DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

【最近読んだ本】

W・R・ダンカン『女王のメッセンジャー』(工藤政司訳、ハヤカワ文庫、1984年、原著1982年)B

「女王のメッセンジャー」(queen's messenger)というのは、イギリスで機密書類の運搬を担った国際的なネットワークのことである。実在する組織で、現在も存続しているらしい。

 中心となるのはこの組織に属する運搬者――メッセンジャーたち。その一人が香港からイギリスへ機密書類を運ぶ途中に突然失踪し、MI6のエージェント・クライヴが行方を捜索することになる。それと並行し、問題の機密書類を送り主であり、以前から貴重な情報を無償で提供してきた謎の男――チャーリー・エクスカリバーが東南アジアの密林を彷徨する。二つの物語を軸にMI6、KGB、CIAが熾烈な駆け引きを繰り広げることになる。主な舞台がバンコクというのが、当時としては珍しい趣向だろうか。

 刊行が1982年で、作中で鄧小平がシンガポールに接近して情勢が変わる見込みが語られている(「中国人の天才首相がシンガポールの町をすっかり掃除しちゃう」だろうというセリフがある(p.104))ことから、ほぼ同時代を描いていると思われるが、序盤は最新の国際情勢解説というより、東西の諜報機関が入り乱れての頭脳戦といった趣である。

 だが後半になると話がやたら陰惨になってくる。暗殺やマインドコントロール、拷問などにより次々に人が死に、その中には何も知らない民間人も含まれる。結構よいキャラもいるのだ――主人公をなぜか慕って色々助けてくれる現地のタクシードライバーの若者や、彼の友人の用心棒、あるいは消えたメッセンジャーの目的を探るために誘拐された娘など、いずれもプロのエージェントを相手に気丈に立ち向かうが、組織の駆け引きの犠牲となりあまりにも無力に殺されていく。中には憤死に近い死に方をする者までいて、ずいぶん後味が悪い。このあたりはジェームズ・ボンド的なスパイ小説へのアンチテーゼといえるかもしれない。

 徒労とも思える心理的・身体的な凄惨な戦いの果てに明かされるチャーリー・エクスカリバーの正体は、アメリカ人脱走兵という社会派的なオチ。全く予測できなかったが、密林の中をさまよって現地人や仲間や敵と遭遇していくのを読んでいる内にピンと来る人もいるのだろうか。とはいえ暗い展開が続く中では、この意外感は救いにはならなかった。

 物語として質が高いのは確かだが、カタルシスが犠牲にされてしまっているのは残念。

 

 

松本次郎『熱帯のシトロン』全2巻(太田出版 fコミックス、2001年)A

 ベトナム戦争の時代。写真家志望の青年・双真(ソーマ)は、クスリの幻覚の中で見た女の姿を追って、三月町という奇妙な町に迷い込む。「ソーダ」という幻覚剤が蔓延し、代々の巫女が支配するこの町で、ソーマは女の正体を求めてさまよう。しかし近く訪れるという「カーニバルの日」を目前に、町の実権を握る謎の男・ウサギへのレジスタンスの反乱が起ころうとしていた……

 松本次郎の描く埃っぽい退廃した町は、山本直樹『レッド』や藤原カムイ大塚英志アンラッキーヤングメン』の端正な絵より、あの時代の雰囲気に合っているかもしれない。序盤のハードボイルドな雰囲気は、河野典生石原慎太郎あたりに通じるものも感じる。

 しかし現実と幻想が混じりあうサイケデリックな展開に入れば、それはもう松本次郎としか言いようがない展開に突入する。セックス、ドラッグ、バイオレンスの、自分は行きたくないが何度でも読み返したくなる世界。読み返すたびにさりげない伏線が色々見つかるのがうれしい。

 読んでいる間は行き当たりばったりなカオスに見えるが、最後は意外にきれいに終わる。このセンチメンタルなラストは松本次郎ファンには好みが分かれるとは思うが。