『徳川夢声の問答有用1』A、ウルズラ・ポツナンスキ『古城ゲーム』B

【最近読んだ本】

徳川夢声の問答有用1』(朝日文庫1984年)A

 話術の名手として知られた徳川夢声(1894~1971)は、1951年~1958年にかけて週刊朝日で「問答有用」という有名人との対談記事を連載しており、それは単行本全12巻として刊行されたが、その中の42編を選び、全3巻として朝日文庫で刊行した、その第1巻が本書である。

 尾張徳川家当主の徳川義親を第1回として、その後は薬師寺管長の橋本凝胤、吉田茂清水崑が同席)、正力松太郎湯川秀樹志賀直哉吉川英治柳田國男、北村サヨ(「踊る神様」として有名な宗教家)、山下清(付き添いに式場隆三郎)、織田昭子(織田作之助の晩年の妻)、今東光田中角栄長島茂雄と豪華な顔ぶれである。

 どうやら録音はしていなかったらしいのがもったいない――というのは、我々が読めるのはかなり編集されたものらしいからで、対談はいずれもよどみなく進んでいくから、徳川義親がシンガポール陥落のときに逃げ出したイギリス人の家に侵入して貴重な本や美術品を「保護」したとか、北村サヨが藪から棒に大宅壮一を罵倒しはじめたとか、ややきわどい話まで、いったいどうやって夢声がお話を引き出しているのかはよくわからないのである。

 『話術』なんて本を見ると、座談では「自分の話ばかりしない」などと一般論的なことが書いてあるが、こちらを読むと相槌だけでなく2,3行しゃべることも結構あるし、吉川英治には『宮本武蔵』の朗読劇の裏話を逆にインタビューされているのはまだ良い方で、正力松太郎にはテレビを民営にするか公営にするかで議論をふっかけたり、橋本凝胤との対話では、天動説を主張する凝胤と反対する夢声とで喧嘩になりかかったなどという裏話がある。読むうちに夢声自身の、庶民的な感覚をもちつつ風流も解する多面的な人柄も浮かびあがってくる構成で、なるほど座談の名手というのもうなずける。

 吉田茂とは政治家の似顔絵について不満を言い、今東光とは寺の収入について突っ込み、田中角栄とは演説の名手としてどもりの治し方について議論し、柳田國男とはアナウンサーらしく方言について語り、志賀直哉とは小説の話より犬や鳥の話ばかりし、湯川秀樹には自身の宇宙論を語りと、有名人だからということもあるだろうが、本業の話題を離れてかなり自由である。織田昭子の語る織田作之助の臨終では、いま書いている小説の話ばかりしているので遺言をとれなかったなどという話もあって泣かせる。

 解説は三國一朗。この連載が、夢声が座談の名手としての名声を確立する前の、おおきな挑戦であったという背景が語られ、名解説といえる。

 

ウルズラ・ポツナンスキ『古城ゲーム』(酒寄進一訳、創元推理文庫、2016年、原著2011年)B

 知らなかったが、ドイツ圏ではLARP(ライブ・アクション・ロールプレイングゲーム)なるゲームが流行っているという。参加者たちは現実世界をファンタジー世界や終末後の世界に見立てて、その設定のもとに何日間か仲間たちと生活するのである。古城や深い森が残るドイツならではというべきか、日本ではサバイバルゲームはあるけれど、特殊な設定下で何日もというのはちょっと難しそうだ。

 本書はそれを題材にした500ページ近いミステリである。森の中を14世紀風ファンタジー世界に見立てて10名以上で生活するゲームに、医学生のバスチアンは誘われて参加するが、参加者の失踪や大けがなどのアクシデントに見舞われる。外部との連絡も絶たれて孤立する中で、ファンタジーと現実の境界があいまいになり、あくまで設定と思っていた、その地に伝わる呪いの伝説が彼らを恐怖に陥れる。

