DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

井上夢人『オルファクトグラム(上・下)』A、カザケービチ『青いノート』B+

【最近読んだ本】

井上夢人『オルファクトグラム(上・下)』(講談社文庫、2005年、単行本2001年)A

 これは絶対に面白いと思って、万全のコンディションのときに読もうと思いつつ、機会を得ずに15年くらい積んだままになっていた本を、ようやく読んだ。

 そして、やはり面白かった。もっと若いころに読んでいれば、1、2週間はこれのことばかり考えていただろう。ある若者が事故にあったことをきっかけに異常なレベルの嗅覚に目覚めるという話は、嗅覚を文章で表現するのが難しいのは誰でも考えることだが、嗅覚を視覚に変換して知覚するというアイデアによって、よりイメージしやすく、かつ新鮮なものになっている。

 1000ページ近い文庫本の大半がその能力の「説明」に費やされて、そのせいでサスペンス・ストーリーや謎解きがやや弱くなってはいるが、この特異な世界観を楽しむのが主目的だろう。

 

カザケービチ『青いノート』(西本昭治訳、新日本新書、1964年、原著1961年)B+

 時は1917年7月、長い亡命からロシアへと帰還したレーニンが、激しい政治活動の末に敗れて再び逃亡し、フィンランド国境近くの湿地帯に草刈り人夫に変装して潜伏していた時期を描いた小説である。彼はこのあとすぐに復活して10月革命となるわけで、激動の時代のつかのまの小康期間にあたる。

 実際に彼をかくまった農民、首都のボリシェヴィキとの連絡員など、実在の人物が多数出ており、中でもレーニンに付き従うジノビエフが、レーニンに心酔しながらも未来が不安でならずおろおろする若者として描かれていて、なにやら萌えキャラめいている。その愛はときに重すぎて、

 彼(ジノビエフ)は、レーニンにたいして、ほとんど女のような、嫉妬にみちた、自分かってで打算的でもある愛情をいだいていた。レーニンのほうは、自分ではそうした愛情をもたせているとは、つゆ思わなかった。彼はつねに、自分に示される献身を、党の根本方針にたいする献身として受けとっていた。(p.29)

 などと書かれる。一方のレーニンは、こちらは極限まで美化された英雄的革命家であり、連絡員たちの評によれば、

「彼(レーニン)はひかえめで、功名心をまったくもたない。これは、指導者としてはたいへんめずらしいね」とスベルドロフが往った。

「彼は、たいまつのように、清らかに輝きながら燃えている」とジェルジンスキーが言った。

「彼は、敵にはきびしい、しかしただ敵にたいしてだけだ」とジェルジンスキーが言った。(p.120)

 話はほとんど、革命の未来を自信をもって語るレーニンと彼を羨望するジノビエフ、そして女子供に至るまで、彼らをかくまうことで革命の理想を悟っていく農民たちの姿を描くことに費やされる。ケレンスキーカーメネフトロツキーといったおなじみの名前は、伝聞で出て来るのみである。

 実際に調べてみるとこのときレーニン44歳、ジノビエフ34歳で、それほど微笑ましい年齢でもないのだが、読んだだけではふたりとも20代の若き革命家といった風情に見える。

 それでも潜伏が長引けば、ジノビエフは精神の平衡を崩してレーニンに当たるようになり、レーニンも有望な弟子の豹変にショックを受けて次第に悲観的になる。隠れ家も政府の手が伸びて危険になり、次の潜伏先に向かうところで終わる。

 やや唐突ではあるが、これ無理もないことで、本当は続編の予定があったようなのだが、カザケービチがこのすぐ後に死んでしまったのでこれきりになってしまったらしい。生きていれば、レーニンの生涯を描いた大巨編になったのかもしれない。

 しかしそのおかげで、(そんな年齢ではないが)革命家たちの青春の一瞬を切り取ったような、忘れがたい一編となっている。