DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

樋口有介『林檎の木の道』B+、佐々木譲『武揚伝』B

【最近読んだ本】

樋口有介『林檎の木の道』(創元推理文庫、2007年、単行本1996年)B+

 17歳の夏休み、広田悦至は元カノから渋谷で会いたいという電話を受ける。気の乗らなかった彼はそっけなく断ってしまうが、そのあと彼女が千葉の海で自殺したことを知る。通夜に出席した彼は、見知らぬ少女から、死んだのはあなたのせいだとなじられる――という、当事者としては心穏やかでないだろう始まりである。いったい自分がこの事件にどうかかわっているのか、彼女はどうして死んだのか、真相を探っていくうちに、魅力的だが付き合いにくい性格だった彼女の知らなかった一面が明らかになっていく。

 いまさら彼女の新しい一面を知ったところで、彼女はすでに死んでしまったという厳然たる事実に返りつくとどうしてもやりきれなさがあるが、その重さを救うのが、つねに客観的にものごとを観察するような、妙に冷静な主人公である。この冷めた感じが、青春ミステリというより青春ハードボイルドというべき佳品となっている。

 ただ周囲が、バナナを未来の主食にしようと研究している母やその彼女に惚れている出版社の人や主人公の家に入り浸っている不登校の友人など、個性はつよいものの本筋にあまりかかわらない人ばかりで、あまりかみあってない気がした。 

 

佐々木譲『武揚伝』全4巻(中公文庫、2003年、単行本2001年)B

 これはいつか読まねばと思っていた本だったのでようやく果たせたが、読んでいる間つらかった。陳舜臣の『太平天国』全4巻もそうだったが、いずれ悲劇に終わることがわかっている大長編というのは、読んでいてとてもつらい。最初はみんな生き生きして希望に満ちあふれていると、未来に待ち受けるものを考えて暗くなってしまうのだ。そんなわけで飛ばし読みに近い読み方をしてしまったが、それでもちゃんと内容が頭に入ってくるのはベテランの技である。

 しかしありがちなこととして、武揚を持ち上げるために、徳川慶喜勝海舟がぼろくそに描かれているのがかわいそうである。特に口だけの無能とされた勝の描写はかなり批判されたようだが、それもうなずけるような、一方的な描き方である。まあ主人公に置いた人間が過剰に「わかっている」立場になってしまうのは、『青天を衝け』の渋沢栄一にもあったものであるが、それにしてもとは言いたくなる。

 4巻もあるのだからてっきり函館戦争は3巻あたりで終わって4巻はその後になるのかと思ったら、函館戦争で終わってしまったのでちょっと意外である。それ以後は小説としておもしろくならないという判断なのか、それとも佐々木譲も函館戦争後の武揚の人生は余生に過ぎないと思っているのか、気になるところだ。

 

 

山田正紀『幻象機械』B+、羽太雄平『乱の裔 大坂城を救った男』B

【最近読んだ本】

山田正紀『幻象機械』(中央公論社、1986年)B+

 山田正紀がこんなものも書いていたとは、おどろいた。

 主人公は脳とコンピュータの研究をしているらしい。疎遠だった父が死に、遺品のなかに石川啄木の未発見小説らしきものを見つけた彼は、同人誌に連載されたらしいその小説の探索をはじめるが、それとともに奇怪な現象が周囲に起こっていく。やがてそれは、主人公と石川啄木をつなぐ巨大な陰謀の存在を浮かび上がらせていく。

 幻想小説なら最後はわけがわからなくなって終わるところだが、SFなのでSFらしい真相を明かして終わるのでびっくりする。しかしすごいのはそれよりも、作中作として石川啄木の未発見小説が再現されていてとても再現度がたかいこと、そしてエピグラフとして引用される啄木の歌が鮮烈である。

まだ人の足あとつかぬ森林に入りて見出つ白き骨ども

青ざめし大いなる顔ただ一つ空にうかべり秋の夜の海

皆黒き面がくししてひそひそと行けりわれ問ふ誰が隊なるや

大いなるいと大いなる黒きもの家を潰して転がりてゆく

 などなど。たしかある本で北一輝石川啄木を類まれなる幻視者として並べ、ヴィジョンを持つ者は革命家か詩人になるしかないのだ、と論じていた覚えがあるが、まさにそういった資質をもつ人間であったことがわかる。石川啄木入門としても良い作品である。短いせいで、際限なくスケールが広がっていく傾向もおさえられている。

 