 個人的にはあまり楽しめなかった。そもそもこのLARPなるゲームがあまり魅力的に思えなかったのがいけなかったと思う。500ページ近くの前半はほとんどゲームの説明なのだから、ほとんど読み飛ばしてしまった。それに主人公のバスチアンがいまいち煮え切らなくて、なかなか初対面の人たちになじめないのも良くない。終盤で怒涛のごとく明かされるゲームの背景も、少々無理を感じた。

 ただ事件のあと、それぞれのキャラの「その後」は良かった。必ずしも善人が報われ悪人が罰せられるといったものではなく、さんざん迷惑を掛けたキャラがずうずうしく主人公の前に現れたり、さんざん苦労した人が不幸になっていたり、何もなかったことにして日常を送っていたりと、必ずしもすっきりと割り切れない。これは何なのだろう?と思ったが、解説で作者がヤングアダルト系の人気作家と知って、腑に落ちたと思う。これはミステリではなく、ヤングアダルト小説なのだ。テーマは謎解きではなく、青春の苦さだったということなのだろう。

 

小野一光『風俗ライター、戦場へ行く』B、鷲田旌刀『放課後戦役』A

【最近読んだ本】

小野一光『風俗ライター、戦場へ行く』(講談社文庫、2010年、単行本2001年)B

 ある種、狂気の記録といえるのかもしれない。白夜書房のライターだった著者が、失恋のショックで1989年、23歳の夏に海外に行き、香港、タイを経て、なりゆきでカンボジア密入国し、戦場を目の当たりにする。その後も取りつかれたように、湾岸戦争アフガニスタン内戦、9・11テロ、自衛隊イラク派遣など、紛争のたびに出かけていく。その割に、「ボク」の視点から凄惨な戦場はあくまで軽く語られる。みずから「取材にかこつけた見物」と認めてみせる。危ないところには決して近寄らない私には信じがたいところである。

 だが、読むうちに飽きてきてしまう。刺激をもとめて紛争地に行くことにして、苦労して入国し、危ない目にあって来たことを後悔するが、紛争地につくと度胸がついて取材をし、凄惨な戦場を目のあたりにして戦争へのやりきれなさを抱き、そして帰るときはもう二度と戦場には行かないと誓う。しかし帰国してしばらくすると、また刺激をもとめて紛争地へ――というパターンがくりかえされる。空爆下のカブールで結婚式の音楽を演奏し続けたミュージシャンへのインタビューや、子どもを狙って投下されたおもちゃ型の爆弾の話などは印象に残ったが、しかし無駄が多い。ひとつの紛争地についてじっくり読んでみたい――というのは、他の著書でということになるのだろうが。

 

鷲田旌刀『放課後戦役』(コバルト文庫、2002年)A

 久しぶりに読んだ。思い出補正もかかっていると思うが、やはり面白い。

 崇高な教育理念を掲げた大学生組織「エミイル」は、活動を通じて次第に過激化していき、長野や新潟を根拠地に、国家に対して武装蜂起を開始する。自衛隊がのきなみ海外の紛争に派遣されている最中の事件であり、隙を衝かれた政府は、警察部隊が手もなく撃退されたことから、高校生からなる戦闘部隊「高等生徒隊」を組織する。主人公もまた、高校入学とともに、エミイルと戦う兵士になるべく訓練を受けることになる。訓練を通してかけがえのない仲間を得る少年たちだが、その背後では戦争終結のための陰謀が、少年たちも巻きこんで進行していた――

 という感じで、250ページに満たない中にずいぶん詰めこまれている。異色作ともみえるが、先行してコバルト文庫須賀しのぶの『キル・ゾーン』があってこそ認められたものだろう。

 こういうジャンルのマニアが読めば色々ツッコミどころはあるだろうが、ミリタリーサスペンスである以上に、本作は少年たちが戦争に正面から立ち向かう、古き良きジュブナイルとして完成している。

(以下ネタバレ)

