DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

筒井康隆『恐怖』B-、伊島りすと『ジュリエット』B

【最近読んだ本】

筒井康隆『恐怖』(文春文庫、2004年、単行本2001年)B-

 とある町で連続殺人事件が起こる。どうやらこの町の文化人が狙われているらしい。となると次に狙われるのは自分ではないか――という恐怖に襲われた初老の作家が主人公。

 あらすじを読んだときは、彼が狙われてもないのに勝手に怖がる話かと思った。だが、実際読んでみたら、狙われていること自体は妄想ではなく、狙われているかもという恐怖によって追いつめられるのをじっくりと描く小説だった。もちろんそんな状態では探偵役など務まるわけもなく、事件は彼とは関係ないところで勝手に解決し、彼はそれを知らずに恐怖し続ける。しかしそれも時が経てば消えて、なにもなかったように平穏が訪れるのである。最後にカタストロフが訪れないところが、筒井作品としては逆に意外かもしれない。

 作者の狙いは理屈ではわかるのだが、特に読んでいて面白くはない。意中の女性が微笑みとともに迎えてくれたと思ったら実は恐怖に歪んだ顔の死体だったとか、彼女の形見に譲られた人形が彼女に異様に似ていてしかも人の喋る言葉を繰り返して話しかけてくるとか、あとから考えれば怖いもののはずだが、あまり印象には残らず流して読んでしまう。理屈ではおもしろさがわかるのだが、特に読んでいておもしろくはないというのは困る。何十年か後にはまた『筒井康隆全集』というものが出て、膨大な注釈によってこの作品の深い企みが明らかにされるのだろうか。

(そういえばちょっと引っかかったのは、犠牲者が二人の時点で三人が死ぬような話を刑事が言っていたこと(p.73)。なぜ三人と言ったのか、あまり意味のない発言かもしれないが。なにかの伏線なのか?と思ったらそういうわけでもなかったらしい)

 

伊島りすと『ジュリエット』(角川ホラー文庫、2003年、単行本2001年)B

 懐かしい小説である。刊行当時にたしか図書館で読んで、よくわからなかった覚えがある。今回久しぶりに読んでみて、読み方がわかった。というか、大森望が「これは『シャイニング』に見せかけた『ソラリス』である」というような解説をしているのを読んで、この作品に限らず、こういう話の読み方がわかったというべきか。

 こういう話というのはつまり、「超常現象を起こすだけ起こしておいて、その原因はろくに語らず、ラストで背後になにか巨大なものがあることを匂わせて終わらせる」というものである。とにかく盛り上げてやろうという親切心は感じるものの、結局なにがあったのかはよくわからず、そこを期待して読むと尻切れトンボの印象を残す。こういうものは全部、『ソラリス』だと思えば良い。惑星ソラリスの海は、降り立った人間に不思議な現象を見せて干渉してくるものの、結局その意図は最後までよくわからない。わからないまま、それにかかわった人間たちはそれに反応し、変化していく。こういうホラー小説もそう読めば良いのである。

 始まりはスタンダードなホラーである。沖縄近辺のある離島に、バブル期に建てられたきり廃墟となったリゾート施設があり、そこの管理人として雇われた男性と14歳の娘、幼稚園児の弟が主人公。みごとに『シャイニング』っぽい導入である。

 父親は阪神大震災で妻を亡くし、娘はイジメで不登校になり、弟も大好きな犬の死でショックを受けているなど、それぞれに心の傷を抱えており、彼らは環境を変えるために離島での生活に踏み切った。だが管理人として自然の猛威と戦ううちに、一家はこの島に潜む怪異と直面することになる。それは正体は明かされないものの、男の妻や娘の友人など、死者の姿をとって現れてくる。死者は死んだことの恨みや苦しみをぶつけてきて、彼らはいやおうなしにつらい過去と向き合うことになるが、かえってそれを直視することで家族はトラウマを克服し、崩壊しかけていた絆は再生していく。

 どうもその島に根付いている植物がそういうことをする力を持っているらしいのだが、どういう「意図」でそんな現象を起こしたのかはわからないまま終わるあたりは、確かに『ソラリス』的である。結局なんだったんだ?と考えても、あまり意味はないらしい。あくまで心の傷からの救済の物語として見るべきだろう。

 テーマとして織り込まれるバブル崩壊後の社会、阪神大震災によるPTSD自傷行為児童虐待、イジメと不登校などの、今見れば定番のネタの数々は、天童荒太永遠の仔』が1999年と考えるとちょうど流行っていたあたりか。当時の流行のネタを盛り込みながら、超常現象によって家族が崩壊ではなく再生に向かうというのは、ホラーとしては珍しかったのかもしれない。

 本書の刊行当時は、『パラサイト・イヴ』『黒い家』に続くホラー小説大賞の長編ということで、そうとう期待されたと思うのだが、伊島りすとはその後『飛行少女』『橋をわたる』の2作で沈黙。『飛行少女』は、広島・長崎に続いて落とされた「第三の原爆」と、それに立ち向かった超能力少女の物語で、上下巻の大作ファンタジーで面白かったと記憶している。にもかかわらず、瀬名秀明貴志祐介ほど続かなかったのが残念だったのだが、今調べたら、実はこの人は1948年生まれだったらしい。デビューが2001年だからその時点で53歳。それを知ってみれば、その年齢からの活躍はさすがに難しかったということか。現在74歳、筒井康隆がいまだ現役の現代であればもう一作……と思わなくもないのだが。

 

 あと気づいたのが、作者が「思春期の反抗的な女の子」を好きらしいというものがある。これはフィクションの世界で妙に人気のあるキャラで、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のクエス・パラヤが代表的だと思うが、常に不機嫌で、態度が過度にとげとげしいのが特徴である。つらつらと思い出してみると、東京マグニチュード8.0の未来・悠貴の姉弟とか、電脳コイルのフミエ・アキラの姉弟とか、素直でおとなしい性格の弟もセットのように出てくる。

 だいたいこういうキャラは、周囲を傷つけ、物語を悪いほうに動かす役回りばかりで、若いころは目ざわりで仕方なかったのだが、今読むと不思議と、そんなに気にはならない。要するに年を取って、他人事として楽しめるようになったということなのだろう。とはいえ自分はいまだに好きにはなれないが、人によっては偏愛して出したがるようになるのかもしれない。本作のシャワーシーンなど、ややロリコンめいた描写もないではなかったし。