奈良本辰也『もう一つの維新』A、藤本ひとみ『聖戦ヴァンデ』上・下 A

【最近読んだ本】

奈良本辰也『もう一つの維新』(徳間文庫、1985年、単行本1974年新潮社)A

 尊王と佐幕、攘夷と開国の対立を乗り越えるヴィジョンをもった「航海遠略策」を提出し、一時は幕末の政局を主導するかに思われた長州藩重臣長井雅楽の一瞬の栄光と没落を描く。

 わずか一年で失脚したとはいえ、普通の小説だと数行で済まされることを350ページくらいかけて書いているので、ほとんど日単位で目まぐるしく移り変わる情勢が描かれ、正直途中で追いきれなくなってしまった。ただただ些細なすれ違いやタイミングの悪さ、言いがかりに近い非難から最悪の状況に追い込まれていく様は、何か手品でも見ているようである。

 久坂玄瑞周布政之助らが(珍しく)悪役となり、安政の大獄吉田松陰を見殺しにしたことへの復讐として追い落としたという筋が中心になっているが、藩の外でも島津久光の上洛や寺田屋事件へといたる不穏な情勢下で、佐幕と尊王の複雑な勢力争いが繰り広げられており、長井もまたそれに翻弄された面が大きいようである。久坂たちも陰謀で長井を追い落としたよりは、苦し紛れに出した非難がタイミングよくはまってしまった印象。

 しかし「航海遠略策の建白書に朝廷を侮辱する文言があったらしい」という誰も根拠を示せない中傷から長井の失脚と切腹まで行くとは、現代の風刺のようでもあり恐ろしいが、長井自身は個人的には松陰らに悪感情は抱いておらず、ただ松陰を江戸に送ることを伝える使者になったことで恨まれたというのがそもそもの悲劇の発端になっているあたり、史料に基づきながら悲劇を構築する歴史家と小説家の才が存分に発揮された隠れた力作といえる。

 

藤本ひとみ『聖戦ヴァンデ』上・下(角川文庫、2000年、単行本1997年)A

 『もう一つの維新』が明治維新の暗部とすれば、こちらはフランス革命の暗部。革命勃発後、革命軍に追われる王党派貴族は、宗教を禁じられ反発する農民たちを糾合してヴァンデ地方で反乱を起こす。最初は優勢に戦いを進めていた王党軍は人望篤いリーダーの不慮の死をきっかけに劣勢となり、数万の勢力はやがて全滅への一途をたどることになる。革命軍は貴族も農民も容赦なく虐殺し、この事件は指揮官の暴走として歴史の闇に葬られることになる。

 バスティーユ牢獄襲撃事件を起点に、貴族の青年と平民の少年が、やがて反乱軍の指導者と革命軍の指揮官としてクライマックスで対峙し、見下す側が追われる側に、足蹴にされていた側が追う側に転じる――という「本筋」がどうでもよくなるくらいに、壮大なスケールの群像劇が描かれる。時として主人公のようになるロベスピエールをはじめ、その崇拝者のサン=ジュストら国民公会メンバー、一方の反乱軍の歴代司令官やその仲間、彼らと袂を分かち独自の戦いを続ける者、一時的に支援者となる忍者みたいなふくろう党など、実在の人物も多数まじえて描かれ、ヴァンデ反乱に物語を制限した関係でその後の運命が描かれない者も多数いるが、それぞれに鮮烈な印象を残す。

 また印象に残るのがフランスの地理的なスケールの大きさで、どうしても明治初期の士族反乱と比較してしまう。日本では蜂起後は数日ももたずに鎮圧され首謀者は逃亡を図ってもすぐに逮捕・処刑となってしまうのに、フランスでは怪我さえしなければどこまでも逃げ続け、各地の反乱勢力や外国の援助のもと何度でも盛り返す。江藤新平前原一誠がもっと広大な国で反乱を起こしていたら……まああまり変わらなかったかもしれないが。

 しかし読んでいて思うのが、ロベスピエールの描き方の難しさである。本書では徹底した虐殺を指揮したのはロベスピエール自身ではなく、ロベスピエールを崇拝する(おそらく架空の)少年指揮官の独断専行というワンクッションが置かれる。彼は最後に虐殺の罪の責任を負って切り捨てられ、ロベスピエール本人が指揮していたらどうなっていたかは曖昧にされる。思えば長谷川哲也の『ナポレオン』でも、ロベスピエールは非情な政策を断行しつつ裏では「これも革命のためだ」とナイーブに傷つく姿がいちいち描かれ、言い訳がましく感じた。「正義」の立場だった人物の悪行を描くのは藤本ひとみでさえもどうしても腰が引けて見えるというのは、日本では西郷隆盛西南戦争をどう描くかという問題にも通じるものかもしれない。