 中盤から少年たちが参加する、戦争の指導者を拉致して停戦の交渉につかせるという作戦は、しかし大人たちの思惑でひねりつぶされ、友情を犠牲にしてまで理想に身をささげようとした少年も、戦闘のなかで自分の役目を果たそうとした少年も、次々に死をむかえる。すべてが徒労に終わった彼らの前で、ついに自衛隊が帰還し、大規模な鎮圧作戦が始まる。

 少年たちのオトナ社会への反抗と挫折、そしてその中で確かにあった美しい絆という、ジュブナイルのひとつの典型をなぞりながら、ハードな戦争ものを展開する本作は、個人的にはコバルト文庫のベストに入る。明治ていかのイラストも、暗い戦時下と少年の純粋さを描き出していて良い。

 作者はコバルトで三作ほど書いたのち、政治家になった。ネットでもラノベを書いた政治家として話題になった覚えがある。清水朔や友桐夏など、かつてのコバルト作家がリバイバルする昨今、ぜひ新作が読みたいと思う。

柳沢玄一郎『軍医戦記 生と死のニューギニア戦』A、柴田錬三郎『異説幕末伝』B

【最近読んだ本】

柳沢玄一郎『軍医戦記 生と死のニューギニア戦』(光人社NF文庫、2003年、単行本1979年)A

 軍医戦記――というから、野戦病院で働いた記録なのかと思ったら、工兵部隊として破竹の勢いのシンガポール攻略から一転して地獄のようなニューギニア戦まで参加して、そのつど負傷者がでたら治療にまわるという、よく生き延びられたというレベルの歴戦の勇士である。最後の方では、

「高級軍医、敵機がきました」

「あの爆音はね、ここに爆弾をおとす飛び方の音ではない。心配無用!」

 戦歴の勘だ。

「軍医といえば、後方の安全な場所で安穏としているものと思うだろう。だが、戦闘兵科部隊付軍医はそんなものではない。人一倍の体力と精神力、そして勘が必要なのだ。かずかずの死地にのぞんだ戦闘の体験がいうのだ。今ごろになって、こんなところに連れられてきた君たちが気の毒に思うよ」

 そういいながら、碁盤の上に、静かに、石をおいた。(pp.211-212)

 などと、やや格好をつけた、本書の内容を集約したような述懐がある。

 面白いのは、軍医であるからか妙に記録が詳細で、何日にどこにいて、他の部隊がどこへ行き、兵力は何人、というようなことが、地図もつけてこまごまと書いてある。かといって単調な記録の羅列におちいらず、シンガポール陥落時のイギリス兵の混乱や、現地の住民との交流、途中で小さなサルを拾ってずっと連れていたエピソードなど面白いし、山下奉文も少し登場して、一介の兵にまで気を配る好人物として描かれている。軍医としても、凄惨な治療風景もあれば、あわてて駆けつけたら顎がはずれただけだったという笑い話もあり、サービスも十分で、かなり書きなれているように見える。

 ただ、大局的な戦況は他の本を読まないとよくわからないところもあるし、イギリス軍の暴虐を批判するのに対して自軍への批判は甘いように思われる(敗色が濃くなると、だんだん現地人や非戦闘員とのかかわりが書かれなくなり、現地の畑から食物を獲得し、などとそっけなく済まされたりする)あたり、注意は必要そうである。また、地図があるのは良いが、地名の間違いが多い(一枚目の地図の「タルアン」は本文中では「クルアン」となっているし、ポート・モレスビーが本文中で「ポート・モスビレー」になっている箇所もあった(p.115))。

 とはいえ、山下奉文の独壇場として知られる戦場の、一介の部隊員からの貴重な記録であることは間違いないと思う。

 

柴田錬三郎『異説幕末伝』(講談社文庫、1998年、単行本1968年)B

 もとは『柴錬立川文庫 日本男子物語』として出たのを改題したもの。確かに日本男子物語だと手に取る人は少ないだろう。私だって敬遠する。

 連載した1967年の当時で70歳を確実に超えるというから、明治時代を実際に見てきたと言いたいのであろう老人・等々呂木神仙を語り手に、作者が幕末明治の反逆者の真実を拝聴する――という筋で、彰義隊、白虎隊、天狗党五稜郭桜田門天誅組など、時の権力に反乱を起こしてあえなく消えていった人々を題材に、歴史上賞賛されている者の裏面や、逆に貶められている者の内実といったものを明かしてみせる。

