヒュウガ・ウィルス』幻冬舎文庫

中村哲アフガニスタンの診療所から』ちくま文庫

宮沢章夫『笛を吹く人がいる』ちくま文庫

堀和久中岡慎太郎 下』人物文庫

寺尾五郎『中岡慎太郎坂本竜馬』徳間文庫

石光真清『誰のために』中公文庫

松田賢弥『したたか 総理大臣・菅義偉の野望と人生』講談社文庫

ドナルド・キーン明治天皇を語る』新潮新書

木下半太『サバイバー23区』講談社ノベルス

西村望『犬死にせしもの』徳間文庫

原田宗典『はらだしき村』集英社文庫

原田宗典『少年のオキテ』集英社文庫

『日本史探訪 20 幕末に散った火花』角川文庫

三浦朱門『四世同堂』朝日文庫

沼正三家畜人ヤプー 04』幻冬舎文庫

戸板康二『小説・江戸歌舞伎秘話』扶桑社文庫

菊池寛『受難華』中公文庫

藤森照信『建築探偵の冒険 東京篇』ちくま文庫

ピーター・スワンソン『ケイトが恐れるすべて』創元推理文庫

ゲイ・タリーズ『覗くモーテル観察日誌』文庫

ディケンズ『ボズのスケッチ 短篇小説篇 上』岩波文庫

ペトロ・ネメシュギ『ペピの青春物語』パウロ文庫

片岡義男『一日じゅう空を見ていた』角川文庫

片岡義男『ふたとおりの終点』角川文庫

ローレンス・ウェルズ『さらばロンメル 上』扶桑社ミステリー

ジェームズ・ヒルトン『失われた地平線』新潮文庫

エド・ゴーマン『影たちの叫び』創元推理文庫

栗本薫グイン・サーガ 4 ラゴンの虜囚』 ハヤカワ文庫

ラーシュ・ケプレル『砂男 上・下』扶桑社ミステリー

テリー・ホワイト『真夜中の相棒』文春文庫

テリー・ホワイト『刑事コワルスキーの夏』文春文庫

テリー・ホワイト『木曜日の子供』文春文庫

リチャード・バウカー『上院議員 上・下』創元推理文庫

嵐山光三郎昭和出版残侠伝』筑摩書房

和田健男『秩父 竜人三代記』叢文社

小林弘二『戦後日本の知識人は時代にどう向き合ったか』教育評論社

松本健一明治天皇という人』毎日新聞社

清水一嘉『自転車に乗る漱石』朝日選書

『国際情勢ベーシックシリーズ 東欧』自由国民社

大澤真幸『帝国的ナショナリズム青土社

エドガー・エバンス・ケイシー他『エジプトからアトランティスへ』たま出版

中川美穂子『動物と子ども 園での飼い方・育て方』フレーベル館

J-P・サルトル『嘔吐』人文書院

『すべてがわかる世界遺産大事典 上』

『諸君!の30年 1969~1999』文藝春秋

植島啓司伊藤俊治『共感のレッスン』集英社

持丸博・佐藤松男『三島由紀夫福田恒存 たった一度の対決』文藝春

ユニティ・ダウ『隠された悲鳴』英治出版

桂千穂桂千穂のシナリオはイタダキで書け!』メディアックス

武田佐知子『衣服で読み直す日本史』朝日選書

篠田節子『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』文藝春秋

山口瞳『江分利満氏の優雅なサヨナラ』新潮社

神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房

『完全保存版 向田邦子を読む』文春ムック

『文藝別冊 山口瞳河出書房新社

『文藝別冊 森見登美彦河出書房新社

吾峠呼世晴鬼滅の刃 零巻』ジャンプコミックス

ジュラシック・パーク』(DVD)

