東野圭吾『おれは非情勤』B、中岡潤一郎『スカーレット・ストーム』B

【最近読んだ本】

東野圭吾『おれは非情勤』(集英社文庫、2003年)B

 就職に熱心でなく、非常勤講師として小学校を渡り歩いている「おれ」が、行く先々で遭遇した事件を解決していく連作ミステリ。

 連載誌が「五年の科学」「六年の科学」という、東野ミステリの中でも異色作であるが、子ども向けだから穏当な内容になるのかと思いきや、殺人や浮気といったネタが惜しげもなく出てきて、中には子どもたちが原因で教師が死に追いやられるというエピソードもあったりして、なかなかにハードである。当時読んだ子どもには強烈な印象を残しているかもしれない(掲載年から考えて、おもに97年に小学5年だった人……と考えると、自分より2歳下ということになる。意外に身近に読んでいた人がいそうだ。「五年の科学」や「六年の科学」を購読していた人がレアであるだろうが)。

 事件の謎じたいは簡単な暗号めいたものが多く、多分連載時は挿絵入りでクイズ形式の趣向だったのではないかと思われる。そのあたり、連載時との異同も確かめてみたいところだが難しそうである。

 暗い雰囲気を救っているのがクールな主人公で、あくまで一時的な職場のつもりで非常勤講師になり、子どもたちとはベタベタしようとはせず、しかし一方でしっかりと事件は解決し、子どもたちに大事なことを教える。紙幅の都合もあるのだろうが、その後の顛末や子どもたちとのお別れも描かれないなど、どこまでもドライである。

 もっとこの路線を読んでみたいという気もするのだが、その気はなさそうなのが残念である。

 

中岡潤一郎『スカーレット・ストーム 第二海軍物語』(銀河出版、2004年)B

 明治41年ツングースカで謎の大爆発が起こってから、世界中で男子の出生率が激減する。軍隊の兵力が深刻な不足に陥った帝国陸軍は、山本五十六・米内光政・井上成美・堀悌吉らの献策で、女性から成る第二海軍を創設する。彼女たちは男たちの偏見や侮蔑にも負けず訓練に励み、ついに昭和16年アメリカとの戦闘が始まる。

 意外に真面目な架空戦記である。終盤のマーシャル沖での戦闘が開戦につながるなどの「面白さ」はよくわかっていないものの、前半の厳しいながらも明るい少女兵たちの日常から、一転して後半の人死にが続出する凄惨な戦い、その末につかみとる勝利など、一巻でかなり内容は濃い。ただ、群像劇としてはそれぞれの人物の見せ場が十分になかった気がする。イラストもどれが誰かわかりにくい。大西瀧治郎が妙に人情家に描かれている意図も気になるところである。

 ある程度世界になじむとがぜん面白くなるので、2巻以降も読む予定。

樋口明雄『ハイスクール重機動作戦』A、島田荘司『天に昇った男』B-

【最近読んだ本】

樋口明雄『ハイスクール重機動作戦』(富士見ファンタジア文庫、1990年)A

 先日、松岡圭祐の『高校事変』(2019年)を読んだのだが、この作品のパクリだったのではないかというくらいによく似ている。

 まあ、「高校をある日突然謎のテロリスト集団が占拠し、ひとりの女子高生が特殊なスキルを駆使して友人たちと立ち向かう」というプロットなら、大体似てきてしまうものなのかもしれない。とはいえ、テロリストメンバーとのやり取りやうろたえるばかりで不甲斐ない教師、明かされる正体のショボさなど、あちこちに既視感があった。

 本作の特色は、パワードスーツ<ガン・デッド>の登場である。もともと学生が文化祭の出し物で作っていたもので、

「<ガン・デッド>は、十分実戦に使えるように設計してあるんです。セラミックとステンレスの装甲は、厚さ最大5ミリ。両腕の力は、パワー・ショベルのおよそ1.5倍。メイン出力600馬力、総排気量6812ccの水冷V型8気筒ディーゼル・エンジンで駆動し、100メガバイトのコンピュータを使ったイメージ強化装置に赤外線暗視装置――」(p.139)