 しかしそう意外なことがあるわけではない。井伊直弼はすでに死ぬ気でいて、水戸藩士の襲撃も隠密の報告で知っており、彼らが襲い掛かったときはすでに服毒自殺していたのだ!などと言われても、ひねりすぎて面白くはない。等々呂木神仙も、別に実際に彼らの活躍を目の当たりにしたわけではなく、のちの歴史学の成果を踏まえたかのごとく、フカン的に歴史を語ってみせる。もちろん柴田錬三郎の名調子でわかりやすいものの、それ以上ではない。

 ただ、最近『青天を衝け』でにわかに存在を意識するようになった渋沢成一郎が、彰義隊の話で主人公格であったところは面白い。ここでの彼は、最初は彰義隊のリーダーとして、慶喜を擁して日光を拠点に政府への反逆を主張する。これは、江戸にとどまることにこだわる者たちの反対で挫折するが、彼はいちはやく脱隊して、榎本艦隊に加わって五稜郭に立てこもる。その際、混乱に乗じて大阪城から軍資金を持ちだし、五稜郭を脱出したあとは商売の資金にするなど、したたかな人間として描かれている。博徒たちとも独自のつながりがあり、資金を運ぶときはそのネットワークで無事に運びおおせるなど、成一郎本人はいちども負けを味わっていない。

 『青天を衝け』では、どうしても栄一に一歩遅れをとってついていくような描かれ方になってしまっているが、やや過大とはいえこうした描かれ方をみると、幕府のなかでの成一郎の存在の大きさについてもっと知りたくなってくる。

三好徹『政商伝』A、童門冬二『冬の火花 上田秋成とその妻』B

【最近読んだ本】

三好徹『政商伝』(講談社文庫、1996年、単行本1993年)A

 あまり知られていないが、三好徹は歴史小説の名手である。史料を丹念に読みこみ、自身の見解も交えながら、小説としても面白く仕上げてみせる。なにより、比較的短いのが良い。やはり小説として面白くしようとすると、フィクション部分をふくらませて不要に厚くなってしまうことが多いが、三好徹の場合はフィクション部分も史実に材を採って、無駄なく主人公の人柄を伝えようとしている。

 本書は明治期に政府とかかわりを持った商人たちが主人公という珍しい短編集で、三野村利左衛門、五代友厚岩崎弥太郎大倉喜八郎古河市兵衛、中野梧一といった面々。それぞれ小栗上野介高杉晋作坂本龍馬孫文渋沢栄一榎本武揚といった歴史上の偉人たちとのかかわりから導入されるので、時代背景も理解できて読みやすい。

 ただやはり短編集なので、生涯の一時期にスポットを当てるというものが多い。ちょうど『青天を衝け』に三野村利左衛門が曲者っぽく出てきたので読んでみたのだが、主に幕末の小栗とのかかわりが多く描かれて、その後に渋沢とどう関わるかはよくわからなかった。レファレンスとしては向かないが、入門としては最適な作家であると思う。

 

童門冬二『冬の火花 上田秋成とその妻』(講談社文庫、1998年(書き下ろし))B

 上田秋成が寛政6年(1794年)、60歳のときに、30年以上連れ添った妻のたまと京都の東山に小庵に移り住んだ頃を描いた小説なのだが、読んでみると、これは江戸時代の歴史小説というより、昭和の家庭小説である。さしずめ、定年を迎えてずっと家にいるようになった夫と、従順についてきたのを突然反旗を翻した妻、といったところ。普通ならこんな話は最初から読まないのだが、上田秋成というガジェットをもってまんまと読まされた感がある。

