DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

乙一『平面いぬ。』B+、早乙女貢『東海道をつっ走れ』B

【最近読んだ本】

乙一『平面いぬ。』(集英社文庫、2003年、単行本2000年)B+

 乙一は、『夏と花火と私の死体』で衝撃を受けたあと、『GOTH』と『ZOO』がちょっと微妙で長いこと離れていたのだが、これは面白かった。乙一は語り口が最初から最後まで淡々としているから、入り込めないと最後まで乗れないのだが、一度魅力を感じると、そこから相手のペースのままに引っ張られていくことになる。

 短編集のいずれも斬新なアイデアというほどではない。表題作は戯れに彫った刺青が生きた犬となって共生する話で、星新一ショートショートにあった、キャベツの刺青を彫ったらそれが人面疽になるという話を想起させる。他にも「BLUE」は生きた人形たちがある一家で普通の人形のふりをして生きる話であり、「はじめ」は少年たちが作り出した架空の友人がいつのまにか実体として現れるようになるという話。単行本の表題作だった「石ノ目」も、山奥で泊めてもらった家で怪異に遭うパターンとみれば、昔からある話だ。

 しかしどれも、お約束の展開を積み重ねながら、いつのまにか他でみたことのない話になり、最後にはしみじみとした感動がある。それがなぜかと考えてみると、秘密の共有ということがある。乙一の描く話は、ストーリーが一、二人の中でのみ展開し、周囲の人間はなにが起こっていたのかを知ることは一切できない。なにか起こっていたことにすら気づかないかもしれない。おそらくこの断絶の深さは、意図的に作られていると思う。しかし読者だけは、その断絶を乗り越えて、何が起こっていたのか本当のことを知ることができる。自分だけはわかっているという感覚こそが、この作品の魅力なのではないだろうか。

 

早乙女貢東海道をつっ走れ』(春陽文庫、1979年)B

 上州八万石の松平家の姫君が、東海道を上って若狭の酒井家に嫁入りすることになる。しかしそれに反対する者たちが姫の命を狙っており、嫁入りしようにもそこまでたどり着くのさえ難しい。一計を案じた家老たちは、町娘を身代わりにして本物の姫君のように輿入れさせ、それを囮に本物の姫を無事に嫁入りさせようとする。

 発端はよくある設定ながら、偽物の姫と本物の姫それぞれの旅行き、姫を追う女賊とその手下たち、それぞれの思惑をもつ藩の者たち、そして彼らの間を竹光一本で軽快に飛び回る剣士・流新十郎など、それぞれの人物が錯綜し、整合性よりもとにかく勢いに任せて話は進む。

 読んでいてよくわからなかったのは、なぜこの町娘は損なだけの身代わりを引き受ける気になったのか?ということだったのだが、終盤で実はミステリ的な仕掛けをしていたことを知って驚いた。それはまあ、この展開で犯人は明らかであり、全然ミスリードができてない。そこを除けば、それぞれに見せ場があって楽しめる。

 

 

 

江崎俊平『神変天狗剣』B+、ジョン・ワトソン『幻の巨大戦艦』B+

【最近読んだ本】

江崎俊平『神変天狗剣』(春陽文庫、1983年)B+

 江崎俊平は春陽文庫でたくさん書いている作家として知っていたが、読むのは初めてである。読んでみたら、200ページ程度ですぐ読めるし、話もわかりやすい。

 主人公は白い頭巾に白装束の凄腕剣士・白雪丹後。彼は飛騨山中の平家部落「夕日の里」でひっそりと暮らしていたが、そこに眠る財宝を狙うものたちが里を襲撃し、丹後は生き残った姫・千鶴を伴い脱出する。江戸に出た彼は失明した千鶴をかくまいつつ、財宝の在りかを秘めているといわれる里の守り神・「五つのギヤマンの玉」を取り戻すため、相棒の猿・次郎とともに暗躍する。ハンターハンターのクラピカのような設定であるとは誰しも思うところ。

 前半は白雪丹後のただただカッコい活躍が描かれるが、後半は少しずつ様相が変わる。ギヤマンの玉を取り戻そうと活躍する丹後を待つ千鶴が、ただ守られるだけの立場に苦痛を感じて、丹後のもとを逃げ出してしまう。たちまち悪人に囚われた彼女を救ったのは、丹後と互角の腕をもつ天才剣士・辻十内。千鶴は丹後と同じく自分を守るとともに、目の治療も買って出てくれる十内に惹かれていく。いっぽう千鶴を必死に捜す丹後も、やがて十内に行きつこうとしていた……

