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藤野千夜『中等部超能力戦争』を読んだ。
- 作者: 藤野千夜
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2010/06/10
- メディア: 文庫
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この小説に出てくる「超能力者」は小清水さんという少女である。といってもあからさまに凄い能力があるわけではなく、いじめた人がひどい目に遭ったらしいとか、怒らせると電球が割れたりするらしいとか、偶然と片付けるには難しいような事象が起こるという程度である。語り手のはるかという少女はその辺の真相がよくわからないまま小清水さんと友人関係を続けている。しかしはるかに恋人ができたことで小清水さんとのべったりした関係が変化し、疎遠になったことを恨んだ小清水さんは、はるかを告発するかのような怨念の籠った小説を書く。それが、作中で出てくる「中等部超能力戦争」である。そこにははるかが超能力者であるという、はるかの抱いていた世界イメージを反転させたような物語が描かれていた。
実は語り手のはるかこそが超能力者だったのかもしれないなど、構図の反転をはじめとする仕掛けは色々とあるようなのだが、どれも示唆的なままにとどまっていて、正解は存在しない。小清水さんがあまり内面をあらわさない、何を考えているのかわからないタイプなのに対し、はるかはあまり深く物事を考えない、周りからは少々抜けた風に見られていそうなタイプとなっているので、語り手としてはただ見ただけのものを淡々と語るだけであり、そこにさまざまに想像の余地はある。たとえば筒井康隆の『エディプスの恋人』のように、はるかの全く知らないところで、小清水さんとはるかの恋人たちの熾烈な超能力による戦いが繰り広げられているのではないか、というような。そういう二次創作的な楽しみ方がないわけではない――面倒なのでやらないが。
超能力小説というのは、大抵は派手なアクションや人類の進化の可能性を描くのが相場であるが、この作品にはそんなものは一切出てこない。だからといってポスト超能力小説として革命的というものでもないと思う(たとえば超能力を徹底してただの身体能力のように描いた佐藤亜紀の『天使』のようには画期性はない)。恋愛ものとしてもあまり波乱はないし、あえて言うなら小清水さんが自分のエゴをむき出しにしたときに、はるかと小清水さんの見ていた世界が全く反転したものである(らしい)ことがわかる、その瞬間が、青春小説を越えたホラー的要素として印象に残った。それを思春期の痛みとして描こうとしたとありがちにおさめれば、そういうものと取れなくもないのだが、奥付をみたら「小説推理」に連載、とあって、作者が一体何を目指そうとしていたのかよくわからなくなってしまった。なにやら徹底してあらゆる読みを外されている気がするのだが、それが作者の狙いなのかどうか。
とはいえ不思議と、読んでいる間は決してつまらなくはなかった。『ルート225』のコミカライズで知られるように、志村貴子に似通った空気を感じるところがあり、そういうものが好きな人にはおすすめである。