 そんな風だから、読み始めてそうそう、転居するなり妻は、部屋を真ん中で二つに仕切って、今度からは自分のことは自分でやってください、と宣言する。そうして、あなたは私のことを全然わかっていない、と言って泣き出す。秋成は秋成で、見た目は不機嫌にむっつりしているが、内心はおろおろしている。

 そんな二人を、近所の友人よろしく当時の名だたる文人たちが訪れる。秋成は、自分を訪れた若者に、こいつは自分にも本居宣長にもいい顔をしている、と怒りを覚えたり、伴蒿蹊の『近世畸人伝』に自分も入れてほしくて悩んだりと、俗っぽいところを見せる。そんなこんなで、多少の波乱を含みつつも、夫婦の日々は続いていく。

 そんな家庭小説的なエピソードを織り交ぜて、自然に秋成の生涯が頭に入ってくるあたりはさすがである。最後は妻との死別で終わって、タイトルもあいまって寂しさが残る。

 巻末には童門冬二の著作リストが載っていて便利――と思ったら、もはや98年の著作リストなど、作品数を考えるとまったく役には立たないのであった。

三好徹『幕末水滸伝』B、林青梧『足利尊氏(上・下)』A

【最近読んだ本】

三好徹『幕末水滸伝』(光文社文庫、2001年、単行本1998年)B

 史伝小説の多い三好徹の中では珍しく、架空の剣士・香月源四郎が主人公。幕末の江戸で剣の道を追究する彼を狂言回しに、福沢諭吉小栗上野介勝海舟清河八郎中村半次郎山岡鉄舟坂本龍馬今井信郎などなど、維新のそうそうたる面々が現れては消えていく。

 大河ドラマの主人公のごとく、有名人がことごどとく源四郎に惚れこんでなにかとかかわってくるのだが、なにしろ源四郎自身は歴史には名を残さないことになっているから、彼らに仕官の道をすすめられても全部ことわってしまう。読んでいる側としてはもどかしいところである。それに、連載したときに明確な続きものではなかったのか、長州征伐のときに使者となった勝海舟の用心棒になったり、勝海舟渋沢栄一らとパリに行くようにすすめられてその気になったりするものの、次の話ではなにごともなかったかのようになっていて、ストーリーもよくわからない。

 とはいえ、激動の時代の中で純粋に剣の道を究める源四郎はそれなりにさまになっている。最後は彰義隊に参加して行方不明となるが、どうせなら士族反乱あたりまで生き残ってほしかったものである。

 

林青梧『足利尊氏(上・下)』(人物文庫、1997年、単行本1984年)A

 ちかごろ話題になった『逃げ上手の若君』は、北条側に比して足利尊氏らがキャラとして面白いものになりそうもなく期待はずれで、なにか面白いものはないかと思って手に取った。吉川英治の『私本太平記』は、楠木正成の死(1336年)をもって実質的に終わっていたのが不満であったが、本作では正成は下巻の冒頭であっさり死に、その後の新田義貞らの戦いを経て、足利直義の死(1352年)あたりまでが詳しく描かれているのが素晴らしい。敵味方が入り乱れる興亡はとてもわかりやすいとは言えないが、後醍醐帝を尊治と呼び、天皇といえども拙劣な作戦に対しては「愚か」と切って捨ててみせるあたり、天皇どころか『三国志』では後漢献帝にも敬語をつかった吉川英治とはひとあじ違う。尊氏たちの背後で南北朝の実質的なプロモーターとして北畠親房夢窓疎石があらわれ、彼らの道具として宗教勢力が暗躍するところも、北方謙三とはまた違った形の南北朝を見せてくれる。

 作者はどうも敗者のほうに思い入れがあるらしく、勝者も敗者に転じるとがぜん生き生きしてくる。高い志をもちながら尊氏に翻弄されてつまらない死に方をするなどさんざんな描かれ方の新田義貞をはじめ、大塔宮、後醍醐天皇高師直足利直義など、事態が手に負えなくなってなすすべもなく死に追いやられていく段になると、サディスティックなまでに執拗に描かれ、それが本書を魅力的なものにしているように思われる。彼らにくらべて楠木正成はあまり触れられないのだが、これに先行する『南北朝の疑惑 楠木合戦注文』に書かれているのだろうか? 彼らにくらべると楠木正行南北朝の対立を冷ややかに見る冷徹なインテリとして、終盤に北畠親房をも手玉に取る存在感をあらわしてきて面白い。