羽太雄平『乱の裔 大坂城を救った男』(廣済堂文庫、1999年、単行本1995年)B

 アマゾンで酷評されていたからどんなものかと思ったら意外におもしろい。

 時代は関ケ原から14年、遂に大阪の陣が始まろうというとき。主人公は足利将軍家の末裔・足利七郎太。将軍家の末裔とはいえ、足利義昭も死んでから10年以上たち、将軍家再興の野心など持ったこともない無欲な男なのだが、天性の将としての才を周囲は放っておかず、大坂の陣にのぞみ、恩人の義理におされて大坂城に入ることになる。徳川家康が、イギリスから仕入れたカルヴァリン砲4門による大坂城完全破壊による早期終戦をもくろんでいることを知った彼は、大砲を破壊すべく手勢わずか3名で敵陣に潜入することになる。

 司馬遼太郎の『城塞』を別の側面からみた感じで、大坂城は間者だらけで敵に様子が筒抜けのありさまで、七郎太には負ける未来がはっきり見えているのだが、それでも個々の将は良い戦いをするため、なかなか決着がつかない。七郎太はそれを冷静にみながら、恩人に報いるために自らも無謀な潜入作戦に踏みきり、タイトルが示すようにカルヴァリン砲を故障に追い込む。とはいえ歴史は動かしようもなく、故障しながらも放たれた一発は大坂城天守閣を砕き、怖気づいた淀君による停戦協定へとつながっていき、堀をすべて埋められるという敗北の原因をつくることになる。そういう意味では七郎太は結局目的を果たすことはできなかったことになる。

 つよくて頭もよいのに、大坂城で真田や後藤と並んで指揮官に推されても固辞する、徹底して無欲な七郎太が良いキャラクターである。冬の陣の結末を見ただけで姿を消すいさぎよさも良い。大坂の陣の外伝小説の佳品である。

 

 

 

平岩弓枝『千姫様』B、スティーグ・ラーソン『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上・下)』B+

【最近読んだ本】

平岩弓枝千姫様』(角川文庫、1992年、単行本1990年)B

 千姫大阪城脱出から始まり、18歳のそのときから、70歳で人生を終えるまでの生涯を描く。

 伊東昌輝の解説にあるように、悪女的な伝承の多い千姫を、史実寄りに描いている。一方で、豊臣秀頼が南の島に脱出して生き延びたという伝説も組み込み、伝奇的な側面ももつ。ベテラン作家の職人芸というところである。

 とくに印象にのこるのは、千姫の脱出に貢献した速水甲斐守の娘であり、千姫の側で仕えることになった三帆である。千姫の夫を千姫よりも前に好きになってのちには通じあってしまったり、実は生きていた速水甲斐守と千姫との板挟みになったりと気苦労が絶えず、しかし千姫は鈍感なほどの純粋さでなかなか気づかない。本当の主人公はこちらと考えれば、急に通俗な恋愛小説のようになってしまうが、伝奇的な意匠の数々はやはりうまい。

 家光が千姫を姉と慕う素直な少年のように描かれたり、春日局が妙に卑小に描かれたりと、普通の描かれ方とはずいぶん違うのも魅力である。

 

スティーグ・ラーソン『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上・下)』(ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳、ハヤカワ文庫、2011年、原著2005年)B+

 タイトルや表紙からなんとなく恋愛ものかと思っていたら、北上次郎大森望がミステリとして絶賛していたため読んでみた。なんでも十部作くらいの構想で書き始めたが、3巻まで書き終えて出版しようというところで作者が急死、死後刊行された作品はみごと世界的なベストセラーとなったが、4巻以降の原稿はHDDに眠っているため(法的に)手が出せず、別の人が6巻まで書いてこれもベストセラーになった――という、作品自体が波乱万丈である。

 推薦を見ると一ページ目から引き込まれるようなことを言っているが、読み始めは地味である。『ミレニアム』という雑誌の編集長ミカエルが、ある大物政治家についてのスクープを名誉棄損で訴えられ敗訴、すべてを失う。失意の彼に、ある大富豪が接触してきて、その大物政治家を陥れるネタを提供するかわりに、40年前に起こった孫娘の失踪事件を解決してほしいという。

 この地道な捜査が意外に読ませるのだが、そこにかかわってくるのが背中にドラゴンのタトゥーをいれた謎の女性リスベット・サランデル。社会生活が壊滅的でコミュニケーションもうまくとれない一方で洞察力とハッカー技術による驚異的な調査能力を持つ彼女は、偶然のはたらきでミカエルの助手となって事件を探っていくことになる。

 二人が合流して真相が明かされていく過程はほんとうにスリリングなのだが、正直ミカエルにはサランデルがあんなに入れ込むほどの魅力は感じられないのが瑕である。それくらいサランデルには孤高の天才でいてほしかったという気持ちがある。

 2巻以降でどんな風に変わっていくのか期待したい。

 

 

 