 という代物で、これを親のコネを駆使して資材を集めて、20億円かかるところを36万円で作ったという。

 序盤から登場を期待させておいて意外に活躍できないのが少し不満だが、映画研究会の青春小説としてもうまくまとまって文句はない。続きも読みたいのだが、プレミアがついてるようなのでどうしたものか。

 

島田荘司『天に昇った男』(光文社文庫、1994年)B-

 当時書いていた『秋好英明事件』の副産物として生まれたものだという。無実の罪で死刑になった男が、首を鍛えることで絞首刑を生き延びて(!)、特例で釈放される。彼は事件のあった街に戻り、愛する女性と人生をやり直そうとするのだが……

(以下ネタバレ)

 これは短編にすべきだったのではないだろうか。読んでいるうちにどうしてもビアスの某短編が思い出されて、オチがわかってしまう。これを通して死刑反対へのメッセージを込めたようなのだが、印象に残るのは死刑そのものよりも、閉鎖的で差別感情を持つ町の人々の恐ろしさや、知恵遅れの少女が実はすべてを支配しているサイコホラー的な逆転劇といったものだろう。主人公が不幸になる以外になく追いこまれていく様は読んでいてとてもではないが楽しめるものではなく、つらい本だった。

村上龍『五分後の世界』B、渡辺一雄『偽装買収』B

【最近読んだ本】

村上龍五分後の世界』(幻冬舎文庫、1997年、単行本1994年)B

 コロナ禍で再評価の声もある『ヒュウガ・ウイルス』に先立つ第一作。こちらはこちらで、異世界転生ものの先駆けと言えなくもない。ジョギングをしていた男が、ある日突然、時間が5分だけズレた見知らぬ日本に迷いこみ、何かの行進とともに歩いている、というスピーディな幕開けとなる。

 こちらの日本は、第二次大戦の後、連合国に分割統治されており、日本軍の残党は地下に広大な拠点を構築して抗戦を続けている。一種の宗教集団のような、高い技術力と統制の取れた国家体制の中に、迷いこんだ男――小田桐は、運命に導かれるまま地獄めぐりをすることになる。

 異世界転生ものと比較したとき、小田桐が中年男性であるというのが目を引く。親には捨てられ、AV制作会社の社長などをして世間の闇を見てきた彼は、元の世界で知らなかった人の情愛や、自分の力の通用する領域を見つけて、生き抜いていくことになる。このあたりの展開は、人生経験の乏しい、平凡な学生が主人公では考えられないところだろう。

 久しぶりに読んでみると、妙に元気が出る。武器の使い方も知らなかった中年男性に過ぎない小田桐は、しかし幸運もあって凄惨な戦闘を生き抜き、日本軍に一目置かれるまでになる。そして最後に小田桐は、この世界で生きていくことを受け入れる。それが、五分遅れていた時計をこの世界に合わせるという些細なことなのが、逆に良い。この世界は、自分は絶対に行きたくないが、前向きなラストに思えるのは不思議である。

 

渡辺一雄『偽装買収』(徳間文庫、1994年、単行本1991年)B

 企業小説の代表的な書き手と思われるが、この作家は初めて読んだ。

 話は太平洋戦争の頃から始まる。戦争末期、出征した天道次郎は、同じ部隊にいた森口という要領のよい男に、なにかと使い走りにされる日々を送っていた。森口は終戦後も要領の良さを生かして事業を起こすがしばらくして失敗、いっぽう天道次郎は復員後、偶然が積み重なって巨万の富を得るまでになっていた。

 しかし天道には隠された目的があった。職人気質で善良な父に、失敗の責任を負わせて自殺に追いこんだあるデパートへの復讐である。流通業界の大物になった天道は、森口を利用してさらなる事業の拡大を図る。それはデパートと森口への復讐を隠すための遠大なカムフラージュだった。

