DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

酒見賢一『泣き虫弱虫諸葛孔明 第壱部』B、篠田節子『夏の災厄』 A

【最近読んだ本】

酒見賢一泣き虫弱虫諸葛孔明壱部』(文春文庫、2009年、単行本2004年)B

 タイトルは井上ひさしの『泣き虫なまいき石川啄木』のオマージュか。「泣き虫弱虫」などというから、いくじなしの孔明が、追い詰められてヤケクソの策がうまくはまって、歴史に残る大軍師に――といった展開を想像していたのだが、まったく違った。確かによく泣くのだが、多分に自己陶酔の気味があり、弱虫なのかどうかはよくわからない。

 面白いけれど、王欣太の『蒼天航路』の衝撃をこえるものではなかったと思う。日本の『三国志』像は、長く吉川英治に支配されてきて、『蒼天航路』に至ってようやく乗り越えられたが、今度は『蒼天航路』が新たな支配者として君臨しているという印象が、個人的にはある。

 本書における絶対的な天才としての曹操や、親分肌の劉備、神仙の世界に自在に遊ぶかのような孔明といった人物像、さらには孔明に全く興味を示さない曹操といった要素は、やはり『蒼天航路』の影響と思える。『蒼天航路』を知らずに読めば革命的であったかもしれない。

 とはいえ劉備孔明の絆の引き立て役に甘んじてきた人々――諸葛均、姉、黄承彦、黄夫人、徐庶、崔州平、ほう徳公、ほう統ら――彼らの立場からの言い分を描いての「人間的再構築」など、見るべきところも多い。特に徐庶は、地方の一書生に過ぎない彼が何故あんなにも鮮やかな指揮を取れたのか、独自の解釈を施しており、なかなか楽しめた。彼こそ読む前に想像していた「泣き虫弱虫」の姿だったかもしれない。

 変に皮肉っぽい文体がやや鼻につくが、それさえ受け入れられれば楽しめる。 

 

篠田節子『夏の災厄』(文春文庫、1998年、単行本1995年) A

 平穏なニュータウンに突如日本脳炎らしき病気が蔓延し、やがて町全体が恐慌に陥っていくバイオパニックホラー。

 疫病が誰にも気づかれずに発生して社会を浸蝕していくというネタは、小松左京の『復活の日』(1964年)を思い出すが、あれが未知のウィルスによる世界滅亡を描いたスケール大なSF小説だったのに対し、本作は舞台をほぼ一地方自治体に限定した上で、緊迫感あふれるドラマを構築している。もしかしたら『復活の日』へのアンチテーゼ的な意識もあるかもしれない。ひとつひとつの事象に市の職員たちが対応していく地味なシークエンスの連続が、手に汗握る病原菌と人類の攻防劇になっていくというのは、とにかく話のスケールの大きさを競い合う「大作」群に慣れ切った頭にはひどく新鮮に映る。

 書かれた時代が携帯電話やインターネットの普及前で、テクノロジー的な古さはいかんともしがたいが、冒頭で反ワクチン運動の話題が出てくるなど、現代でもメッセージ性として決して古びるものではない。最近になって角川文庫で再刊したのもうなずける。できれば時代に合わせたリファインをしてほしいとも思うが……

 疫病の原因は人為的なものもかかわっていたということで、終盤になると文献の調査などで割とスムーズに「真相」が判明してしまう。そのあたりは話をまとめるための方便という感じで多少不満もあるが、そうでもしないと600ページにすらおさまらないであろう。