池波正太郎『まぼろしの城』B-、山田正紀『襲撃のメロディ』B+

【最近読んだ本】

池波正太郎まぼろしの城』(講談社文庫、1983年、単行本1972年)B-

 戦国時代に関東と信濃・越後両国を結ぶ要衝の地・沼田を支配した沼田万鬼斎と、その一族の興亡を描く。

 とにかく冒頭から最後までイヤな話が続く。とある娘との結婚を控えた善良な若者が、冒頭であっさり殺される。犯人は娘の父・金子新左衛門で、彼は娘を沼田万鬼斎に嫁がせるために、娘の恋人を殺したのである。その罪は最後までバレない。彼の陰謀はその後もつづき、沼田一族に自分の血統を食い込ませるべく、正統な嫡子を死に追いやるなど陰険な手が次々に繰り出される。

 しかしそういった動きの外で、信長の台頭に始まる変革の嵐が戦国の世を席巻し、その波にいやおうなく押し流されていく。裏表紙に「沼田万鬼斎とその一族の凄絶な滅亡を描いた戦国雄篇」とネタバレされているとおり、最後は万鬼斎の一族はみんな滅び、彼らが支配権を巡り争った沼田は武田勝頼の差し向けた真田昌幸に飲み込まれ、物語は池波正太郎の代表作たる『真田太平記』へとつながっていくことになる。ちなみに井上靖の『戦国軍記』には、このあと沼田城を任された海野能登守が主人公の短編が入っている。これも沼田城を中心にみた続編といえなくもない。そういう枝編的なものであるためか、最初から最後まで冷たいほどに救いがない。善人は悪人に利用されて死に、悪人は小競り合いの末に、もっと大きな悪に滅ぼされる。カタルシスはない。

 池波正太郎だけあって、小説としてうまいのはわかるのだが、とてもではないが面白くはなかった。

 

山田正紀『襲撃のメロディ』(ハヤカワ文庫、1976年)B+

 巨大コンピュータに管理されようとしている社会と、それに反抗しようとする人々の物語。書かれた順番でいうと、山田正紀の最初の作品であるらしい。

 全編に異様な緊張感がみなぎっている。学生運動を背景としており、個人の戦いが社会を変えられるかもしれないという希望がまだあった時代の気分もあるだろうか。

 アクションもあり、理屈っぽい話もあり、推理もあり、しかも短めという贅沢なお話で、巨大ななにかに押しつぶされていく人々のあがきというのは半村良などにも通じるものである。

 

 

北見崇史『出航』B、鷲宮だいじん『東京×異世界戦争』B

【最近読んだ本】

北見崇史『出航』(角川書店、2019年)B

 ある日突然家出した母を追って、母が向かった北海道の漁師町を訪れた青年。しかし彼がそこで見たのは、死んだはずの生き物が奇怪な化け物になって徘徊する奇怪な光景だった。そして青年はやがて、死者を蘇生させる秘密をもつ謎の書「根腐れ蜜柑」と、それにかかわる母の過去を知ることになる。

 クトゥルーであり、ネクロノミコンである――というのは、帯の内容紹介でだいたいわかってしまうのは良いのだろうか。小林泰三直系の執拗なまでのグロ描写が売りではあるが、それほど生理的に迫ってくるものはない気がする。

 別にクトゥルーの神々が出てくるわけではなく、それが残した本による死者の蘇生技術のみをめぐって人々が争うというのは、まあなんというかラヴクラフトとはまったく指向性の違う話ではある。

 タイトルどおり、最後は「出航」して終わる。最初から最後まで右往左往するだけのさんざんなお話だったのに、妙に前向きな印象をあたえる結末であった。

 

鷲宮だいじん『東京×異世界戦争』(電撃文庫、2019年)B

 東京都江東区有明に突然異世界へのゲートが開き、中からファンタジー世界の敵キャラのような化け物が次々に出てくる。街が破壊され、次々に人が殺される中、助け合って立ち向かう人々を描く。若き自衛隊員と反抗期の娘が主人公で、国家レベルの右往左往と、わが身を犠牲にしてでも他人を助けようとする無力なはずの人々の矜持、そして親子の絆が描かれる。

 シン・ゴジラを経たモンスター・パニック小説という感じである。視点が多いわりに話がわかりやすいし、1巻でまとまりも良い。

 ただ致命的なのは現れてくる怪物たちにまったく迫力がないことである。あとがきで150ページくらい削ったことが書かれているが、その部分に怪物側の描写があったのではないか。

 個人的には、ラノベのレーベルよりも一般文芸で出したほうが良かったのではないかと思う。できれば削除部分も復元した完全版を読んでみたい。

 

 