 企業小説というのは敬遠していたが、これは読みやすい。個人的な復讐という動機がバックにあるため、行動も理解しやすいのである。なんでも著者がもとは大丸に勤めていて、その内部の不正を告発する小説でデビューしたという人だそうで、こういう復讐譚が作品にも多いらしい。もはや復讐のことしか考えていない天道は、静かな狂気を見せてなかなかの印象を残す。ちなみに天道次郎と森口富夫は小林茂清水信次という実在の人物がモデルで、現実には死ぬまで親友であり続けたという。それを知りつつ読んでいたので、冷酷に森口を切り捨てるラストはぎょっとした。

 この作家、いまでもブックオフで多少は見かける作家なので、機会があれば他にも読んでみたいものである。

桐野夏生『天使に見捨てられた夜』B、篠原健太『彼方のアストラ』(全5巻)A

【最近読んだ本】

桐野夏生『天使に見捨てられた夜』(講談社文庫、1997年、単行本1994年)B

 女探偵・村野ミロシリーズの第2作。AV撮影のレイプシーンが実は本物のレイプなのでは?という真偽の調査を、フェミニズム団体から依頼されたミロは、AVの画像というわずかな手がかりから撮影された女性を探索していく。その果てに、「男の欲望の犠牲になった女性」という単純な図式にはおさまらない、ひとりの女性の生きざまが浮かびあがってくる。「雨の化石」など強引な手がかりもあるものの、地道な調査を退屈させずに読ませる構成は相変わらず巧みである。

 一方で、それぞれの要素を見ると、AV撮影の裏事情という今回もアングラな話題に、なにか隠しているらしい依頼人、女性ゆえの差別、そしてかかわった男との必要性の疑問な濡れ場、近所のゲイたちとの交流、父による陰に陽にの手助け、被害者と加害者の構図の逆転……などなど、一作目との共通点が多く、それをひとつの物語としてうまくまとめてみせる手腕はすごいものの、同工異曲の印象もある。それに、これは「レイプもののAVの撮影が実は本物のレイプだったのでは?」というのが発端であるが、どうしてもニコラス・ケイジの『8mm』を思い出してしまうところもあり、あの冷酷な真相にくらべるとやはり見劣りする。 

 村野ミロシリーズは、このあと短編集・父を主人公とした外伝を経て、上下巻の『ダーク』で終わってしまうらしい。シリーズ化は難しいと判断したものか、ミロの父のキャラクターなど魅力的なだけにもったいない。

 

篠原健太『彼方のアストラ』(全5巻、ジャンプコミックスプラス、2016年~2017年)A

 面白い。9人の少年少女が宇宙を漂流するというスタンダードな設定であるが、生還するまでにたどる未知の惑星での胸躍る冒険、襲いくる危機に知恵で立ち向かう雑学的な面白さ、それを通してそれぞれのキャラクターが心を開いてチームとして団結していくという成長物語が組み合わさって、正統の冒険SFになっている。5巻でまとまっているのも良い。物語づくりの教科書のようである。ラストで明かされる真相も、ちゃんと伏線を張ったうえで見事に予想を外されてしまった。

 不満を言うなら、生還できると確定してからが順調すぎた気がする。敵のほうももう少し抵抗して、まだ他に黒幕がいたとか、彼らが帰ってくるのを察知して罠を仕掛けるとか、もう一波乱あるのではないかと思ったのだが、それでは蛇足になるという判断だろうか。

松岡圭祐『高校事変』B、松尾スズキ『宗教が往く』(上下巻)B

【最近読んだ本】

松岡圭祐『高校事変』(角川文庫、2019年)B

 総理が訪問中の武蔵小杉高校を、突如として謎の武装集団が占拠する。情け容赦なく生徒や教師が殺され、かろうじて身を隠した首相も外部と連絡を絶たれ孤立する中、難を逃れたある少女がひそかに反撃を開始すする。東日本大震災の混乱の中で組織的なテロを繰り広げて死刑になった男を父に持ち、誰からも危険視されている彼女は、持ち前の身体能力や武器の知識を駆使して、友人や総理の救出、そして敵の打倒を目指す。

