DEEP FOREST/幻影の構成

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「アルタイルから来たイルカ」について


「アルタイルから来たイルカ」マーガレット・セント・クレア 矢野徹訳 ハヤカワ・SF・シリーズ 1969年発行
“THE DOLPHINS OF ALTAIR“ Margaret St.Clair

アルタイルから来たイルカ (ハヤカワ文庫 SF 508)

アルタイルから来たイルカ (ハヤカワ文庫 SF 508)

注:2000年発行は多分なにかのミスです


「これは(中略)、世界が断絶の時期ともいえるときにあたって、いかなることが起こったかの確実な記録なのだ。」


<新しい海洋SFの傑作!
驚異的な知能を有するイルカ族は、その存亡をかけて、ついに全人類に宣戦を布告した!>


惹句にはそう書いてある。これはこれで興味を掻き立てられるが、
個人的にはタイトルも良いと思う。
<たいるか>、という何の意味もなさない音が短いタイトルの中で二つ重なることにより、
独特のリズムを創りだしていて、
これは英語版にはない、日本語訳独自の魅力といえるのではないだろうか。


作者のマーガレット・セント・クレアは、1911年生まれの、アメリカの女性作家。
伊藤典夫の解説では、女流作家の常として生年不詳、となっているが、別の本では11年生まれ。
1946年にデビューしており、この頃のSF界ではほぼ唯一の女流SF作家であるといっていいのではないか、と、伊藤典夫は推測している。
そんな男ばかりの状況にも負けずに多数の作品を発表しており、
アメリカの人気SF雑誌<ギャラクシー>の傑作選『ギャラクシー(上)』(創元SF文庫)にも、
「ホラーハウス」という短編が載せられている。
もっともその本の解説では一言も触れられていないが。


この作品の主人公はイルカである。高い知能を持つイルカが、自分たちの危機を救うべく、
同調する人間たちとともに戦う――それがこの物語だ。
表面的に見ればそういうことになるが、だがそれは正確には伝えていない。
他にも地球上には様々な生物がいるのに、何故イルカなのか。


<以下、ネタバレ含むので、読みたい人は注意。
とはいえ入手困難なのでこの先読む人がいるのかどうかは疑問ではある。
会える人で読みたい方には、言って下さればお貸しします>


それは、イルカと人間は本来同一の種の子孫だからである。
太古の昔、100万年以上前にアルタイルから移住してきた彼らは、
地球の環境に合わせて生きるために、海で生きるか陸で生きるかを選択しなければならなかった。


意見の対立の末、彼らはそれぞれが希望する方へ行くことに決めた。
そしてその時「聖約」がつくられた。それは彼らが互いの選択を尊重し、
その愛が永遠に続くことを誓った掟。
この「聖約」を胸に、彼らはそれぞれの世界へと旅立った。


長い月日が流れ、陸へ上がった種族は地球に元々いた霊長類らと交配し適応していき、
海へ降りたものたちは海の環境に適応して魚のような形態になり、
彼らは互いに離れた存在になっていった。
それは同時に聖約が忘れられていく過程でもあった。
海へ降りたものたちが独自にイルカとして進歩する一方で、聖約を決して失わなかったのに対し、
人類となったものたちはその「発展」とともに退化し、聖約を喪っていった。


そして自らの来歴も忘れ、好き勝手に発展してきた人類は、
遂に「聖約」を知らず知らずのうちに犯し、領土たる「海」への侵入を始めた。
海が放射能に汚染され、また軍事研究のために多数のイルカが捕らえられ殺されていく状況を知ったイルカたちは、
遂に人類に対して反撃を決意する。


しかしイルカだけではあまりにも無力であり、強力な仲間が必要だった。
そのためにイルカたちは人類から仲間を選び出す。
イルカの持つ、ウドラと呼ばれる精神感応的な能力の呼びかけに反応した人たち。
それに反応した人類が存在することは、彼らが祖先を同じくする存在であること、
そして「聖約」が人類から完全に失われてしまったわけではないことを示していた。
「聖約」は言葉ではなく生殖細胞を介して遺伝的に伝わるものであり、
人類もまた表層では忘れ去ったとはいえ、その深奥に「聖約」を持っていたのである。
そしてそれへの呼びかけに反応したものたちが、イルカたちのもとに集まった。


集まったのは3人。
高い感応能力を持つマデリーン。
人類に嫌悪感を持つ軍人・スベン。
好奇心旺盛な科学者であるローレンス。


イルカ族の歴史家・アムターを語り手として、
人類の中で最も聖約を強く深奥に受け継いでいるマデリーンが月の光(ムーンライト)としてイルカと人類を結び、
好奇心の赴くままにイルカに協力することを決めたローレンス博士が作戦をたて、
軍人であるスベンが兵器の調達と作戦行動を行なう。
彼らとイルカが人類に対して挑んだ戦いの記録が本書なのである。


最初は上手くいくかに見えた戦いは、だがすぐに苦戦に陥る。
まず緒戦において、彼らは何百頭ものイルカが収容されている軍事基地の一帯に地震を起こし、
イルカを脱走させることに成功するが、
地震を起こすために海底火山に撃ち込んだ爆弾が、そこに投棄されていた核廃棄物をも爆破し、
結果として海洋が汚染されてイルカが棲めなくなり、
それに加え人類への敵対に疑問を覚えたローレンスが裏切ってイルカたちの場所を教えてしまい、
イルカたちは勝利の喜びから一転し、軍の追撃から逃れる苦難に襲われる。
一方的な攻撃を受け多くのイルカを失い、スベンが行方不明になる中、ぼろぼろになりながらも必死に旅を続けるマデリーンとイルカたちは、
その中で絆を深め合い、徐々に聖約を取り戻していく。


