DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

小田実『ガ島』B、フレデリック・ポール『ゲイトウエイ』B

【最近読んだ本】

小田実『ガ島』(講談社文庫、1979年、単行本1973年)B

 遺骨収集という名目で金儲けのクチを求めてガダルカナル島を訪れた大阪商人が、ジャングルで遭難し、彷徨の末に幻覚の中で日本軍の一兵卒となり、ガ島=餓島の激戦の悪夢を見る。今でいうと奥泉光が書きそうな話であるが、実のところその部分はラスト数十ページに過ぎず、メインはそこに至るまでの旅行小説であり、それを通して描かれる高度経済成長期の風俗を描き出した小説である。

 時代は70年代、一代にして大手トンカツ屋をつくりあげた大阪商人が、偶然から妻の姉と香港に旅行に行くことになり、そこで出会った山師めいた男とガダルカナル島にリゾート開発という話につられて現地を訪れるまでの旅が詳細に描かれる。

 書き出しはこんな感じである。

 なにしろ、こわいことが昔から大きらいな男なのである。それで、ヒコーキなんか乗ったことがない。自慢じゃないが、ほんとうの話だ。あんなものが、そもそも、飛ぶはずがあるものか。昔の、プロペラをたよりなげにまわしてやっとこさ飛んでいた「赤トンボ」あたりの練習機ならいざ知らず、今の世の中、そんな悠長なことではラチがあかぬ。ピカピカ光る巨大な翼にエンジンをいくつもぶら下げて、ゴウッーとかウウッーとか首狩り族の雄たけびそこのけのドー猛な叫びをあげながら、デパートほどもあるジェット機が中天めがけて一直線に馳け昇る。言わずと知れたジャンボというやつだが、わたしの見るところ、あんなものが実際に飛ぶはずがないのである。あれはただあんなふうに見えているだけのことで、わたしのような下界の見物人も、なかの団体旅行も、夢を見ているのである。老若男女、そろいもそろって夢を見ていて、それで、飛ぶ。飛ぶように見える。

  こんな調子で、何か見たら何か思わずにはいられないという勢いでとにかく喋りまくる。それは小田実自身でもあるのだろうが、批評とも感想ともつかない無駄話が続くので、読み飛ばしているといつの間にか場面が変わっていたりして困ってしまった。自分は何か見ても「特に感想はない」ということがよくあるのでうらやましいくらいである。

 とはいえ、この饒舌な文体で浮かび上がってくる大阪商人というのが本当にうまくて、開高健小松左京藤本義一といった大阪文学の作家たちに一脈通じるものがある。「うまいで、安いで、ワッハッハッ」なる大ヒットCMからして正直好きになれないのだが、高度経済成長期の日本人のステレオタイプ的な姿をこれほど克明に描いた小説も珍しい。全編にわたって酋長、黒ンボ、土人といった言葉が飛び交うので、『HIROSHIMA』などと違って再刊はまずムリだろうが、時代の資料としてのぞいてみる価値はある。

  

フレデリック・ポール『ゲイトウエイ』(矢野徹訳、ハヤカワ文庫、1988年、原著1977年)B

 太陽系に発見されたヒーチー人の遺跡「ゲイトウエイ」。ヒーチー人は何者か、どんな姿でどんな文明を築いていたのか、確かなことは何もわからないが、代わりにそこにはただ大量の宇宙船が残されていた。それに乗った人間はよくわからない仕組みで自動的にどこかに連れて行かれ、運よく別の遺跡にたどりついてヒーチー人の遺産を持ち帰れば大儲け、運が悪ければ無惨な死体になって帰還するか、死体一つ戻ることも叶わない。

 かくてゴールドラッシュよろしく賞金稼ぎたちがゲイトウエイに集い、一攫千金を目指してどことも知れない旅に旅立っていく。

 主人公もそこに集まった冒険者の一人ということで、能天気な冒険小説を予想していたが、決してそんなものではない。主人公が臆病で(まあ当然なのだが)怖がって、チャンスがあってもなかなか旅立たず、その間の無為の日々と、彼を置いて先に旅立つ仲間たちが描かれる。そんな彼がゲイトウエイで過ごす日常と、10年以上あとの彼――遂に旅立って無事に帰還し、巨万の富を得たものの、精神を病んでいる彼――のカウンセリングロボットとの会話が交互に延々と描かれ、最後に物語は一つになり、彼が決定的に精神を病むに至ったある事件が明かされる。

 ストルガツキー兄弟の名作『ストーカー』を意識しているのが第一だろうが、アメリカ史におけるゴールドラッシュ、隆盛した冒険小説へのアンチテーゼ、ヴェトナム戦争による社会全体のトラウマと精神分析の流行など、多様な含意が見える。ヒーチー人の遺した宇宙船による宇宙の探索は、一見すると古き良きアウタースペースもののように見える。しかし、それはただ機械に運ばれていくだけの受動的なものであり、またカウンセリングにおける精神世界の探求は外宇宙の探索と並行して描かれ、宇宙文明レベルの事件が個人レベルのトラウマに収束していくといった構図は、インナースペースものそのものである。これはニューウェーブへの皮肉か、それともニューウェーブとそれ以前のSFの融合という一つの解決なのかはSF史に詳しくないのでよくわからない。

 ただ試みとしては面白いものの、これをずっと読むのはやはり退屈である。続編では謎のまま終わらせたヒーチー人の正体や、主人公が精神を病むに至った事件の解決が描かれるようで、軒並み評価は悪い。どうしようかな……