 単純に現代の寝取られものに通じるお話ともいえるし、女性を守られるだけの存在として扱うことへの批判や、強い剣士が姫を大事に庇護することが彼女への束縛でもあるという皮肉も読み取れそうである。

 短い中で、単純なヒーローものからそれへの批判も含む佳作であると思う。

 

ジョン・ワトソン『幻の巨大戦艦』(結城山和夫訳、二見文庫、1999年、原著1998年)B+

 第二次大戦末期、戦艦大和の存在を知ったソ連は、それに対抗すべく巨大戦艦「スターリン」の建造を開始する。だが国の威信をかけたそれが完成したときには、原子爆弾の登場により巨大戦艦は戦争において無用のものとなり、「スターリン」は一度も活躍することなく終戦を迎えた。それから50年、ソ連崩壊の混乱のなかで、初めて「スターリン」に活躍の場が与えられる。無用の艦の管理を任されていた海軍大佐ヤーコフ・ゾフは、謎のアメリカ人から、「スターリン」を混乱に乗じて盗み出し、東南アジアの海域で大規模な海賊をすることを持ちかけられたのだ。閑職に鬱々としていたゾフ大佐はその誘いに乗るが、実はその背後には巨大な陰謀が隠されていた……

 大和に匹敵する巨大戦艦「スターリン」という時点でギャグかと思ったが意外におもしろかった。正直、戦艦のスケールはよくわからなかったし、話の中でもなぜ「スターリン」が必要なのか最後までいまいちわからなかった。出てくる悪人も小悪党程度のものばかりで、明かされる陰謀もたいしたものではない。

 それでもおもしろいのは、ゾフ大佐である。それまで特になんの活躍もせず、このまま引退まで勤めるだけだと思っていたのが、思いがけず艦長となって、海賊とはいえ海で戦うことになる。そのわくわく感が、物語をひっぱっていく。いろいろせせこましい陰謀はあるが、彼はそんなものは見えても気にしない。ただ艦長になれたことが嬉しいという、それで最後まで戦い抜く。細かいところは飛ばして一気に読めた。あまりに飛ばしてしまったのでゾフの弟のフェリクスがどうなったのかわからなくなってしまったのだが。この人が主人公っぽく始まったのに兄に持っていかれ、その後見る影もなくなったのは哀れであった。この二人の確執が後半効いてくるのかと思ったのだがそこは外れた。最後はかなり派手なアクションも読めるし、読後感も良い快作である。

 しかし厄介なのは、ジョン・ワトソンという作者名と原題のアイアン・マン、いずれも検索が難しいというところである。ほかの作品があるのかどうか知りたいのだが、いまだにわからない。

 

 

安生正『ゼロの迎撃』B+、ジョン・E・スティス『マンハッタン強奪』B

【最近読んだ本】

安生正『ゼロの迎撃』(宝島社文庫、2015年、単行本2014年)B+

 『生存者ゼロ』の続編ではあるが、ほとんど関係はないし、前作のようなどんでん返しもない、スタンダードな軍事アクションである。有効な対策を打てない政府の右往左往が描かれるあたりが前作と同じ要素か。謎のテロリストが東京に潜入して政府が翻弄されるという構図は、山田正紀の『虚栄の都市』を想起させるものであり、あの作品を現代にアップデートしたものともいえる。

 正直軍事面での描写がレベルとしてどの程度なのかはよくわからないのだが、印象に残ったのはいかに人を無駄死にさせるかという執念である。死ぬ人はだいたいが作戦ミスやとっさの判断ミス、あるいは目的を果たせずに無念の死を遂げる。正直読んでいてやりきれなくなってしまったが、重いドラマを読んでいる気分にはなった。

 

ジョン・E・スティス『マンハッタン強奪』上・下(小隅黎訳、ハヤカワ文庫、1994年、原著1993年)B

 ある日、マンハッタン上空にたくさんの飛行物体が現れ、次々にビームを発射して都市を岩盤ごと円形に切り取り、宇宙空間へ運び去ってしまう。拉致されたマンハッタンはドームにおおわれてどこか広大な空間におかれ、透明な壁の向こうにはほかにもドームが見える。どうやら他の星から同じように運ばれてきたものらしい。

 ――という、『首都消失』のような導入よりも問題なのは、当然マンハッタンをビームで切り取ったら、切り取った円周上にもたくさんの人がいるわけで、そこでたくさんの人間がすっぱり切られてしまい命を落としてしまう。それが淡々と進んでいくので驚いてしまった。これで死ぬのはもう不運としか言いようがなく、読んでいて同情に堪えなかった。