以下略 計107冊

近藤雅樹『霊感少女論』B、落合信彦『崩壊 ゴルバチョフ暗殺』B

【最近読んだ本】

近藤雅樹『霊感少女論』(河出書房新社、1997年)B

 甲南大学松山大学甲子園短期大学などで民俗学や人類学を教えるなかで得られた心霊体験を分類・分析してまとめた本。

 さまざまな心霊体験の事例集としては面白い。冒頭にエピグラフのように挙げられた、

 ある日、昼食後に居間で父とふたりでテレビを見ていた私は、ついウトウトと眠ってしまった。そして、不意に、20センチメートルほど宙に浮きあがったかと思うと、今度は、いきなり突き落とされる感じがして目がさめた。一瞬、夢だと思った。ところが、驚いたことに、父がこう言ったのだ。

「お前、ナニ浮いてるんだ? それに、急に落ちるし……」

 などは、本当はもっと長い話なのだが、いったい誰が異常なのか、色々な解釈ができて、不条理な超短編のような面白さがある。

 ただ、分析の段になると、

 非凡さにあこがれ、好んで風がわりな存在であろうとする意識が、誰の目にもあきらかな一面はあった。そして、自らの非凡さを信じるために、霊感のあることを、機会あるごとにたしかめたがっていた。もっとも、今になって思えば、それは、自己への思い入れから発していたコンプレックスだったのである。(p.76)

 彼女たちは、そのようにして「霊感少女」のふるまいを見せることで、いったい、何を望んでいたのだろう。

 答えは簡単である。霊感のあることが、皆の注目を集め、座の主導権を握って主役化する鍵になるからだ。(p.86)

 といった記述がいくつも見られ、内心ではバカにしている風があるし、学問的な枠組みとしてスティグマ通過儀礼を持ちだしてくるのも図式的である。まだこの時点では、こういったテーマを語るツールが少なかったのだろうが。あくまで事例集として読みたい。

 なお、この事例が収集されたのは平成3年~6年。オウム事件がこういった体験談にどのような影響を及ぼしていったのかは気になるところである。

 

落合信彦『崩壊 ゴルバチョフ暗殺(全3巻)』(集英社文庫、1992年)B

 『崩壊① ゴルバチョフ暗殺・野望篇』

 『崩壊② ゴルバチョフ暗殺・欲望篇』

 『崩壊③ ゴルバチョフ失脚』

 という3巻構成になっている。1992年発行ということで、3巻をかけてソ連崩壊の内幕を描いているのかと思ったら、架空人物オンパレードの1巻完結のスパイ小説が3巻つづいて、なにごとかと思って確かめてみたら、

 

 1989年10月 『ゴルバチョフ暗殺』刊行(文庫の野望篇)

 1990年3月  『ゴルバチョフ暗殺Ⅱ』刊行(文庫の欲望篇)

 1991年2月  『ゴルバチョフ失脚』刊行

 1991年8月  ソ連8月クーデター

 1991年12月 ゴルバチョフ大統領辞任・ソ連崩壊

 1992年11月 『ゴルバチョフ暗殺』『ゴルバチョフ失脚』が、

       『崩壊』全3巻として文庫化

 

 という流れで、ソ連崩壊の舞台裏を描くことなど期待のしようもなかった。結果的には、ゴルバチョフの退陣が近いことを、ギリギリで予測してみせたということになるだろうか。もっとも、本書の場合、ゴルバチョフは3回にわたる暗殺計画を防ぐが、最終的には保守派の台頭に逆らい切れず、大統領ではいるものの、改革への意欲は失った傀儡になりさがるという結末になっている。正直なところ、92年に3巻もかけて文庫化する必要があったのかどうかよくわからないが、それだけ当時の落合が人気作家だったということだろうか。

 スパイ小説としては、ロシアの人名が多数出てくる割りには読みやすい。ゴルバチョフに心酔する秘書官のソローキンを中心に、改革を歓迎して彼に協力する英米諜報機関、改革を好まないソ連内部の保守派、そして彼らに弱みを握られ荊軻のような無謀な暗殺計画に身を投じようとする暗殺者たちなど、ワンパターンではあるが、ドライすぎもせず、ウェットすぎもせず、ストレスなく読める。ただ本当に、92年にさえ文庫化する意義があったのかどうかはよくわからないのだが……