広瀬仁紀『適塾の維新』(時代小説文庫、1983年、単行本1976年学芸書林刊)を読んだ。
緒形洪庵の適塾に入門した二人の青年――鶴見斧吉と武田太郎。冷静沈着と直情径行という違いはあれど、二人そろって世間知らずで不器用、しかし情には篤いというコンビが、幕末の世で医師として成長していく姿を描く。初めは適塾で福沢諭吉らとともに蘭学を学び、のちには松本良順のもとで医術を学び、沖田総司の結核診療の縁で新選組とも関係を深めていく、という具合で、幕末の有名人物も諸所に登場し、時代の激流は二人の青年にも容赦なく試練を与えていく。
なるほど面白いのだが、適塾を中心とした歴史小説を期待して読むと不満が残る。実在の塾生としてちゃんと出てくるのは緒形洪庵と福沢諭吉くらい、また福沢は良い兄貴分程度の存在でしかなく、歴史の動きにはほとんどかかわらない。大村益次郎でさえ、あとの方になって思い出したように出てくる程度である。
要は資料不足だったという事かもしれないが、それが露骨に出るのが終盤である。主人公の一人である斧吉は、新政府軍の暴虐を目の当たりにし義憤に駆られ、土方歳三に従って戊辰戦争、箱館戦争に医師として従軍するのだが、まるで最前線に一緒について回って医療活動に従事したように描かれていた。実際は吉村昭が『夜明けの雷鳴』で描いたように、同じ適塾出身者の高松凌雲らが後方に箱館病院なるものを設立し、敵味方を問わない中立地域的な医療活動を展開したようだが、そのことには全く触れられることはない。これは省いたのではなく、ただ単に知らなかったとしか思えない。発表当時は直木賞候補にもなったようだが、司馬遼太郎、水上勉、松本清張といった面々が選考委員だった当時では、受賞は難しかっただろう。
とはいえ、歴史の勉強という点を無視するなら十分読んで楽しめる。実際のところ、著者の私小説的な部分があるのではないか、というのが読んだ感想である。斧吉ら適塾の塾生たちは、勉学に励む傍ら、お金のないのを何とかやりくりして芝居を見に行ったり、酒やご馳走にありついたり、慣れない牛鍋に閉口したり、芸妓に惚れたりして、時に福沢や洪庵に迷惑をかけたりもするのだが、この描き方は井上ひさしや遠藤周作が描いたバンカラ学生小説に近いものを感じる。ということは、ふんだんな幕末・明治の風俗描写(ここはかなり調べているように見える)を隠れ蓑に、井上や遠藤の技法で自身の学生時代を描いて見せた――というのが本作なのではないか。恐らくその手法は同時代的な共感は得られただろうが、現代においてはどこか遠いものになってしまう。著者は本作により小説家デビューし、その後企業小説、新選組を中心とした歴史小説を多数発表したが、今ではほとんど忘れられているのは、そのせいもあるのかもしれない。
- 作者: 広瀬仁紀
- 出版社/メーカー: 富士見書房
- 発売日: 1983/11
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