 女子高生版ダイ・ハードと言ってしまえばそれまでだが、化学室や家庭科室のどこにでもある素材で武器を作るなど雑学のオンパレード、総理(リオオリンピックでマリオの扮装をしたことが触れられるなど、明らかに安倍晋三がモデル)周辺の閣僚たちの有事への右往左往やテロリストが作った「慰安所」をめぐる議論、最後に「この高校は日本の縮図かもしれない」という述懐など、適度に社会批評的な話題を盛り込む姿勢は、『千里眼』シリーズから一貫している。アクションパートや謀略パートも読みやすく、小難しげな議論もすらすらと読めて、読後はなにか、頭が良くなった気分になれる。テロをめぐって映画やアニメへの言及も多数あり、何十年後かには膨大な注釈とともに当時を知るための資料として刊行されるかもしれない。

 さすがにややご都合主義的な展開はある(ケチャップをかぶって死んだふりをしてやり過ごすのがうまくいきそうになるところとか、クライマックスの逆転劇における攻撃範囲の限定とか――そもそもいくらうまくお膳立てされてもこんな計画に乗る人がそんなにいっぱいいるのか? 兵器を買うお金はどこから出ているのか?)。また、松岡圭祐の場合は黒幕の正体が明らかになると途端に話がスケールダウンするという欠点が今回も出ているように思われる。それでも、400ページ以上を一気に読ませる力は確かである。

 しかし読んでいて驚くのは、主人公がためらいもなく敵を殺しまくること。『鬼滅の刃』などもそうだが、最近のフィクションでは、敵を殺すことへの躊躇があまり描かれないように思われる。昔は主人公たるもの極力人を殺さないという不文律のようなものがそこかしこにあって、それこそ『るろうに剣心』(1994-1999)や『トライガン』(1995-2007)、『魔術士オーフェンはぐれ旅』(1994-2003, 2011- )などは、人を殺さないということを作中で前面に押し出し、終盤まで自分の手で敵を殺すことを拒否し続け、殺すということが物語の行く末を左右する重要な事件として描かれていた。刊行当時はアンモラルということで物議をかもした『バトル・ロワイアル』(1999)でさえ、実は「人を殺すことを選択した者から死んでいく」という倫理が徹底されていた(あの世界においては感情を持つことこそが人間の条件であり、感情を持たない二人はそのルールを逸脱して人を殺し続ける)。それが『高校事変』では、一切の躊躇もなく主人公のルールで人が殺されていく。フィクションにおける倫理観というものが、知らないうちに大きく変化しているのかもしれないと、改めて思った。

 

松尾スズキ『宗教が往く』(上下巻、文春文庫、2010年、単行本2004年)B

 福助にそっくりな、フクスケという巨頭の男が、若くして家を追われて上京し、「劇団大人サイズ」という劇団に属する作家となる。劇団はやがて変質して宗教団体となり、彼らはテレビに出て、世間を揺るがす大事件を起こすことになる。

 その間に、ヤクザ、AV男優、芸人、宗教家、マッドサイエンティストといった奇人変人のエピソードが時には主人公そっちのけで語られ、ヒヒ熱というエボラよりも兇悪な伝染病の蔓延する世紀末的な東京を描き出していく。

