DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

平山瑞穂『出ヤマト記』B、京極夏彦『ヒトごろし』B

【最近読んだ本】

平山瑞穂『出ヤマト記』(朝日新聞出版、2012年)B

 どう読めば良いのか、困る小説である。

 窮屈な日常に不満をもつ少女が、実の祖父がいるという北の楽園「ヘブン」を求めて旅をする、ディストピア小説といえなくもない。

 だがそう読むには露骨に、「ヘブン」にはかつてユートピアとされていた北朝鮮が意識されている。「トッキ」のようないくつかヒントとして出てくる単語も、調べてみると韓国語である。かといってこれは北朝鮮そのものかと言えばたぶんそうでもない。いくらこの主人公が子どもでも、私たちの時代に普通に生きていれば、北朝鮮に無邪気に憧れを抱くことはありえないだろう。だから、あえて言うなら北朝鮮への憧れが持続した架空の現代を描いた小説というところか。

 いまいち全体像がはっきりしないのは、基本的に世間を知らない少女の視点から亡命劇を描いているからでもある。彼女は何ものかの手引で北朝鮮に潜入は果たしたものの、ヘブンへと向かう電車に乗るのに失敗し、付近の森をさまよって行き倒れる。普通ならそのまま死ぬところを、偶然通りかかった少年兵に助けられ、小さな山小屋に潜伏する。その彷徨や、匿われる間の潜伏生活が小説全体の半分以上を占め、読者には断片的にしか情報は与えられない。なにもわからないまま話が4分の3を過ぎたあたりから、やや強引かつ急激に、SFかスパイ小説めいた説明がつけられ、意外なハッピーエンドを迎える。

 なぜこの小説が書かれたのか? それを考えるうえで、この小説が書かれた時期はとても微妙である。この小説が出版された2012年に先立つ2011年12月17日に、金正日が死亡している。小説内でも、金正日らしき人物の死が、今後の変動を予言する大事件として語られている。ということは、金正日の死亡を機に、北朝鮮が希望であった時代を知る著者が、ノスタルジーをこめて書いたものなのかというと、そうとも言い切れない。この小説の連載は、金正日の死ぬ前の『小説トリッパー』2011年夏季号から始まり、死後の2012年春季号で終わっている。金正日の死が近いという噂があって書き始めたのか? それともたまたま時期が一致したのか? そのあたりはぜひあとがきか何かで語ってもらいたかったものだが、とくだん明かす気はないようだ。本書が文庫化される様子も、今のところ、ない。

 この小説を読む限りでは、著者はどうも、金正日の死で北朝鮮に大変動がおこることを予感しているようにも見える。それは現実には外れ、トップの交替は意外にスムーズに終わった。2022年現在も北朝鮮はノスタルジーの対象ではなく存続している。本書をタイムリーな予言の書のつもりで書いたのか、他になにか意図があったのか、いつか知りたいものである。

 

京極夏彦『ヒトごろし』(新潮社、2018年)B

 土方歳三の生涯を描いた1000ページの長編。

 いくら京極といえども新選組小説でそうそう斬新なものが書けるわけはなく、新選組についてはある程度読者の了解を得たうえで少し違う視点を提出するという感じである。 

 本書の土方は終盤で自分を振り返った述懐の通りである。

 歳三は人殺しだ。人を殺めるのを好み、人を害することが止められない人外だ。だが、これまで人殺しでいるために歳三が払って来た代償は限りなく大きいのだ。

 歳三は人殺しでいるために、何もかもをかなぐり捨て、持てる限りの知と能を駆使し、命懸けで臨んで来た。人殺しは決して赦されない大罪であるということを、十二分に知っているからである。(p.1026)

 そのとおり、土方は、人を殺したいがためになんでもする。人を殺したいがために、合法的に人が殺せる武士になり、人を殺しながら生き続けるために、邪魔者を排除し、新選組を組織として成長させてもいく。幕府が瓦解したあとは、明治政府下では罪に問われ殺されるとわかり、榎本武揚蝦夷共和国に参加して戦いもする。そういう土方の行動を、志とも、哲学とも、闇とも、人々は勝手に判断して、土方とかかわっていく。沖田も、近藤も、山南も、伊東も、斎藤も――他いろいろな人が、土方を理解したつもりで、人を殺したいだけという土方の欲望を理解せずに消えていく。その果てに、土方自身もまた、蝦夷の地で死んでいくことになる。結局だれにも理解されず、しかし歴史に大きな足跡を残していった土方の生きざまは、読み終えるとさすがに圧倒される。最後まで土方を一方的に信じて慕う島田が哀れだった。

 意外に最近の新選組作品もおさえている感じで、殿内義雄や阿比留鋭三郎がちゃんと出てくるのは大河ドラマ新選組!』を、吉村貫一郎が出てくるのは浅田次郎の『壬生義士伝』を踏まえているのだろう。一方で沖田を暗い殺人狂としたり、芹沢鴨の死にざまをひどく情けないものにしたり、定型をはずすような描写も多数されている。特に沖田総司ファンがこの作品をどう捉えたかは気になるところだ。