DEEP FOREST/幻影の構成

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 翔田寛『参議暗殺』(双葉文庫、2011年、単行本『参議怪死ス 広沢真臣暗殺異聞』、2004年)を読んだ。

参議暗殺 (双葉文庫)

参議暗殺 (双葉文庫)

 広沢真臣(1834-1871)は、長州藩出身者として、木戸孝允前原一誠とともに明治維新の第一の功労者として讃えられた人物である。維新の十傑にも数えられ、明治天皇の信任も篤かったが、新しい体制を創ろうとする矢先の明治4年1月9日、前触れもなく暗殺されてしまった。妾と寝ていたところを滅多刺しにされるという凄惨な死にざまであったという。この事件が政府に与えたショックは甚大で、明治天皇自らが必ず犯人を捕えよとの詔勅を下したほどだったが、生き残った妾や当時の不平士族など様々な容疑者があがったものの、犯人はわからずじまいとなった。
 広沢自身は十分な力を振るえないまま死んでしまったため、その功績にもかかわらず歴史にほとんど名が残せなかったが、事件自体は迷宮入りしたこともあって作家的想像力を刺激するところもあるようで、本作の他に高橋義夫『闇の葬列 広沢参議暗殺事件捜査始末』、山田風太郎『天衣無縫』、佐賀潜『暗殺 明治の暗黒』、三好徹『謎の参議暗殺 明治暗殺秘史』などで扱われている*1。いずれも廃藩置県明治4年)、徴兵令(明治6年)、廃刀令明治9年)、と続く不安定な変革期、そしてその反発としての、西南戦争明治10年)へと至る士族の諸反乱運動を背景に、広沢暗殺事件を起点として明治の暗黒面を描くというアプローチが多い。だが、三好徹が「それにしても、政治的テロだったのか、痴情の果ての反抗なのか、さっぱりわからない」と述べているようにその「真相」は、政府と不平士族の暗闘に巻き込まれたことにしたり、妾を広沢のみならず政府をも手玉に取った妖婦としたりと、落としどころは人それぞれである。
 こういった作品群の中で本作は、明治政府の警察機構である刑部省・弾正台廃止と司法省設立・保守勢力の宗教機関である神祇省の廃止といった大改革を背景には扱っているものの、主眼にあるのは明治そのものよりも幕末の闇というべきものである。思い出すのはデイヴィッド・ピースの『TOKYO YEAR ZERO』である。いずれも旧体制の変革期に、心に闇を抱えつつ歴史的事件(デイヴィッド・ピースは小平義雄事件)を追う刑事が主人公となり、時代と自身の闇に向きあうことになる。
(以下ネタバレ)
 真相として与えられる、広沢真臣が関わって殺された「死を招く絵」というガジェットは伝奇ホラー的な印象を与えるが、それが戊辰戦争によって得た心の傷を呼び覚ますという展開は、読後感としてはサイコホラーに近い。本書の特色は、明治初期を描いた小説にトラウマという要素を持ち込んだところにあると思われる。戊辰戦争をはじめとする戦乱の中で地獄のような光景を目にしたことで、殺人嗜好やカニバリズムに目覚める――という展開は、ベトナム戦争や第一次・第二次大戦を背景とした作品にはよく見られると思うのだが、幕末・明治維新期の作品となるとあまり見ない気がする(『るろうに剣心』くらいか?)。もちろん単に心の傷としての描写は大河ドラマ『八重の桜』などにもあったが、大体において明治維新後を描いた小説では、戦った志士たちは、政府の改革に専念するか、志を忘れて豪奢な生活や汚職に手を染めるばかりで、トラウマ話の入りこむ余地はほとんどない。
 しかしそういった栄達を遂げた者たちに対して、あまり取り上げられない不平士族――先に挙げた『闇の葬列』では河上彦斎、古松簡二、雲井龍雄大楽源太郎、中村六蔵などが触れられている――を描くうえで、サイコホラーは有効な枠組みになりうるのではないか。本作は、サイコホラーの中ではあまり傑作と呼べるようなものではないのだが、それを明治期に適用した新鮮さにより、一読の価値あるものとなっている。

*1:ノンフィクションとして出たものでは『NHK歴史への招待第24巻 幕府崩壊』の中で一章割かれている。解説は三好徹・田中時彦・西丸與一。当時の検死官が残した、広沢が傷を負った場所を示す人形の写真が載っていてなかなかの迫力である他、同時期の不平士族による秘密結社的な抵抗運動が別の章で紹介されているなど良書。当時の記録に関する一次史料は「広沢参議暗殺始末」という大部の裁判記録があるようだが、これは国立公文書館にあって公刊されてはいないらしい。犯行現場の状態に関しては、広沢真臣が凄まじい拷問の末殺されたとしている他は、放火の痕跡があるとか、犯人たちの放尿脱糞の跡があるとか、本によってまちまちなので、あまり詳しい資料は残されていないものと思われる