 読んでいる間の個々のエピソードは面白いのだが、全体として見たとき急に退屈になるという、少々困った本である。つまり、饒舌な文体、現実とリンクする私小説的な要素(モデルは松尾スズキだけでなく、阿部サダヲ宮藤官九郎井口昇などいっぱいいる)、AVやセックスなどやや下世話な話題、世間を揺るがす大規模な陰謀、未知の伝染病、テレビや演劇を駆使したメディア論的なストーリー、二つの同時に起こっている事件を並列して語る実験的な文体、ところどころで現れる作者、メタフィクション的な仕掛け、クライマックスをちょっと外すような結末――などなど、ひとつひとつは松尾スズキらしさが出て面白いのだが、総体としてみると、よくあるポストモダン文学のひとつという印象である。もちろん松尾スズキはそれを知っていて書いているわけで、これ自体が壮大なポストモダン文学のパロディと言えなくもないのだが、それにしてもやはり読み終えて思うのは「またか」ということだろう。

 本作は1998年から2004年にかけて連載され、まさにオウム事件がまだ過去のものではなかった時代に、ありえたかもしれない東京の姿を幻視したものといえる。そのテンションが世紀をまたいで6年も持続して書かれ続けたのはすごいことであり、当時の想像力の極北を示している作品である。

赤川次郎『群青色のカンバス』B、松林頂『ゾンビバット』B

【最近読んだ本】

赤川次郎『群青色のカンバス』(光文社文庫、1989年)B

 杉原爽香シリーズの第二弾。一作目から一年たち、16歳になった爽香が、高校のブラスバンド部の合宿先で事件に巻きこまれる。

 登場人物が一年ずつ年を取っていくというコンセプトで、前作のキャラクターもみんな登場するが、みんな同じ高校のブラスバンド部に入り、中学時代の担任とも連絡を取りあっているのはさすがに無理を感じる。それでもすでに固定メンバーというべき安定感がある。

 そして第一作では親友と父親の近親相姦や組織的な売春組織の暗躍と重いテーマが描かれていたのに対し、本作では刑務所から帰ってきた父殺しの青年と彼を不信の目で見る町の住人、彼の帰りをずっと待っていた精神の不安定な妹、そして彼女を誘惑していた、都会で事件を起こして人目を避けこの町へ来た悪意に満ちた老画家――と、こちらもかなり重い。

 伝奇的な道具立てで、いくらでも陰惨な長編がつくれそうなところを、赤川次郎は杉原爽香の持前の明るさや洞察力、行動力を頼りに、300ページ程度でまとめてしまう。やや洞察力に頼りすぎなきらいはあるし、殺人事件の果てに残された者たちの未来は決して明るいとは思えないが、とにかくその場の事件は解決してみせる。この辺はシリーズものでも容赦がない。

 

松林頂『ゾンビバット』(全3巻、メテオコミックス、2018年~2019年)B

 バットを振るってゾンビを倒すセーラー服少女、というイメージから始まったのだろう本作は、やはり画風が作品世界と合っているのが強い。トーンよりも描線で陰影が印象的に描かれ、キャラがアップになるとかえって輪郭線が荒くなることで、悪い夢を見ているようなビジュアルになっている。

 お話としては、ゾンビになった街の人間たちを、母も含めて自らの意志で殺すことを選んだ少女と、そんな悪意と混沌が秩序となった世界でなお人を愛し、ゾンビになった母をかくまおうとする少女が対比され、それはそのまま、崩壊した世界がずっと続くことを望む人間と、元の日常を取り戻すことを望む人間の対比という構図になっていく。だが、このビジュアルの前では、前者のほうが圧倒的に説得力をもってしまうように思える。ある意味では画集のように、崩壊後の世界の風景をたのしむような気分が、読んでいるあいだにあった。実際に画集が出るならぜひ欲しいものである。

 とはいえ、本作は3巻で唐突に事態の終焉をみて終わってしまう。3巻目には、彼女たち以外の、やはりこの崩壊した世界をたのしむ少女たちが出てくる。もしかしたら、この世界を受け入れてさまざまに生きる人々をロードムーヴィー的に描く構想だったのではないかと思わなくもない。