 それ以降はお手本のようなスタンダードなSFである。どうやら自分たちを連れ去った何者かにより、ドームの外から水や食料、空気やエネルギーが供給されるらしいとわかると、マンハッタン市長(黒人女性)のもとで一応の安定を見る。そして一部の者たちが調査隊を結成しドームの外へ出て一体なぜこんなことが起こったのかを探り、一方でマンハッタン市内では怪しげな宗教団体が生まれる。調査隊は幾度かの危機を経て宇宙人とコンタクトをとり、遂にこの事態の真相を知り、解決のために動き出すが、一方で宗教団体が足をひっぱる。しかし理想を信じる人々はそれも乗り越えて、敵を倒し、物語は大団円を迎える。

 アメリカSFの典型のようなお話で、これが日本だったらなど考えるのもおもしろい。

 

 

下川博『弩』B+、ジュリー・ベリー『聖エセルドレダ女学院の殺人』B+

【最近読んだ本】

下川博『弩』(講談社、2009年)B+

 買ったのはだいぶ前だったのをさっと読めるかと思って気まぐれで手に取ったら、これが意外におもしろかった。

 思うにこれは宣伝がよくない。タイトルの「弩」は確かにこの小説でガトリング砲なみの威力を発揮して活躍するものの、必ずしも物語の中心にあるわけではなく、タイトルに偽りありである。また帯に、『七人の侍』の再来のように書かれているが、それだけではない広がりをもっている。また北上次郎が一文目から素晴らしいように書いてあるが、正直それはあまり惹かれなかった。しかしこれらを批判しつつ良い宣伝がありうるかというと、とても難しい。飯島和一なみの壮大なひろがりをもちながら、とても読みやすい。

 物語の舞台は南北朝時代因幡国の小さな村である。鎌倉幕府が滅んで、あらたな秩序が作られていく中でその村は、自分の理想をもとに桃源郷をつくろうとする僧や、商売への夢をもつ若者たちの努力により、独自の発展を遂げていこうとする。しかしうまくいくかに思われたとき、かつての支配者たちが武力により村人を征服しようとしてくる。村人たちは、楠木正成の残党の力を借りて、強力な弩や楠木流の計略をもって対抗する。ここで一進一退をくりかえしながら勝ちへ進めていくのがハラハラして良い。

 とはいえ戦いはほんとうに最後の最後に置かれ、そこにいたるまでの人間模様が、南北朝時代の主要事件と寄り添う形で丹念に描かれる。それにより、彼らに確かな実在感を与えている。どこまでが実在の史料に基づいているのかわからないが、下川博はこれを書くためにそうとうな調査を行っているらしい。ときおり歴史への考察をまじえるスタイルは、司馬遼太郎を意識しているのかもしれないが、それほど過度ではない。主要な部分が終わったあとはくだくだと書かずに筆を置くのも、ややそっけないが悪くない。

 作者は1948年生まれ、長年シナリオ作家として『中学生日記』などを手がけていたのを50歳過ぎてから小説に進んだようだが、このあとは1冊出したきりで、2022年に亡くなっている。ずっと闘病生活にあったようだが、もっと作品を書けていれば歴史小説に大きな地位を築けたのではないかと思わせる作品である。

 

ジュリー・ベリー『聖エセルドレダ女学院の殺人』(神林美和訳、創元推理文庫、2017年、原著2014年)B+

 あらすじでぜったいに面白いと思って読んだら大当たりだった。

十代の少女7人が在籍する小規模な寄宿学校で、ある日の夕食中、校長先生とその弟が突然息絶えてしまう。それぞれの事情から家族の元へ帰されたくない生徒たちは、敷地内に死体を埋め、事実を隠して学校生活を続けることにする。翌日、科学の得意なルイーズの分析により、ふたりは毒殺されたと判明。生徒たちは得意分野を活かして大人に目をあざむきつつ犯人を探り始めるが……。(裏表紙あらすじ)

