DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

早乙女貢『志士の肖像(上・下)』A、三好京三『子育てごっこ』C

【最近読んだ本】

早乙女貢『志士の肖像(上・下)』(集英社文庫、1995年、単行本1989年)A

 14歳という最年少で松下村塾に入塾し、幕末から明治維新の動乱を生き抜き、明治政府では陸軍中将や司法大臣として活躍した、山田顕義が主人公。彼は明治時代には会津出身者とも親しい交流があったせいか、ならず者ばかりとして描かれる薩長出身者の中では、会津推しの作者により品行方正な才人として描かれている。

 一応、扱っている時期としては『若き獅子たち』の続編にあたる(『若き獅子たち』は八月十八日の政変天誅組の壊滅がクライマックスだが、『志士の肖像』は八月十八日の政変と生野の変を始まりとする)が、暗殺と内ゲバでひたすら凄惨だった『若き獅子たち』に比べると、まるで別世界のようで、無駄な濡れ場などもなく、ずいぶん読みやすい。

 しかし苛烈な書きぶりは相変わらずで、大村益次郎など、暗殺された際は抵抗もせず逃げ回っていたことを罵倒されたあげく、負傷した脚を切断してなんとか延命しようとしたことまでも、同じ状況でそれを拒否し、武士として死んだ河井継之助と対比して非難されるなど、憎悪が常軌を逸している感じがある。他の人物も、豪快に見せて勢いだけの実は小心な高杉晋作、才覚もなく粗暴なのにうまく立ち回って絶大な権力を手に入れた黒田清隆、非常な自信家ゆえに才能さえ生かせればどこに属しても満足だった榎本武揚、なんとなく得体のしれない雰囲気で大物と思われていただけの西郷隆盛など、およそ好感が持てる描き方をされない。

 しかし本作も史料の調査力はさすがで、禁門の変で敗走した長州藩士たちが京都を脱出できたのは、西本願寺に匿われたからであるとか(そのためのちに新選組に目を付けられて西本願寺が屯所とされた)、あまり触れられないようなところもしっかり書いている。他にも愚かな好戦派として描かれやすい来嶋又兵衛が若者にも慕われる経験豊かな大人として描かれたり、桂小五郎がやや軽率で禁門の変の勝利を確信していたりと、あまり見られない性格付けがされているのも面白い。薩長を憎むあまり、実は西郷の死は、生き延びようと逃げ回っているのを見苦しいと桐野利秋に射殺されたなどという説も、ここぞとばかりに余談として紹介されている。あるいは高杉晋作は下関戦争における和議交渉では、ひたすら「ノー!」を言うだけだったことにされて、古事記を暗唱して煙に巻いたという、伊藤博文の回想にのみ登場する真偽不明のエピソードは見向きもされていないとか。調べられるだけ調べて、あくまで史実を曲げず、隙あらばひたすら薩長を罵倒するという姿勢は一貫していて、逆に痛快ですらある。

 しかし有名どころの人物が大暴れする中で、主人公たる山田顕義は、用兵には大村益次郎に次ぐ才能を示しながらも、小柄で童顔なせいか何かと侮られて重用されず、文官に転じてからも山県有朋らの権勢欲に任せた暴走に翻弄され、最後は疲れ切って死んだ感があり、あまり読後感はよくない。とはいえ彼は結局のところ維新史を語る上での狂言回しに過ぎない感もあり、会津推し・薩長憎しの視点から上下巻で明治維新史が再構成されていくダイナミックさは比類がない。

 

三好京三『子育てごっこ』(文春文庫、1979年、単行本1976年) C

 ひどく不快な小説である。

 『ファーブル昆虫記』の翻訳や『気違い部落周游紀行』などの著作で知られる作家・きだみのる(1895-1975)は、一方で定住を嫌い放浪して暮らす奇人でもあった。

 彼が80歳近い晩年に連れ歩いていたミミという女の子(本作では吏華という名前)を、田舎の分校の教師をしていた三好夫婦が家に引き取って育てたことをもとにした、おそらくほぼ私小説的な作品が本書である。

 なにしろ10歳まで小学校に行かなかった子どもを引き取るのだから、一応は日教組に囚われない自由な教育を自認している三好といえどもうまくいかないのは予想できるが、それにしても三好は引き取った女の子に対して普通に体罰を振るうし、かなり気紛れに不機嫌になって良い子にしても褒めなかったり、授業中の態度が悪いといって無視したりで、時にその暴言は妻にまで向く。

