DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

 国分寺公彦の『偽造手記』(新潮社、1999年)を読んだ。

 特に何も書いてないが、第10回ファンタジーノベル大賞(1998年)の候補作品だったらしい。この時の大賞受賞作品は、山之口洋オルガニスト』の他、優秀賞が沢村凛『ヤンのいた島』、涼元悠一『青猫の街』となっている。彼らが現在も活動を続けているのに対し、本書の著者のその後の活動は不明である。プロフィールによると、

1958年京都市生まれ。1984早稲田大学大学院修了、文学修士。1988年英国イースト・アングリア大学大学院修了、MA(修士)。英米小説および小説理論を研究。以後、大学で教鞭を執るが、1998年神秘学研究のため職を辞す。東西の様々な身体技法や舞踊にも関心を持ち、身体論、舞踊評論などを発表。

 とあり、本書の文庫版である『盗み耳』(角川ホラー文庫、2001年)での記述もほとんど変更はない。もしかしたら変名で活動を続けているのかもしれない。
 国分寺公彦名義での唯一の著作である本書は、つまらなくはないがものすごく面白いということもなかった。デビュー作ゆえの生硬さ、不器用さが、物語を不自然に長く(280ページある)、単調にしてしまった感がある。短編小説としてなら、あるいは面白くなったのではないか。
 内容は、それほど珍しいものではないように思われる。まず、ある男が高尾山中の崖で転落死する。男の名は成瀬充。警察の調べでは、男の妻はある男と不倫の関係にあり、夫に多額の保険金をかけていた。当然妻と浮気相手に容疑がかかるが、今度は浮気相手が同じ崖から転落する。奇跡的に命をとりとめた彼は、自分は成瀬充であると名乗り、奇妙な手記を書き上げる。そこには驚くべき内容が記されていた――
 この手記がやたら長くて、8割以上を占める。要は成瀬充氏が、妻の浮気に気付き、浮気相手のことを詳細に調べるうちに、いつの間にか自分が浮気相手自身の自我に乗り移っている――という話である。アイデンティティ崩壊を扱った作品は無数にあるが、これもその一つに数えられる。ここでは薬物やテクノロジーによるものではなく、相手の情報を集めて行った結果、相手そのものとなってしまうというものである。神秘主義的な文脈では対象との一体化というテーマはよくあり、何が参照されているかははっきりしない。
 しかしそういった「哲学的考察」はともかく、むしろここで読みどころとなるのは、成瀬充が浮気相手のことを調べるうちに、それに熱中していく過程であろう。裏切られた屈辱や、浮気相手への復讐心は最初からほとんどなく(少なくとも手記中で語られることはなく)、妻の日記を精密に読み込み、浮気相手の身元や何をしているのか、自分のことを本当はどう思っているのかといったことを暴き出していくのが欲望と快楽の対象となっていく。覗き見そのものへのフェティッシュをあふれさせる文章は、読んでいるうちに倒錯的な楽しみを覚えつつも、挫折や敗北を認めないインテリのプライドを感じさせて、どこか物悲しさも感じさせる。そのあたりも「偽造手記」の所以かもしれない。
 残された男はただの狂人なのか、それとも本当に成瀬充の自我なのか、すべては明かされないまま物語は幕を下ろす。結局のところ、「成瀬充の手記」こそが著者の書きたかったもので、他は枠物語に過ぎなかったというのなら、「手記」はあまりにも長すぎ、あまりにもテーマを越えて、書くことそのものへ熱中しすぎていたと思う。先にも言ったように、短編小説、せめてこの半分の長さなら、良い読書時間が得られたと思う。
 しかし、最後までよくわからなかったのが、二人を結ぶ存在だった妻である。成瀬充が浮気を知ることになった日記を書き、彼の目に届くところにおき、事故後は冷淡な態度で姿を現しもしない、二人のどちらかの子を宿す妻が、一体物語の中でどんな役割を果たしているのか。すべてを知らないままなのか、実はすべてを操っているのは彼女という真相が明かされるのか――どうせそうなるのだろうと思っていたら何もなかった――最後までほったらかしで、不全感が残った。
(個人的にはこの系統では井上夢人の『メドゥサ、鏡をごらん』(1997年)のほうが完成度が高かったと思う)

偽造手記

偽造手記

盗み耳 (角川ホラー文庫)

盗み耳 (角川ホラー文庫)