赤川次郎『若草色のポシェット』B、松岡圭祐『カウンセラー』B

【最近読んだ本】

赤川次郎『若草色のポシェット』(光文社文庫、1988年)B

 1年に1冊刊行し、登場人物がそれとともに年を取っていくというコンセプトで、今年めでたく48歳となった主人公・杉原爽香の、記念すべき15歳の第一作である。

 15歳ながら、不登校ぎみだった親友の死の謎に挑む、かなりハードな話になっている。三毛猫ホームズシリーズも第一作が2作目以降に比べて暗い話だったが、なにか作者の考えがあるのかもしれない。

(以下ネタバレ)

 しかし文体のおかげか、主人公や新任教師たち、登場人物の明るさのたまものか、近親相姦やそのトラブルによる殺人、売春組織の暗躍などというショッキングな要素に比して読みやすい。いったいこの事件は後々まで引っ張るのか、それを忘れて次の年に行くのか少々気になるところだ。

 中島河太郎の解説は、その時点までの赤川次郎の代表作を紹介して、本作はラスト数行で触れるのみという変なものである。文庫書下ろしで読んでいなかったのではないかと疑わせる。

 

松岡圭祐『カウンセラー』(小学館文庫、2005年、単行本2003年)B

 臨床心理士・嵯峨敏也が主人公として活躍するシリーズの三作目にあたる。ちなみに嵯峨敏也は稲垣吾郎似であると設定されている。(『催眠』が稲垣吾郎主演で映画化されてからそういう描写になっている)ちなみに描写は以下。

 デザイナーズ・ブランドとおぼしき洒落たダークグレーのスーツを着こなした、細身で長身の男。年齢は三十をすぎているはずだが、それより何歳か若くみえる。長めの髪には軽くウェーブがかかり、色白で瘦せこけた顔に細く高い鼻がつんと澄ました印象をかもしだしている。舞台を見下ろす涼しい目。口はやや大きめだが唇は薄く、顎も小さい。総じて中性的な印象のある顔つきだが、ぶっきらぼうな態度はまさしく男性特有のものだ(pp.35-36)

 相手のささいな言動やしぐさから、内面や本人も気付いていない障害を的確に読み解き、助言を与える彼は、女性なら誰でもうっとりしてしまう存在で、ハーレクインの主人公のようである。

 対して本作の実質的な主人公は、音楽療法を取り入れた不登校児のケアなどで注目を集めるスクールカウンセラー・響野由佳里である。ピアノの演奏を聞いただけで、演奏者の心理や環境まで読み解き、的確な助言を与えるという、嵯峨敏也と張り合うほどの能力をもつ彼女は、ある日突然、見も知らぬ13歳の少年に気まぐれで家族4人を皆殺しにされてしまい、事件後のケアのために彼女を訪れた嵯峨と出会うことになる。

 心理学的な知識やニセ札など社会的な小ネタをからめながらストーリーをスムーズに進めていく手腕は今にいたるまで不変であるが、本作はそういう読みやすい軽やかさと、大した悪意ももたない少年による残虐な犯罪という事件の重さがつりあっていないように思える。

(以下ネタバレ)

 当然少年犯罪が話の焦点になるのかと思いきや、後半で響野由佳里は拳銃を手に入れ、突如として凶悪犯罪を犯した少年たちを「処刑」しはじめる。最初は純粋な復讐から、しだいに自ら裁きを与える快楽に溺れていく彼女は、嵯峨敏也の策略によって、自身の独善性と向き合うことになり、自首するに至る。彼女は、しかし嵯峨の協力により、精神病による行動とされ、罪は軽くなるらしい。

 初めて持った拳銃で20人近い少年を殺してなお、(警察の思惑もあるとはいえ)自首するまで逮捕されないというのはあまりに無理があり、まるで彼女が事件をきっかけに精神の世界に逃げ込んでいるようで現実味がない。そうすると嵯峨は彼女の精神世界に降りてきて現実世界に連れ戻したということになるのかもしれないが、実際は現実世界で少年を虐殺しているのである。

 その重さを、あまりに軽く、心理学的な分析で片づけていて、どうも受け入れがたかった。