DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

【最近読んだ本】
大藪春彦野獣死すべし』(新潮文庫、1972年、発表1958年)A
 大藪春彦を初めて読んだのだが、動機なしでただひたすら殺戮が続くことに驚いた。
 主人公の伊達邦彦は戦前の満州ハルピン生まれ。敗戦の引揚げ時に中学生、大藪春彦が1935年生まれなのでほぼ同年と考えてよいだろう。学生時代は不良たちの争いに加わる一方読書にも熱中し、のちに学生運動や演劇、美術、サッカーや射撃など種々のスポーツに打ち込み、大学と大学院で英文学を専攻(卒論は「ハメット=チャンドラー=マクドナルドにおけるストイシズムの研究」)、その後大学院生となって作中の現在に至る、となると、発表時の1958年に大藪自身が23歳でほぼ同時代を描いているといえるだろう。
 こんな経歴の伊達邦彦が、出てくる人をとにかく殺しまくる。冒頭の警官殺しを皮切りに、チンピラや実業家、果ては仲間まで死なせ、暴力と金の果てしない連鎖の果てに何があるのかと思ったら、1500万円の金を得てアメリカに留学して終わるというので呆然とする。
 じゃあこの殺戮は学費を稼ぐためだったのか? と思ってしまうのだが、読んでいる間は酔ったような奇妙な快感があるのだ。
 これは動機や打算によらない純粋な暴力の姿を描こうとしたものと考えるべきだろう。実際、続編の「復讐編」では、タイトルどおりに父と妹を奪った企業への復讐という動因をもつことで、主人公の意志も超えて暴力が連鎖する凄惨なものになっている。
 平井和正が『夜にかかる虹』で文体を絶賛していたのでどんなものかと思っていたが、なるほど簡潔で非情ながら詩的でもある。これは病みつきになる。


スターリング・シリファント『鋼鉄の虎』佐和誠訳、ハヤカワ文庫、1985年、原著1983年)B
 『タワーリング・インフェルノ』や『ポセイドン・アドベンチャー』など数々の名作映画の脚本で知られるシリファントの初の小説。……なのだが、英語のwikiを見てもシリファントの小説については言及がない。あまり売れなかったのだろうか。
 この小説を読んでいる間ずっと、「ポストコロニアル文学」という言葉がぐるぐる頭の中を回っていた。
 舞台はニューカレドニア。一見楽園のようでいて、メラネシアの民とフランス人政府の間の対立が激化しつつある、80年代初頭のこの島を訪れたのは、ベトナム帰りの元特殊部隊隊長ジョン・ロック。この島を事実上支配する実業家の依頼で、彼はこの島に高度な通信システムを建設する事業を妨害する動きの調査を始める。目をつけたのは、テロも辞さず政権掌握をもくろむ共産党と、メラネシアの民を統合して呪術的な力で植民者の排除を目指す先住民たち。しかしその陰には、どちらにも属さない巨大な計画が進行していた――
 ということなのだが、主人公はのっけから謎の武装集団にマシンガンで襲撃されても、たった一人で反撃して全滅寸前まで追い込むようなタフガイであり、現地の実力者や警察にも何故だかモテモテ、実力者の姪娘とは恋仲にまで発展する。見ていて安心感が半端ではない。彼が、襲撃者を撃退したり偉い人との小洒落た会話を楽しんだり入れ替わり立ち代り現れる女性たちとロマンスを演じたり、それに水を差すように時折不気味な呪術的なサインが現れたりと、手際よくローテーションを繰り返すうちにページは進み、ラストで「真相」が明らかになるが、それがどうだったかというと……印象は薄い。
 なにしろ520ページと厚く、450ページあたりでようやく真相が明らかになるのだが、それなりに面白いもののストーリー中の重要性がよくわからないエピソードが連続しているせいか、真相にたどり着くまでに疲れてしまうのである。読み返してみると、フランス人実業家がクーデターを起こしてメラネシアの民にニューカレドニアをすべて返し、呪術的な文明を復活させようという計画を、ジョン・ロックが神の使者を名乗り部族の戦士を倒すことで精神的に潰えさせる(あまりのショックに実業家が自殺してクーデターは頓挫。無視して実行すればよかったのに)という結末は、植民地主義批判と呪術文化をうまく組み合わせていてそれなりにうまいと思うのだが、読んだときはあまり感心しなかった。大して伏線も張らずに真相が明かされた印象があるし。
 ただこれは、読者である自分が日本人であるというのも多少は影響しているのかもしれない。メラネシアの伝統や文化が重要なファクターとなっていながら、名前を与えられているのはほぼフランス人ばかりという究極の独善の中で、たった一人のアメリカ人がすべてをひっくり返すというのは、アメリカ人読者の夢の体現とも考えられる。
 個人的には、かえって個々のエピソードに魅力を感じた。たとえばバザンという警部。作中きっての良識派で、警察の人間にしては一匹狼の主人公に惚れこんで何かと助けてくれるのだが、亡くなった奥さんのことが忘れられず、「生きている」ふりをして生活しているという闇を抱えている。ジョン・ロックが彼の家を訪れると、テープレコーダーに吹き込んだ奥さんの声を再生して、さもいるように装っていた(ジョン・ロックの問いかけへの返事のテープを的確に再生したのはどうやっているのかわからない)という、狂気に近いエピソードがあった。もしかして『サムライフラメンコ』の終盤エピソードみたいになるんじゃないかと思ったが、実のところバザンも妻が死んだのはわかっており、茶番だと承知した上でやっていることを認めていて、特にストーリーの本筋にかかわってくるわけではない。なんでこんなエピソードを入れたのかわからないのだが、妙に印象に残る。
 あるいはベトナム戦争帰還兵ということで(?)、色々トラップの話が出てくる(ベトナム戦争を意識させる、須賀しのぶの近未来戦争小説『キル・ゾーン』もトラップの話が良く出ていた)。良かったのが、ロックが拠点にしているボート(これの名前がタイトルの由来となるスチール・タイガー=鋼鉄の虎)に戻ったら、洋式便器のフタを開けると中に毒蛇がとぐろを巻いている、というもの。水を流そうとしてコックをひねると仕掛けられた爆弾が爆発するという周到な二段トラップが地味に恐ろしい。昔読んだホラー漫画でトイレのフタを開けたらスズメバチが大量に飛び出してくるというものがあったが、それに匹敵するインパクトである。とはいえ何しろ主人公は凄腕なので、先に気づいて何とかしてしまうのが残念といえば残念。捨て駒になるキャラを用意できなかったものだろうか。他のトラップとして、爆弾の偽装に使われるからバゲットパンを買う禁止令をロックが警察書に出すというエピソードもあり、喜劇的な割には本当に犠牲者が出て、その悲劇性のギャップが面白い。
 ちなみに本書の翻訳出版は1985年2月。同じくニューカレドニアを舞台にした映画『天国にいちばん近い島』の公開が1984年12月15日ということなので、そのブームのさなかに出版されたことになる。wikiによると映画版はあえて政治的メッセージは描かなかったということだが、当時映画と本書をあわせて読んで、落差を意識した人もいたのだろうか。
 本作はジョン・ロックシリーズの1冊目で、続編にはBronze Bell(青銅の鐘)、Silver Star(銀の星)(いずれも未訳)と並んで、作品リストには真珠湾攻撃をテーマにしたPearl Harvor(真珠の港)というのがあるが、まあ無関係かな……こんなのが真珠湾にいたらどうなってしまうのか興味があるが。