DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

 ダシール・ハメット『血の収穫』(田中西二郎訳、創元推理文庫)を、読んだ。
 パースンビル――別名ポイズンビルとも呼ばれる悪の巣窟に、名無しのオプこと「おれ」が乗り込み、地元の警察やギャングたちの対立を巧みに煽って殺し合いに発展させ、悪を一掃していく。
 ハードボイルドの祖と言われるだけのことはあって、淡々とした「乾いた」文体、血と暴力、行動派のしたたかな主人公、一癖もふた癖もある美女、洒落た会話など、想像される要素はすべてそろっている。
 しかし読んでいて思ったのだが、これはそのまま日本でやると全くハードボイルドにはならない。特に奇異なのが、「おれ」が全く何の動機もなくポイズンビルを壊滅に追い込んでいる、というところである。一応出発点には大富豪の依頼があるのだが、それは途中で撤回されるのであり、「おれ」はそれを無視し、上司の意向にも逆らって直接手を下さずにギャングたちを皆殺しにする。現代日本を舞台にこんな話を描いたら、それはハードボイルドではなくサイコホラーである。プロットだけを見ると、たとえばドラマ『魔王』が似た作品として思い浮かぶが、しかしあれは大野智演じる主人公に強い復讐の動機があるし、悲劇であって、ハードボイルドでは全くない。新井英樹のバイオレンスものだって、主人公には色々と行動の背景があったはずだ。「おれ」にはそれすらなくただただ人を死に追い込んでいるのに、読んでいる間はあまり気にならない。一番近いのは大石圭なのだが、あれはまさしくホラーである。
 これは主人公の性格云々ではなく、根本的に「場」が違うのではないか。「おれ」の行動が許されるような街=ポイズンビルが舞台であるからこそ、この作品は「ハードボイルド」たりえるのではないか。ギャングが街で絶えず撃ちあいをし、警察も抱き込まれていて、正義なんてものが通用しない街。そういえば、大藪春彦北方謙三の小説を読んでいると、現代日本という気が全くしない。あの「世界」は一瞬一瞬がハードすぎて、生き残れる自信が全くないのだ。
 つまるところ「ハードボイルド」とは、主人公の美学などではなく、主人公のそういう行動を許すような「場」のことだったのではなかろうか――と、改めて読んでみて思った。

血の収穫 (創元推理文庫 130-1)

血の収穫 (創元推理文庫 130-1)