DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

塚本青史『始皇帝』B、咲村観『始皇帝』B、イアン・フレミング『カジノ・ロワイヤル』A

【最近読んだ本】

塚本青史始皇帝』(講談社文庫、2009年、単行本2006年)B

咲村観『始皇帝』(PHP文庫、2007年、単行本1983年)B

 始皇帝の伝記小説が相次いで手に入ったので続けて読んでみたが、描かれる人間像は驚くほど似ている。ひどく暗いのである。

 その事績を見れば、父親が秦王の何人もいる王子の一人だったのが思いがけず後継者に選ばれ、その父王が早死にしたことから若くして王となり、それから10年ほどで中国全土を統一して始皇帝になる――という、壮大な物語のはずなのだが、ここで描かれる、後の始皇帝・政はたいして野望や人望を持たない平凡な男である。しかし人生の要所要所で呂不韋、李斯、韓非子、尉繚、王翦などといった有能で野心的な臣に恵まれて勢力を拡大して行き、彼らの多くはやがて相次いでトラブルを起こして滅んでいき、その屍を踏み越えて政は始皇帝となる。

 一貫して始皇帝自身は大した才覚を見せず、ただ目前で起きる反乱や侵攻に対処していくだけ。ただ性格においてはときどき見せる、執念深く裏切りや侮辱を一切許さない面が人生の原動力となる。その生涯は不安と猜疑の日々であり、塚本も咲村も全1巻と短めに描いているせいか、安息の日々はほとんどなさそうな人生である。

 読み比べるとほぼ同じ内容で塚本の方がディティールに優れているが、咲村の方は始皇帝は政治よりも土木工事を好んだとか、臨機応変に事に当たったなど興味深い指摘もある。

巨大な土木工事が、政(始皇帝・引用者注)は好きであった。設計の詳密さに、担当者は「王ともあろうお方が、このような絵図面まで……」と驚きの言葉を放っていた。(p.94)

 機に臨み、変に応じて行き方を変える。これは生まれついて以来の政の性格であった。誰に教えられたというものでもない。困難に遭遇すれば、自然にその方向へ心が動くのである。

 この気性ゆえに、政は諸侯や家臣をあやつって、天下平定を成し遂げることができた。だが、一たび権力を掌握すれば、本心に従って行動し、他をおもんぱかることをしなかった。みずからそれに気づきながら、最後には己れの意思を優先させたのである。(pp.292-293)

  このあたりは実際、本質をついているのではあるまいか。

  読み終えてみると、晩年に不老長寿への妄執に取りつかれて醜態をさらしたのがやはりまずかったというか、多分そこから逆算して二人とも始皇帝の性格を成型したのだと思われるけれど、もう少し小説として面白くしてもらいたかったという気もしてしまう。

 

イアン・フレミングカジノ・ロワイヤル』(井上一夫訳、創元推理文庫、1963年、原著1953年)A

 スパイ小説史上の記念碑的作品であるジェームズ・ボンドシリーズの第一作。

 時は冷戦のまっただなか、フランス共産党の大物で謎の国際スパイ組織「スメルシュ」の幹部であるル・シッフルが、組織の資金の使い込みを隠すため、カジノで一攫千金を目論む。それを知った西側の組織は、彼をギャンブルで負かして失脚させるため、英米仏のスパイをカジノへ送り込む。

 スパイ小説の歴史は、ジョゼフ・コンラッドサマセット・モームグレアム・グリーンなどの「暗い」文学路線に始まったのが、フレミングの登場により娯楽路線がスパイ小説界を席捲した。以後は文学路線と娯楽路線がせめぎあい、スパイ小説というジャンルをよくわからないものにしてしまった――というのが個人的な見解であるが、本作は第一作にして早くも「娯楽小説としてのスパイ小説」の完成形を示しているといえる。

 ここで描かれるのは、あくまで知的なスリルに満ちた冒険小説であり、東西冷戦の国際情勢などお膳立ての方便にすぎない。ギャンブル対決がそのまま東西の対決になるという一歩引いてみればギャグにしか見えない状況を大真面目に描くことで娯楽に徹している分、後年の文学路線と娯楽路線の両立を図った過度に複雑なスパイ小説群よりよほど面白いともいえる。

 そこで貫かれるのはいかにもイギリスらしい、フェアプレイの精神である。英国情報部の金で安全圏からのギャンブルという「ズル」をしたボンドは、自身の有り金をすべて賭けて敗北したル・シッフルに誘拐され、死ぬ寸前まで叩きのめされる。しかしそうやってギャンブルの負けをゲームの外で奪い返そうとしたル・シッフルは、ソ連の暗殺者に粛清されることになる。因果応報の物語を彩るのは、美女との駆け引きやグルメの蘊蓄、エリート同士の韜晦めいた会話、一種凄惨なアクションの数々である。悪趣味な俗っぽさの中にインテリをくすぐる要素もちりばめられている。

 かつて三好徹と石川喬司はフレミングを指して「あれは酒と女の情報小説だ」と批判していたことがある(集英社文庫の『情報小説傑作選』だったか)。実際に読んでみると、酒に関しては、作中で新しいカクテルを生み出しているくらいだからいいとして、女についてはどうか。

 本作のヒロインとなるヴェスパーは、任務においてボンドの助手を務め、その魅力についてはボンドも認めるものの、任務中は冷たくされ、その後は誘拐されてボンドの内心で罵倒されるなど足手まといになり、任務のあとは、死にかけたショックを癒すための慰めとしてのみボンドに必要とされ、最後にはソ連のスパイとしての正体を明かして自殺する。ここにあるのは女性蔑視あるいは女嫌いとしか思えず、映画版の華やかなボンドガールとはかけ離れている。このあたり、現在はどう評価されているか気になるところだ。