 とはいえ足利尊氏は本書でも善人であり、周りが自分に何を期待しているかを察知する能力にたけていて、それゆえに心ならずも反乱に向かうといったところ。やや単純な性格の直義ともども、定型は脱していない。義詮や直冬も活躍の場がなくて中途半端であり、全体に足利一族は南北朝狂言回しに過ぎず、妙に精彩を欠く。直義の死後はやや駆け足になってしまい、楠木正儀ら次世代の戦いも描いてもらいたかったものであるが、予定はあったのかどうか、今となってはかなわぬ願いである。

塚本青史『仲達』B-、パトリシア・カーロン『行きどまり』B

【最近読んだ本】

塚本青史『仲達』(角川文庫、2012年、単行本2009年)B-

 司馬懿仲達が主人公という珍しい小説。司馬懿ははたらきが大きい割に、前面に出てくるのがやや遅いのと、諸葛亮の人気のせいか、不遇な人である。本作は曹操の死の直後からはじまり、世間の評判に流されずに政争を制したあとの司馬懿の死までを扱うが、基本的には戦争に出ないため、宮廷闘争が主になって全体に地味で陰湿である。

 久しぶりに塚本青史を読んだがやはり苦痛であった。どうも塚本青史は、書いている内容が高度な割に、文体はエンタメ小説であるというところが、どうしてもかみ合っていないように思える。会話を多用して要領よく話を進めてはいるのだが、ストーリーが起伏に乏しいために、結局は時代情勢の説明を延々と読むような形になってしまう。途中で退屈になってしまうのである。何度挑戦してもそうであった。

 しかし、『霍去病』以来、塚本青史という人は、史料に忠実な小説の書き手であると思って、我慢して読んでいたのだが、実際のところどうなのだろうか。本作も『始皇帝』などと同じく麻薬がキーアイテムとして登場するという点でワンパターンだし、徐庶が妙に活躍するのも変である。徐庶は、劉備諸葛亮を推挙した人として知られるが、選ばれなかったホウ統が恨んで徐庶の母を曹操の人質にし、徐庶はその復讐のためホウ統を暗殺して魏に行った、と、本作ではそうなっている。オリジナルストーリーにしても、いまいち意義がわからなかった(後の展開にもかかわるが、それは別の人でも良かっただろう)し、実はそういう説でもあるのか、よくわからない。ストーリーを犠牲にして、正確な情報を伝えようとしているのかとも思っていたのだが……

 

パトリシア・カーロン『行きどまり』(汀一弘訳、扶桑社ミステリー、2000年、原著1964年)B

 ある少年が恐ろしい殺人現場を目撃するが、ウソつきと評判の彼はだれにも信じてもらえず、ただひとりそれを真実と知る犯人にねらわれてしまう――という話は、『小さな目撃者』(Wikipediaによると、原作はマーク・ヘブデン、1966年。カーロンのほうが早い!)をはじめいくつも書かれているだろうが、やはりプロットして、どうやってもおもしろくなる「強さ」があると思う。

 本作の場合、真犯人が事件の発覚をおそれるあまり、ほぼ自滅に近い行動をとりつづけるにもかかわらず、大人たちがなかなか真相に気づかないところがサスペンスになっている。江戸川コナンがなんにでも事件をかぎつけるのとは逆に、少年が言っていることをウソと考えるための手段を、あの手この手で考えるのだ。

 主人公だけは犯人がわかっているのに周りはいっこうに気づかない、というシチュエーションは『ささやく壁』でも使われたものであり、作者お得意といったところか。最後はややご都合主義に終わるのも同じだが、ここまでの目にあったならまあ良いのではないかと思うところも一緒である。