 かくて、殺人事件の存在を隠すべく少女たちのドタバタ劇が繰り広げられるわけだが、これがほとんどマンガである。おりあしくこの殺人事件の日は校長先生の誕生日でサプライズパーティーが企画され、校長の知人が次々に集まってくる。当然みんな校長に会いたがるからなんとかごまかさなければならない。それに長年仕えてきたメイド、近所の警察官、このタイミングでインドから帰ってきた校長の弟(ちなみに舞台は1890年のイングランドである。インドなど、誰も行ったことのない異世界に近い時代である)など、次々に起こる危機に少女たちは立ち向かわなければならない。少女たちもまた、「気転のキティ」「奔放すぎるメリー・ジェーン」「愛すべきロバータ」「ぼんやりマーサ」「たくましいアリス」「陰気なエリナ」「あばらのルイーズ」など、それぞれの個性を示すあだなをつけられ、各自の特技を活かして難局を乗り越えていく。とはいえ解説でも突っ込まれているとおり、少女たちが校長のふりをして客をだますなど(校長は女性であるとはいえ)、本当にうまくいくのか大いに疑問があるのだが、勢いで読まされてしまう。いくら機転をきかせても、やはり子どもなのでどこか抜けているのもハラハラしつつおかしい。

 殺人事件の隠蔽という、倫理的にやっていることはどうなのか、という疑問を置き去りにしながら話がどんどん進んでいくスタイルは、最近の日本のアニメやコミックによくあるもので、こういうものが英語圏にもあるのはおもしろい。日本の作品だったら間違いなくアニメ化していたと思うのだが、そういう可能性はないものだろうか。なんとなく『レッドガーデン』のキャラクターデザインが頭に浮かびながら読んだ。

 お話もそれなりにきれいに着地し、ヤングアダルトの出自ながら読む価値のある作品である。

 

 

島田荘司『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』B+、安生正『生存者ゼロ』B+

【最近読んだ本】

島田荘司漱石と倫敦ミイラ殺人事件』(集英社文庫、1987年、単行本1984年)B+

 シャーロック・ホームズはコカイン中毒の妄想患者に過ぎず、医師のワトソンが彼をうまくフォローして事件を解決してやり、すべてホームズの手柄として小説化したのがホームズ物語である――というのは、島田荘司のデビュー作『占星術殺人事件』で御手洗潔に言わせていたと思うが、それを実際に作品にしたものである。

 本作では留学中の夏目漱石まで登場し、漱石の手記とワトソンの手記から、ホームズの正体が明らかになっていく――という趣向。

 ホームズ像が解体していく前半はなかなか良いが、完全に妄想患者のホームズはおかしいというより痛々しいくらいで、単純には笑えないところがある。それに、話に慣れてくる後半はやや退屈。事件自体はそんなにおもしろくないというところに問題がある。

 とはいえホームズにはまったことがある人は、一度は読んでおいて損はない作品であると思う。

 

安生正『生存者ゼロ』(宝島社文庫、2014年、単行本2013年)B+

 ひとつの村の住民を一夜にして全滅させる威力をもつ未知のウィルス、政治闘争に敗れて研究の道を断たれた感染症学者、後手に回り有効な手が打てない政府首脳、危機を感じていながら権力をもたないがゆえになにもできない自衛隊員――など、最近読んだ鷺宮だいじん『東京異世界戦争』(電撃文庫)を彷彿とさせるスタンダードなパニック小説として始まる。読みやすい文章で、なかなか明らかにならない「災厄」発生の法則や、失った家族の復讐に狂気に陥っていく感染症学者など、混沌としていく状況にどう解決をつけるのかと読み進んでいって――

 で、見事にだまされた。これらが目くらましになって、もっと大きなネタを隠していたのだ。さすがにこの「真相」は、その場にいれば誰か気づいたんじゃないかと思わなくもないが(遺骸が大量に残りそうだ)、読んでいる分にはまず思いつかないだろう。そこからジャンルががらりと変わって急転直下の解決に至るのも見事である。

 なにも知らない状態で読みたい怪作である。

 あと作者が建設会社の重役だそうで、何者か気になるのだが、まだ明らかにはなっていないらしい。

 

 

乾緑郎『完全なる首長竜の日』B+、南原幹雄『灼熱の要塞』B+

【最近読んだ本】

乾緑郎『完全なる首長竜の日』(宝島社文庫、2012年、単行本2011年)B+

 植物状態になった患者の意識と対話することができる機械がある世界で、ある少女漫画家が、意識不明の弟の自殺未遂の真相を探ろうとする。しかし現実と区別のつかない弟の精神世界に入りこむうち、彼女の周辺でも奇妙な現象が起こり始める。

 ディックの『ユービック』がモチーフとしてあるのは解説でも触れられている。本家には及ばないながらも最後はぞっとした。しかしお話の大半が、少女漫画家の日常と、弟との子ども時代の思い出で過ぎていき、少々退屈である。それによってキャラクターにリアリティが与えられるのだとしても、もう少しサスペンスがほしかった。

 