だが逃れるなかで彼女が負った傷は確実に彼女の身体を痛めつけ、衰弱させていた。
追われる身では医者に連れて行くこともできず途方に暮れるイルカたちのまえに、
裏切りを悔いたローレンスが現われ、再び協力を申し出る。
このローレンスという男の行動は最後まで理解しがたいが、
とにかく彼はマデリーンに治療を施した後、最後の反撃に出ることを提案する。


彼の立てた作戦は、北極の氷を溶かし、全世界に洪水を起こすこと。
そのための機械を作る技術はアルタイルとの精神的な通信で授かったものの、
イルカたちはその作戦の実行をためらう。
どう考えても甚大な被害が出ることは間違いなく、
無関係な人間まで巻き込むことまでは、イルカたちは望んではいなかったのである。
しかし人間はイルカたちを許すことはないだろう、と、ローレンスに説得され、
新たに能力に覚醒して、軍の監禁から脱出したスベンも合流し、作戦を実行に移す。


作戦の立案者となり、そして最後までためらったイルカたちをよそに自らの手で人類に鉄槌を下したローレンスは、
総ての責任をその身に負うべく自殺してしまうが、
最終的に彼が独断で決行した作戦の結果は予想以上に大きく、
ニューヨークを始めとする世界中の都市が水没し、20億を超える人々が死んでしまう。
イルカたちにはイルカに害をなさない人間まで傷つけるつもりはなかったのに意志に反した結果が出て、
この惨状に心を痛めたマデリーンとスベンは、復興活動に協力すべくイルカたちと別れる。
イルカたちもまた、北極の氷がとけたことによる水位上昇の影響は逃れられず、新たな苦難を強いられていた。
こうして彼らはそれぞれの種の生き残りのために、再会を約してあらたな旅に出た。


この物語の背景には、高い知能を持つ哺乳類としてのイルカ、という学説がある。
それを1961年刊の『イルカと人間』という著書によって世間に知らしめたのが、ジョン・C・リリーという、オカルトマニアの間で今でも人気のある科学者である。
彼はその頃イルカを対象に、
発達した脳(人間よりも皺の数が多い)や、人間と同じ声も出せる高度な声帯を持つ彼らとのコミュニケーションの研究に身を捧げていたが、国の方でイルカを軍事利用しようとする動きが出て、それに抗議して研究をやめてしまった。
(と、浦達也「仮想文明の時代」カッパサイエンス にはある)
しかしこの研究には色々とロマンを掻き立てる要素があったらしく、その後もイルカは異種間コミュニケーションの可能性を示す存在として扱われてきた。
かのアーサー・C・クラークが『イルカの島』を書き、バシャールが人間とイルカを地球上の二つの知的生命としたのはその流れに他ならないし、
様々なアニメや小説、コミックにおいて、イルカは知性を持つ生物のモチーフとしてよく使われてきた。


もっともイルカは高い知能を持っているにはちがいないが、人間とのコミュニケーションが可能か、となるとそれは勿論わからない。
大体自分の愛する生物をひいきして良く言いたい、というのは誰しもあるもので、
たとえば動物学者の小原秀雄などは、『境界線の動物誌』などの著書で、象の墓を作る行動などの観察から象が高い知能を持つ可能性を示唆していたし、
そういった専門家の例を持ち出さなくても、
愛するペットが(本当かどうかは別として)人間と同じ感情を持つ、他とは違った特別な存在と感じる、
というのは、日常よくある話である。


またこの他にも、この物語には随所に当時の科学思想が反映されている。
その一つとして登場するのが、例えば人工子宮である。
これは人間の胎児としての発育と出生を擬似体験する機械で、
これを通過すると大人の人間が赤ん坊のような状態になり、10日間で歩くことを覚え、2週間で話すことができるようになる。
その時どう育てるかは、実験者の思いのままである。
スベンは凶悪なテロリストとしてそこに入れられ、従順な軍人として洗脳を受けるはずだった。
だがそれが逆にスベンの前世の記憶ともいうべき「聖約」を呼び覚ましてしまい、
スベンはイルカたちの良き仲間として復活する。


勿論作者は、こういった科学思想に賛同したのではなく、あくまでSF的なアイデアとしてこの物語を書いた。
本気でイルカと人間がアルタイルからきた共通の祖先を持っていると信じているわけではない。
しかしそこに幾分かの夢が含まれているのも確かだろう。
何しろ物語自体は、現代の目からすれば笑ってしまうようなものだ。
人類の側にはハイテク兵器など殆ど出てこず、やることは妙にスケールは大きいものの、動機もやり方も稚拙であり、ゲリラ戦の域を出ず、どこかバランスが悪い。
だがこの作品の魅力はむしろ、その戦いの中で描かれる、人間とイルカの交流にあると思う。
後半追撃を仕掛けてくる人間たちが狡猾で、どんな手を使ってでも反逆者を滅ぼそうとするのに対し、
イルカたちは一貫して誠実で純朴であり、最後まで、人類を傷つけねばならないことに心を痛めている。
その反逆がもたらしたのは世界の破滅であったが、その作戦でさえも人間が立案したものであることは重要なことである。
その皮肉な事実に、フィクションに仮託してマーガレット・セント・クレアが描きたかった、彼女自身の人間観が込められているのではないだろうか。