DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

桜木知沙子『真夜中の学生寮で』B、宮内勝典・高橋英利『日本社会がオウムを生んだ』B

【最近読んだ本】

桜木知沙子『真夜中の学生寮で』(キャラ文庫、2009年)B

 前半は良い。寮の一人部屋が怖くて独りで眠れない少年の奮闘という、他人にはくだらないが本人には切実な問題を描いて、良質な青春小説になっている。

 この少年が素直でけなげなキャラクターで、面白がってホラー映画を見せたりしてからかう友人たちの気持ちもわかるし、その中で彼を決して馬鹿にしないひとりの先輩の存在がクローズアップされてくる構成もよい。

 個人的には小学6年の修学旅行の夜、ある部屋の友人たちが怪談大会をやったら同室のひとりが泣き出してしまい、帰ったあともクラスを巻き込んで深刻なトラブルになってしまったことを思い出した。彼は最初から拒絶していたのに、学校の怪談ブームの中で本気で嫌がっている人間がいるなんて、その時の誰にも想像もつかなかったのだ。悩みというのはえてして、他人には全く理解できないものになることが多いのであって、それにどうやって向き合うのかは文学の重要なテーマである。

 ことほどさように前半はAクラスなのだが、惜しむらくは後半はふつうのBLになってしまうところで、こうなると後半も後日談も蛇足にすら思う。このあたり、BLというテンプレートの便利さと、ストーリーを拘束する不便さが出ているように思う。

 青春小説は「誰でもこんな悩みは理解できるでしょう」とばかりに恋愛ネタを描くことが多いが、こういう、他人には理解できないくらいくだらないが、本人にだけは切実な問題というものを、もっと扱ってほしいと思う。

 

宮内勝典・高橋英利『日本社会がオウムを生んだ』(河出書房新社、1999年)B

 高橋英利はオウム信者で幹部候補くらいまで行ったが、出家の時期が比較的遅かったせいか、サリン事件などには関与することはなく、連日の報道の中で教団に疑問を持ち脱退したという。

 その時の心境の変化をめぐり宮内がインタビューするのだが、大半はごく普通の、宗教や群衆心理の恐ろしさをお互いに確認するという会話が占める。そもそも高橋自身が、信州大学の院で測地天文学を専攻しているうちに現代科学に疑問を持ち、ニューエイジサイエンスやクリシュナムルティなどに傾倒した末、断言する形で「真理」を与えてくれる麻原と出会い信者になる――という、当時としては多分「普通」の知的彷徨を経ているので、あまり新奇なところは出てきそうにない。

 ただ、彼の場合は麻原よりも、直接勧誘した井上嘉浩に惹かれていたことを告白しているのは目を引く。井上が高橋に招かれアパートの部屋に入った瞬間、部屋の電球が二部屋とも切れてしまったなど、ユングフロイトを意識したようなエピソードもあり、麻原のみならず、幹部たちにもまた、信者だけにはとどまらない謎めいた部分があったことをうかがわせる。しかし高橋自身が教団で見た井上のことしか知らないせいで、彼についてはあまり深められないのがもったいない。

 そんなにも井上に傾倒した高橋がなぜ脱会できたのか? 宮内は彼が若い頃から文学作品に触れたことで人の心の闇に慣れていたのではないかと推測しているが、実際のところ、高橋が単に「熱しやすく冷めやすい」タイプなのではないかという気がした。天文学に惹かれて大学院まで進むがオウムに出会い院を中退までして出家し、そこまで入れ込んでも幹部たちの些細な発言をきっかけに疑問を持ち脱会し、この本では一生かけてオウム問題に向き合うような発言をしているがその後どうなったのかはわからないという風に、どれも長続きしていない。そうだとすれば、その飽きっぽさが彼を守ったともいえるのだ。事件の関与者にもそういう人間がいたのだとすれば、出家のタイミングがすべてを分けたわけで、運命の皮肉である。

 あと気になったのは、宮内によると92年の後半から、麻原の講話の内容の質が、元は「なかなかのもの」だったものが急激に落ちていくという(p.81)。宮内は教団の教義まで立ち入ってオウムについて考察しており、無視できない指摘だと思うのだが、これも指摘にとどまり、その時に何があったのかなど、追及されないのが残念である。