原浩『火喰鳥を、喰う』B+、塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』B+

【最近読んだ本】

原浩『火喰鳥を、喰う』(角川書店、2020年) B+

 おもしろい。表紙のインパクトもさることながら、中身も劣らずおもしろかった。

 戦争で死んだ祖父が戦地で遺した日記と、現代において起きる奇妙な事件の謎を追っていくうちに、主人公は少しずつ奇妙な世界に迷い込んでいく。伝奇的なホラーに行くのかと思いきや、小松左京のSF味の入ったホラーを思わせる、現実感覚崩壊小説になっていく。

 やや冗長に思えなくもない。小松左京なら短編で書いたんじゃないかと思ってしまうが、戦場で実際になにが起こっていたのか判明する瞬間の戦慄は、なかなか類似のものが見つからない。道尾秀介がホラーとして全然怖くないようなことを選評で書いているがいったいどういうことなのか謎である。

 

塩野七生チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』(新潮文庫、1983年、単行本1970年)B+

 15世紀のヨーロッパを舞台に権謀術数の限りを尽くして父の教皇とともにのしあがり、マキャベリマキャベリズムのアイデアを与えた奸雄、チェーザレ・ボルジアを描く。

 正直流し読みしていたが、最期がどうなるかまったく知らなかったので終盤はなかなかにショッキングだった。きっと信長みたいに裏切られて死ぬのだろうと思っていたら、こんな死を迎えるとは。

 やはり大事なのは健康である。どれだけ頭が良くても、どれだけ強くても、肝心なときに病に倒れては何の意味もないのであった。

 塩野七生の、チェーザレ・ボルジアのあらゆる神格化を排した筆致は運命の無情さを引き立てている。

 

 

羽山信樹『光秀の十二日』B+、アラン・グリン『ブレイン・ドラッグ』A

【最近読んだ本】

羽山信樹『光秀の十二日』(小学館文庫、2000年、単行本1993年)B+

 薄いのであまり期待していなかったのだが、予想していたよりおもしろかった。

 本能寺の変のあと天下人になった栄華もつかのま、わずか12日後に光秀は秀吉に追い落とされ、落ち武者狩りに遭って惨めな死をとげる。そこまでの激動の12日間を描くのが本作。

 せっかく12日に話をしぼるのだから、ドキュメンタリータッチで史実を再現すれば面白いのではないかと思ったのだが、それだけではよほど書くことがなかったらしい。本作では光秀に仕える忍者たちが出てきて、必死に領地に逃げようとする家康を襲撃したり、細川や筒井順慶に援軍を求める使者として出向くなど、伝奇的な要素が強い。

 で、この伝奇部分がおもしろい。どれだけ忍者が活躍しようと、光秀が負けるのはわかっているのだから、彼らもまたそれぞれ滅ぼされていくのだが、それでも応援したくなる。

 対して光秀は、秀吉にそそのかされて謀反を起こした形で、「味方になる」という約束を破られそれを見た他の諸将にも見放され、ただただ憔悴していくところが精彩を欠いて哀れである。光秀よりもその周囲の、歴史に名を残さず死んでいった者たちの叫びを描いた小説といえるだろう。

 ちょっと気になるのが、光秀が実は肝臓ガンを患っているらしい描写が時折あったこと。著者の羽山自身が4年後の1997年にガンで若くして亡くなっていること、あとがきで執筆中になにかトラブルがあったと書いていることを考えると、自身の状況を織り込んでいるのかと思える。

 

アラン・グリン『ブレイン・ドラッグ』(田村義進訳、文春文庫、2004年、原著2001年)A

 おもしろかった。

 この面白さは、アイデアの奇抜さというよりは、ある種の様式美というものかもしれない。タイトルでなんとなく内容はわかってしまうが、飲むと本物の天才になるドラッグをめぐって事件が巻き起こるサスペンス小説である。一時的に本物の天才になり、恐るべき記憶力と分析力、そして眠る必要のない肉体をもたらすそのドラッグを使い、主人公はデイトレードの世界で大儲けしてのしあがるが、徐々にその副作用――心身の不調や意識の空白、そしてその間の身に覚えのない行動に悩まされるようになっていく。

 ドラッグ小説に多重人格テーマを融合するという工夫はあるが、展開は読んでいてだいたい予想がつく。

 それでもおもしろいのは、スタイリッシュな文体と、ストーリーの見せ方のうまさなのだろう。わかっていながら、突き放すようなラストには哀しみを覚えた。

 バッドエンドゆえにちょっと考えてしまうのは、こんな風にのしあがる前に、その天才能力で薬を分析するとか開発者を調査するとか、そういうことはできなかったのかということ。続編やスピンオフも作れそうな感じであるが、その後書いてないのだろうか。