【最近読んだ本】

篠田節子『神鳥 イビス』(集英社文庫、1996年、単行本1993年) B
 イビスってなんだっけ? と思ったらトキ(Ibis)のことだった。タイトル通り、当時は日本産は最後の2羽が残るばかりとなっていたトキがテーマとなっている。
 明治35年に27歳の若さで夭逝した女流画家・河野珠枝の遺作「朱鷺飛来図」は、牡丹の花に集まる美しいトキの姿の背後に地獄のような光景を描き出していた。具象画ばかり描いていた彼女がなぜそんな空想画を描いたのか? 通俗的な恋愛事件として語られる凄惨な死の背後にはどんな真相が隠されているのか? 興味をもったバイオレンス作家とイラストレーターの男女コンビが謎を探る幻想ホラー……と思っていたら、後半はバイオパニックホラーになって驚いた。先日の『絹の変容』に続けて読むと、肉食殺人カイコの次は大型人食いトキということで、やや芸のない気がする。作風多彩なのにこれを続けて読んだのはハズレだったかもしれない。
 文章に詩情がない、というのが『絹の変容』の感想だったが、この場合それが良い方向に働いていると思う。トキの絵も、夏に冬山に迷い込むという展開も、具体的に描かれるせいで、「これは本当のこと」という逃げ場のない感覚に襲われる。これが変に詩的だったら、結局幻覚を大げさに描いていただけなんじゃないかという感想のほうが強くなりそうだ。
 キャラクターがいまいち好きになれないのでちょっと入り込めないところがあるが、即物的に描かれた幻想小説という前半からそれに強引に割り込んでくるバイオホラーという、あまりない読み味の作品である。


ジョン・ガードナー『人狼を追え』(村杜伸訳、ハヤカワ文庫、1979年、原著1977年)C
 1975年、IRAアイルランド共和国軍)によるテロの不安に揺れるロンドンで、ある情報が政府に激震をもたらす。1945年のナチス崩壊の際、一人の少年が混乱の中を脱出していた。コードネーム「人狼(Werewolf)」と呼ばれるその少年は、ヒットラーユーゲントの一員とも、ゲッベルスの遺児(史実ではゲッベルスとともに姉妹たちと一家心中)ともいわれ、英国情報部の監視のもとでナチス残党により育てられていたが、庇護者の死後は行方不明となっていた。その少年が30年の時を経て、イギリスの田舎に真面目な勤め人として妻と幼い娘を連れて居を構えたことが判明し、彼の正体やイギリスに帰化した目的をさぐるため、英国情報部が暗躍を始める。
 主人公はその極秘作戦の中心にあって男を追い詰めていくことになる。といっても身体的に痛めつけるのではなく、男が購入した家が幽霊屋敷であるという噂を利用し、ポルターガイストや意味ありげな落書きでナチスの亡霊を演出するという子供だましなのだが、そんな方法でも、平和に暮らしていた一家は手もなく騙されて精神的に追い詰められていく。次第に主人公は男はナチスとは無関係なのではないかと疑い始めるのだが、上司は手を緩めることを一切許さず、やがて破滅が一家を襲う。手違いで娘が死に、ノイローゼとショックで男が自殺し、すべてが手遅れとなったとき、彼が現在はナチスとは一切関係をもたない、善良な男にすぎなかったことが明らかとなる。
 一切救いのない、陰鬱な話である。確かにナチスは歴史上まれにみる悲劇を起こしたが、平和に生きようとする彼ら一家をあらゆる手で追いつめていく英国政府は負けず劣らず酷い。組織が一度目的を定めればそのために非人間的でもあらゆる手段が使われ、とめることは誰にもできない。主人公は唯一それに疑問を持つが、しかし振り返れば最も彼ら一家の崩壊に働いたのは自分なのである。睡眠中の男にテープレコーダーでヒトラーの音声を流して彼のトラウマを呼び覚ますといった馬鹿らしい作戦がまた、悲劇とコントラストをなしている。もしかしたら、当時の英国政府への批判が根底にあったりするのかもしれないが……個人的には、とても楽しむ気にはなれなかった。
 この作品と同時期にはアイラ・レヴィンの『ブラジルから来た少年』(1976年)という、やはりナチスの後継者を扱った作品がある。さすがに70年代ともなるとナチス残党も高齢化し、「ナチス帝国復活」という冒険小説ごのみのネタもストレートには扱えず、色々とひねりが必要になってきていたことをうかがわせる。レヴィンはクローンという最新テクノロジーにより、ヒトラーの復活というオカルトを実現しようとしてみせたが、ガードナーはナチス崩壊時に脱出した少年というやや現実的な解決を与えている。しかし彼を脅す方法が録音機器などを使ったポルターガイストや亡霊の再現という「テクノロジーによるオカルト現象」がメインとなるあたり、やはりナチス=オカルトということなのだろうか。