 しかしオーストラリアならではというべきか、読んでいると戦時中の日本軍の捕虜収容所の話がストーリーに思わぬところで暗い影をおとしていて驚いた。日本人として身につまされるところであり、ある意味日本人が読むべきサスペンスといえるのかもしれない。

神坂次郎『秘伝洩らすべし』B、ジェイムズ・デラーギー『55』B

【最近読んだ本】

神坂次郎『秘伝洩らすべし』(河出文庫、1986年)B

 薄くて読みやすいが、クセの強い短編集である。

 神坂の代表作である『元禄御畳奉行の日記』は、実在の日記を読み解くことではなやかな元禄時代の陰の部分をあばきだしてみせたが、本書でえがかれる江戸時代も、繁栄の裏で平然と差別のまかりとおる非情な世界である。金持ちは貧乏人を見くだし、武士は町人を見くだし、ヤクザは乞食を見くだし、それを疑問に思うこともない。その中で見くだされてきた者が、ある瞬間にとんでもない逆襲をしてみせるところに妙味がある。

 とはいえ読んだときはやや疲れていたせいか、それとも悪人たちもそれなりに愛嬌があるせいか、手放しで爽快なものではなかった。その意味ではちょっとクセが強いのである。その中では最初の、乞食の歌にあわせて踊る芋虫とそれを奪って金もうけをしようとするヤクザの話が、人間の欲をこえた仙人や動物の境地をかいま見せて良かっただろうか。ほかは空を飛ぶ木馬や他人の秘密をあばく超能力など、アイデアは面白いもののせせこましい人間の欲をみせて食傷気味になる。

 表紙はモンキー・パンチ。不敵な面構えが内容に合っている。

 

ジェイムズ・デラーギー『55』(田畑あや子訳、ハヤカワ文庫、2019年、原著同年)B

 舞台は2012年11月、オーストラリア西部の小さな町。平和なその町に、ある日ふたりの男が現れる。彼らは連続殺人鬼に監禁されていたのを命からがら逃げだしてきたと、まったく同じことを訴え、互いをその殺人鬼その人だと名指しする。いったいウソをついているのはどちらか? ――という、ややひねりすぎたような発端である。

 事件に立ち向かうのは、この町の巡査部長と、本部から派遣されてきたエリートの警部補。しかし元は親友だったというこの二人は、ことあるごとに反目しあう。命令をどちらが出すか、憂鬱な記者会見をどちらがやるか、雑用をどちらがやるかといったことで対立し、互いの推理や捜査に文句をつけて足をひっぱりあうのだ。見方によってはこの対立が、事件を悲劇に追いこんでいく。

 新本格を読みなれていると、このアイデア一発で500ページ近くひっぱるのかと期待してしまうが、この謎自体は半分くらいで解決し、それ以降は正体を現した殺人鬼と捜査陣の対決を描くサイコサスペンスに移行する。デビュー作というのは誰でもとかく詰めこみするきらいがあるが、本作も前半と後半でジャンルがガラッと変わるところに賛否ありそうで、その中で変わらず反目し続ける主人公ふたりが物語のトーンを支配している。

(以下ネタバレ)

 アイデアは部分的にはどこかで見たような話である。主人公自身が知らないところで事件の発生にかかわっていたという真相はロス・マクドナルドの『運命』を思い出すし、捜査陣の家族が巻きこまれて悲劇的な結末を迎えるのは貫井徳郎の『慟哭』を想起する。しかし、ストーリーにともない主人公のみならず登場人物を「自分ではどうにもならない現状」に追いこんでいくさまは悪趣味なほどで、その閉塞感や焦燥感が本作の持ち味といえるだろう。

 なお、ネットの評判ではラストについては解釈がわかれているようだが、個人的には「間に合わなかった」ということで特に疑問はおぼえなかった。事件は二人の和解をもたらしたものの、取返しのつかない不幸も与えたということこそ、この作者らしい結末であろう。