DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

池波正太郎『幕末新選組』B、山岡荘八『小説太平洋戦争1』C

【最近読んだ本】

池波正太郎『幕末新選組』(文春文庫、1979年、単行本1964年)B

 永倉新八が主人公の新選組小説。なぜ永倉なのかについては、解説の駒井晧二は、根っからの江戸っ子である永倉の生きざまを池波が気に入ったからであろうと推測している。江戸っ子であるというのは、物語から読み取れるところでは、明るい性格で義理堅く、正義感が強く、恋愛には情熱的で、両親には(行動はともかく)孝行心をもち、過ぎたことはこだわらず、きれいさっぱり忘れる――という風に書いていってみると、単に物語に都合の良いキャラ設定のような気もする。

 短めの作品だし、政局にかかわらず己を通すのが新八の生き方であるから、あまり大局的な話は出てこない。キャラクター的な観点から見れば、原田左之助との絡みが多いのはよく見る話だが、藤堂平助が嫌味っぽい色男として描かれ、二度にわたって新八の恋敵となり、池田屋事件で新八が彼を助けたことで無二の親友となる、というのはちょっと珍しいかもしれない。この作品では藤堂は油小路ではなんとか逃げようとして失敗して殺されてしまう。

 近藤勇は、土方に従属する存在ではなく、あくまで「親分」として人間的魅力で新選組を引っ張っているように見える。この作品の連載は『燃えよ剣』(1962年11月~1964年3月)と同時期の1963年1月~1964年3月であり、おそらく司馬により確立されたのであろう「新選組の真の立役者」としての土方歳三というキャラクターと無縁に書かれたとみてよいのではないか。

 池波正太郎をほとんど読んでいないので知らなかったのだが、鬼平(1968~1990)、剣客商売(1973~1992)、藤枝梅安(1973~1990)と、代表作は1923年生まれの池波の中では遅めであり、その中で『幕末新選組』は比較的初期にあたる。そのあたり、作風の変化とあわせて読むと面白いのかもしれないが、単体としてはそれほど読む価値があるとは思えない。

 

 

山岡荘八『小説太平洋戦争1』(山岡荘八歴史文庫、1986年、執筆1962年~1971年)C

 一冊で太平洋戦争の流れを見渡せる本を、と思ってのぞいてみたが、これはハズレだった。序文に

日支事変を泥沼へ追い込んでいるものは、決して近衛や東条でもなければ蒋介石でもないようだった。両者が握手しそうになると、列強の間から援蒋の手が動いたり、原因不明の不思議な事件が突発したりして戦線は思わぬ方向へ拡大する。前者の主役はアメリカとイギリスであり、後者には世界赤化をめざすコミンテルンの手が動いている、ということだけは気づきだしていた(p.5)

 という時点で嫌な予感がしたが、読んでみると松岡洋右が日独伊三国同盟を成立させ凱旋した1941年に始まるのだが、そこから先は日本政府は誰一人として戦争を望んでいないのに、諸大国の思惑(特に是が非でも第二次大戦に参戦したいアメリカ)の策略で開戦に追い込まれていくという被害者的な史観である。

 だからといって山岡荘八が責められるものではないだろう。従軍記者として戦場を目の当たりにし、多くの仲間を失った山岡がそのような過剰な合理化を行うのは仕方のない面もあるだろう。しかし、それをいまだに無批判で刊行し続けているというのはだいぶ問題があるのではないか。せめて最終巻では解説でフォローされているのだろうか。

 1巻の時点ではほぼ松岡洋右近衛文麿東条英機が中心で、人が多いわりに群像劇というには不足。松岡が純情に近衛に惚れ込んでいるというのがかろうじて新鮮だった。対して近衛は誰にもよい顔をするが誰も信じていないニヒリスト。この性格設定は昔からそうなのか。