嶽本野ばらの『デウスの棄て児』(小学館、2003年、文庫版2008年、kindle版2013年)を読んだ。
- 作者: 嶽本野ばら
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2003/06
- メディア: 単行本
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本作は、2002年の『下妻物語』の約1年後に発表されたもので、『下妻物語』が2004年に映画化され、『エミリー』(2003年)や『ロリヰタ』(2004年)などが相次いで三島由紀夫賞候補になっていたことを考えると、著者にとっては一つのピークにあたる時期のものである。しかしあまり話題になった記憶はない。
島原の乱を描いた小説として本書が異色なのは、天草四郎をメインに、彼に絞って描かれていることである。島原の乱を描いた小説は少なくない数あるが、そのほとんどは、島原の乱を、大きな歴史の流れ――大阪の冬の陣・夏の陣から由比正雪の乱に至る徳川幕府への反乱史や、徳川家光による幕藩体制や鎖国体制の確立といった、つまり過渡期の一現象として描いている。そのせいで、堀田善衛『海鳴りの底から』、新宮正春『島原軍記 海鳴りの城』、石牟礼道子『アニマの鳥』、飯嶋和一『出星前夜』、あるいは大仏次郎や早乙女貢の両『由比正雪』など、とにかく長い。当時の経済や社会の全体像を描こうとするものだから、大河小説と呼ばれるようなスケールの大きなものになる。その代わり、天草四郎はあまり目立たない、お飾りのような存在になってしまう。
その点、本書では単行本で174ページととにかく短い。それでいて、史実はしっかりおさえた上で、島原の乱を、あくまで天草四郎が中心となった反乱として描いている。嶽本は彼の「奇蹟」やカリスマに説得力を持たせるために、四郎がポルトガルで生まれ育ったという設定を導入している。四郎の父の益田甚兵衛は、自己の保身のために、自分の妻をポルトガル商人の求めるままに売り渡し、妻は異国で四郎を産む。彼はそこで、キリスト教の腐敗に直面するが、同時にひそかに異端神学を研究する神父に出会い、グノーシス派の教義に触れ、一種の超能力を使えるようになる。このあたりは澁澤龍彦めいている。帰国した四郎は人心の荒廃を目にし、深い絶望の末、自らのカリスマを駆使して自滅的な反乱を起こすことになる。熱心なキリシタンではなく神の否定が動機というのも珍しいが、ここで積極的に軍師を務めるのが、傍観者的に描かれることの多い山田右衛門作(絵師。数少ない島原の乱の生き残り)であるというのも珍しい。
もちろん乱は鎮圧され、四郎は滅びの中で、自分を敬虔なキリシタンと信じてともにあろうとする、無知な娘たちの信仰の純粋さに触れ、救済されて最期を迎える。このあたりの、正統な教義によらない個人の内面を重視する信仰の在り方は、遠藤周作にも通じるものがある。それでいて、他者におもねらない美学の貫徹というテーマが寓話的に描かれている点で、間違いなく嶽本野ばらの小説世界でもある。
何しろ島原の乱は、反乱に加わった者のほとんどが死んでしまったため、内部で何が起こっていたのかはほとんどわかっていないので、想像力の働かせどころなのである。ただし、嶽本野ばらにこれを書かせたのは、歴史家としてではなく小説家としての想像力だろう。この物語の原型は、宗教反乱や農民反乱などではなく、90年代の新興宗教の発生と滅亡の物語であるからだ。四郎の行動は、ささやかな奇蹟が、プロモーターに見出され、ビジネスとして社会に処を得て肥大化していき、やがては誰にも制御しきれない怪物となり、破滅に至るという、新宗教のテンプレートにより描かれている。その意味では、篠田節子の『仮想儀礼』や荻原浩『砂の王国』、最近の中村文則『教団X』などの系譜に位置づけられるべきものである。とはいえこれらの作品のようには、嶽本は社会に比重を置かない。だから嶽本の作品はあの短さで、同テーマの作品を描くことができた。
だから、嶽本野ばらがこの後、天正少年使節団や少年十字軍といった題材にも、宗教をテーマにしたスケールの大きな作品にも向かず、個人にとっての美学の追求を描き続けた(そして恐らく今も続けている)のは、必然的なものであったといえるだろう。
- 作者: 嶽本野ばら
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2008/08/06
- メディア: 文庫
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- 作者: 嶽本野ばら
- 出版社/メーカー: 小学館
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