 吏華のそばに行き、耳元で、

「(教室から)出て行け!」

 と叫んだ。

「うるさいわね、いやよ」

 吏華は平然とした顔で言った。

「出て行くんだ」

 ぼくも少し本気になり、腕の付け根をつかんで立ち上がらせた。

「礼儀知らずは出て行け」

「いやよ、さわらないで」

「邪魔だ!」

 爆発した。押し倒された吏華は、初めておびえた顔になって教室を出て行った。

 授業が終わって宿直室に戻ると、吏華は猫と遊んでいて、ぼくの顔をみると、鼻に皺を寄せてイーをした。(p.29)

「俺のつけた通信簿に文句があるんだな」

 と押し殺した夫の声がそばでしたので、わたしも吏華も声をのむほどびっくりしてしまいました。こういう感じのときの夫は、止めどがないほど兇暴になります。

「どこに文句があるんだ!」

 声が炸裂したとき、吏華はすでに夫の腕に釣り上げられて、口をふわふわさせていました。

「音楽が……」

「なに?」

 ひどい音がして吏華はぶざまに押入れのところに転がり、反射的にわたしは吏華のからだにのしかかって、夫の第二段の攻撃からかばおうとしました。

「おい、音楽がどうした」

 わたしの覆いかぶさった隙間から手をさし入れて吏華の襟首をにぎり、ものすごい力で引っ張りあげます。

「お詫びするのよ、あんたが悪いんだから」

 必死で吏華を抱きしめながら言いました。

「すみません、わたしが悪かったです」

 吏華はふるえて変なことばづかいをしました。教室でしばしばある状況が初めて家庭にあらわれたのです。夫は長い間、狼が獲物に食いつくときのような眼つきで吏華を睨んでいましたが、やがて力をゆるめると、どさりと二人を畳の上に放り棄て、

「ふざけるんじゃねえ」

 足音を荒げて廊下へ出てゆきました。(pp.37-38)

吏華は引き取られていた九ヵ月間、ぼくの子どもであり、受け持ちの児童だった。しかし、子どもであったのは最初の一ヵ月ぐらいで、あとは叱咤され通しの児童になった。野放図な甘えと無礼を憤って、ぼくは笑顔を見せることがなくなり、その代わりに過酷な生活の規制だけを与えたのだった。吏華は妻に対してだけ熱っぽく甘えるようになり、鬼面のぼくには恐れて距離を置いた。

 そのころの感情生活が残っている。成長したけなげな吏華を見て、慈しみたい気持は動いても、こわばった感情の被膜がなかなか破れないのだ。(p.102)

 教師というより暴君として君臨しており、読んでいる側が恐怖すら感じる。作中では三好とその妻が交互に語り手となり、彼の教育方針は妻の視点から批判されるという形でバランスは取っているものの、単に露悪的な描き方ともいえない、それでは済まないものを感じる。これが出版されて直木賞を受賞し、教育評論家としても活動していたところから見ても、自分の「教育」にもなにがしかの理があると恐らくは思っていただろうし、世間もまたそれを受け入れていたのだろう。

 そんな仕打ちを受けても、その女の子は父親ながら偏屈なきだみのるに嫌悪を抱き、実の母にも疎まれて居場所を失い、三好夫婦のところで暮らしたいと願う。しかし三好は、たとえ不幸でも子どもは親と暮らすのが一番よいのだと言って拒絶し、本当の親のもとに戻るように命じる。

どんな親でも親は親、親のそばで暮らすなら、子どもはどのように不幸に育とうとも、結局は納得しなければなりません。吏華を引き取れない理由が、経済事情によるものか、問うつもりは全くありませんが、あらゆる事情にかかわりなく、親は子のために死ぬべきです。そのつもりで親になった筈ですから……(p.84)

 子どもの意志を完全に無視して、自分の気紛れな感情を古い道徳で正当化するさまはよく書けたものだと思う。のちに現実の吏華は、三好が性的虐待をしていたと訴えたようだが、この小説の描写だけでも十分にダメだろう。このことは、三好京三の教育が批判されるようになった社会の変化とも連動しているのかもしれない。小説の中では、吏華は子どもながら媚びることを覚え、また自由さを見せることもあるが、三好への恐怖に怯えている風が振る舞いから見える。

 ひたすら不快であるが、昔の教育の姿を伝えるという意味では貴重な「史料」のように思われる。きだみのるの実像とか、タイトルの意味とか、小説上の仕掛けや論点は色々あるのだが、そこまで読み込む気にはなれなかった。