【最近読んだ本】
エッセイからいつのまにか本編に入っていく語り口が良いし、慶次郎の自由奔放さも良いし、彼をとりまく個性豊かな人々も良い。とくに、慶次郎と愛馬・松風との出会いのエピソードが良い。松風は野生の暴れ馬で、一帯の馬を率いて人間たちに対抗していたが、武器ひとつ持たずに現れた慶次郎と出会い、達人どうしのような対決ののち心を通わせ、無二の相棒となる。それからは、まるで副官のように、慶次郎をサポートし、何度となく主人の危機を救うのだ。もうひとり、慶次郎に惚れこんで従者のようになる抜け忍がいて、彼らの命を狙いながらも慶次郎に惹かれてなにかと助けてくれる忍びの宿敵がいて、一番の親友となる直江兼続なんかもいて、彼らもなかなか良いが、しかしこれは、なにより動物小説として意外な収穫である。彼らの繰り広げるほれぼれさせるようなエピソードの連続のせいで、小物になってしまっている前田利家がかわいそうではある。
朝鮮に渡ってから、最後の関ヶ原までは、やや歴史に縛られて窮屈そうな感じではあったが、最後まで楽しめる快作である。
K・W・ジーター『垂直世界の戦士』(冬川亘訳、ハヤカワ文庫、1998年、原著1989年)B
雲を見下ろすほどの高い塔が舞台である。多くの人々は塔の中の「水平な世界」に住んでいるが、一部の冒険心あふれる若者たちは壁の外の「垂直な世界」へ乗り出し、北斗の拳のような武装集団が群雄割拠するフロンティアになっている。
主人公のアクセクターもまた、水平を嫌って垂直の世界で生き抜く青年である。未知の映像を撮って高額で売ったり、エンブレムなどのデザインをして生計を立てていた彼は、ふとしたことから二大勢力の抗争に巻きこまれ、必死の逃亡と反撃を繰り広げる……
こう、少年漫画的な、爽快かつ壮大なスケール感みたいなものを期待したのだが、そういうものはない。巨大な塔の外壁にとりついて生きる人々のお話ということであれば、まずその景色の壮大さ、美しさという描写が入るものだと思うのだが、あまりそういう描写はなかった。今やっているBLEACHのアニメのOPの歌い出しが「青天井は 澄み渡る」というのだが、少年漫画に共通するのはそういう、青空を見上げたときの爽快感ということがあると思うのだが、ジュブナイル的な表紙に包まれたこの作品はそういうものではない。
しかし最後、この世界の対立の構図がぜんぶひっくり返るところはそれなりに盛り上がる。確か『グラス・ハンマー』なども含めて、メディア論的な思想を物語に組み込むのがうまい作家だが、本作でメディアが北斗の拳的な世界という「現実」をいいように作り上げて、みんながそれに騙されているという構図は、ブーアスティンの疑似イベント論などを想起させる。それに対抗するのがモールス信号みたいな原始的な通信手段だったりするのも面白い。89年にして、インターネットみたいなものを駆使しているのも、今思うと普通だが当時としては画期的だったのではなかろうか。
ほんとうは三部作の構想があったのを1作でとめたものだそうで、続きはないのが残念。