南原幹雄『灼熱の要塞』(集英社文庫、1995年、単行本1992年)B+

 南原幹雄という作家は、無難な感じの歴史小説の書き手というイメージで、あまり読んでこなかったのだが、これはおもしろかった。

 時は幕末、文久2年。薩摩藩は倒幕運動を企んでいるという疑いをもたれていた。その要となるのが、集成館という一大軍事工場である。外部からの侵入者を決して許さぬ薩摩領に潜入し、その要塞化した集成館を破壊すべく、幕府から隠密が放たれる。

 歴史小説に名を借りた冒険小説である。解説で触れられているように、アリステア・マクリーンの『ナバロンの要塞』を意識したものだろう。要塞が出てくるのはほぼ終盤で、ややタイトルに偽りありというのが難点であるが、そこまでの薩摩潜入の道行はなかなか読ませるものがある。名作とまではいえないが、最後の要塞爆破が薩英戦争とつながるラストなど、歴史的事実のなかにうまく荒唐無稽な冒険小説的展開を入れ込んでいる感じで良い。

 ほかの作品も読んでみたくなった。

 

 

辻村深月『琥珀の夏』B、宇月原晴明『安徳天皇漂海記』A

【最近読んだ本】

辻村深月琥珀の夏』(文藝春秋、2021年)B

 自分で考えることができる子どもを育てることを標榜し、森の中で共同生活を送る団体・<学び舎>。カルト集団と批判されながらも存続していたその森で、30年以上前の女子児童の白骨死体が発見される。かつてそこで行われたサマースクールに参加したことのある女性が、弁護士としてかつての記憶と向き合い、その団体で何が起こっていたのか、かつての友人がその後どうなったのかを探っていくことになる。

 おもしろいのだが、ミステリとしても社会派小説としても中途半端であり、どちらも解決はされない。作品の主眼はそこにはないのだと思う。なにしろ当事者はかつて小学生であり、別に<学び舎>の「理想」に共鳴して参加したわけではない。大人たちの思惑で参加させられ、子ども時代をめちゃくちゃにされたまま、彼らは30年以上を生きてきた。40歳をすぎて彼らに救済はありえるのかが、作品を通して問われていく。気楽なエンタメを期待して読むと、意外な重さに戸惑うことになるかもしれない。

 ただ読み終えたあと読者が自分たちで考えるには、子どもからの視点に限定されすぎていて、いまいち団体の姿は茫漠としている。団体の内部を語るときはやや作者のつよい思い入れを感じることもあっただけに、もう少し踏み込んで全体像がわかるような描写がほしかったところである。

 

宇月原晴明安徳天皇漂海記』(中公文庫、2009年、単行本2006年)A

 壇ノ浦で海に沈んだ安徳天皇が、実は天皇家に伝わる神器・「真床覆衾(まことおうふすま)」によって護られていた。言ってしまえばコールドスリープ装置のような、琥珀の玉の中で幼い姿を保ったまま眠るように生き続ける彼は、運命に導かれて源実朝と出会い、やがて宋の滅亡や元寇とも誰も知らぬ形でかかわっていくことになる。

 久しぶりに読んだが、去年一年『鎌倉殿の13人』を見て、今年に入って田中芳樹の『海嘯』を読んだおかげで、昔読んだときよりもはるかに理解がはかどった。

 たとえば、

 身につもる罪やいかなる罪ならむ今日降る雪とともに消ななむ

 

 実朝さまがこのお歌を詠まれたと知った時の私の胸中を、どうかお察しください。

 身に積もる罪。

 江ノ島の龍穴の奥に眠る安徳さま。琥珀の玉に封じられた幼きお姿に、修禅寺で暴れお狂いなされた頼家さまの無惨な死に顔が重なるようです。後ろには、平家の一門、頼家さまのご妻子とその後ろ楯であった比企一族の屍も浮かんでおりましょう。

 それだけではございません。義仲さま、義経さま、範頼さま、奥州藤原一族、梶原景時さま、阿野全成さま、畠山重忠さま、平賀朝雅さま……源家が外と内におびただしく流した無念の血、そのことごとくがご一身に積もっていくのです。(p.57)

 という簡潔な記述のうしろに、どれだけの悲劇がかくされていたか、ようやく実感できるようになった。そうして、日本と中国の滅びの物語をつなげる壮大なヴィジョンに圧倒されるのである。平家の滅亡と宋の滅亡の相似は『海嘯』を読んだときに自分でも考えたが、それがこんな風にマルコ・ポーロを介してつながるとは思わなかった。400ページに満たない小説の中に平家滅亡から元寇までの歴史を封じ込めた、稀有の物語である。