DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

高橋克彦『時宗 全4巻』B、マイク・レズニック『第二の接触』A

【最近読んだ本】
高橋克彦時宗 全4巻』(講談社文庫、2003年、単行本2000年~2001年)B
 『時宗』とはいいながら、北条時宗はなかなか生まれない。話は1246年、時宗の父・時頼が、病床の兄・経時から19歳で執権職を譲られるところから始まる。北条政子の死(1225年)からは既に21年経っており、三浦義村の死は1239年、北条時房は1240年、北条泰時は1242年に相次いで死去と、『鎌倉殿の13人』の主要人物が軒並み死んで少し経った頃である。大河ドラマが義時の死(1224年)で終わるならば、間に一世代おいたくらいだろうか。最初に北条家の複雑な勢力図が語られるあたりは、『鎌倉殿』を見た後ならだいぶわかりやすい。
 執権になった時頼は、若いながらも冷静な策士ぶりを発揮し、鎌倉の内紛を次々に制していく。『鎌倉殿』における陰惨な権力闘争はこの時代においても健在であり、北条氏と並ぶ権勢を誇った三浦氏は、三浦義村の死後10年を待たずに滅ぼされてしまう。このあたりのあっけなさは、まさに『鎌倉殿』から地続きの世界であることを実感させる。
 とはいえこのあと鎌倉は一時的に安定期に入り、その中で北条時輔北条時宗が生まれるのである。
 大河ドラマとの大きな違いは、時輔と時宗の兄弟が最後まで仲が良いことである。それどころか、本作では時輔が討たれた二月騒動とは、彼が表舞台から姿を隠すための大芝居であり、その後は鎌倉から離れられない時宗の分身として、博多で蒙古軍を迎え撃つ指揮をとる。ほとんど架空戦記のような大胆な設定だ。その他、北条長時北条政村も大河と異なりさしたるトラブルもなく姿を消し、いったいどのあたりに原作らしさが残っているのかわからない。
 クライマックスはもちろん文永の役弘安の役なのだが、これも大河ドラマとはずいぶん違う。文永の役で指揮を取る時輔は、あえて敵の上陸を許し、博多までおびき寄せたところで一網打尽に殲滅するという作戦をとる。そのための偽装の退却は、演技と悟らせないため文字通りの捨て身であり、ここの描写は熾烈を極める。だが敵は案に相違して中途半端なところで退却してしまい、ほぼ無駄死にとなる。そして再びの弘安の役は、敵の内部分裂や嵐もありあっさりと終わってしまう。
 ここで、元軍の大将で忻都という男が出てくる。彼は南宋の残党や高麗軍による反感、そしてクビライへの恐怖に悩み、なかなか侵攻が進まないなか、神風と呼ばれるあの嵐に襲われ、そのあとの行方は知れない。彼がいちばんの被害者として印象にのこった。元軍の側からの元寇というものも、もっと書かれるべきではないか。
 そして、時宗の死は、エピローグとして簡単に触れられるばかり。文永の役だけが突出して詳細に語られるという、どうにもバランスの悪い小説だった。
 全体に、定説への変化球といった趣の小説であった。すぐ読めるが、これひとつで時宗の時代が理解できるとはとても言えない。

 

マイク・レズニック『第二の接触』(ハヤカワ文庫、1993年、原著1990年)A
 原題はセカンド・コンタクト。ファースト・コンタクトを終えたあと、改めて正式に交流をするまでという話。今だったら英題そのままでも通じたのではないか。

 『キリンヤガ』があまりにひどかったので、他もこんな風なのかと思って読んでみたが、これは面白かった。久しぶりにわくわくして読んだ。浦沢直樹の『MONSTER』を読んでいたときのスリルを思い出した。
 とある宇宙船内で殺人事件が起きる。犯人の船長は、乗組員が宇宙人のスパイだとわかったから殺したのだと主張していた。むりやり弁護人を引き受けさせられた宇宙軍のベッカー少佐は、めちゃくちゃな言い分に呆れながらも形式的な調査を始めるが、船長の主張を裏付けるための手がかりが、なぜかことごとく妨害されて手に入らない。もしかしたら、船長が殺したのは本当に異星人だったのか? 捜査のなかで黒人女性の凄腕ハッカーを味方につけて、軍の執拗な隠蔽と追跡をかいくぐりながら、ベッカーは真相に迫っていく。
 楽しく読めたのは、そもそもが批評性の薄い、気楽に読めるスパイアクション小説であったということもある。しかしおもしろいことに、『キリンヤガ』も本作も、「絶望的なディスコミュニケーション」が核にある。根っこは同じなのだ。『キリンヤガ』では、周囲がどれだけ説得してもキクユ族の祈祷師コリバはユートピア建設に邁進して耳を貸さず、そこがいらだちを感じさせた。『第二の接触』では、ベッカーの必死の捜査にかかわらず彼の欲しい情報は一切手に入らず、それこそが「実は宇宙人はいたのでは?」という期待につながり盛り上がっていく。証拠がないことが逆に宇宙人の存在の証拠であるというのは、ミステリ的にも面白いのではないか。まあタイトルがタイトルなのでほぼネタバレのようなものであるが、それでももしかしたら、という疑念で最後まで引っぱっていく。
 しかし――最後の最後、口頭で「真実」を伝えられて、それをあっさり信じて、しかもそれが本当に「真実」だったらしいというのは拍子抜けである。那須正幹の『ズッコケ宇宙大旅行』みたいな、突き放したようなもうひとひねりが絶対にあると思ったんだが。今だったらバッドエンドなお話が多いから、結局真実をなにも教えてもらえず闇に葬られて終わりそうである。