DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

 徳永真一郎の『毛利元就』を読んだ。

 毛利元就の一生をカバーした小説を読もうと思うと、人気の割に意外に少ない。代表的な永井路子『山霧』や谷恒生毛利元就』は元就の生涯の途中で終わってしまうし、榊山潤『毛利元就』は全5巻と長すぎるので、手っ取り早く読めるものではない。山岡荘八の『毛利元就』は『吉田松陰』が説教臭くてあまり好きではなかったので個人的には除外し、入手しやすさを考えれば、桜田晋也の『毛利軍記』上下巻、童門冬二『小説毛利元就』、そして本書あたりになるだろうか。おそらく一番短いのが徳永版である。
 読んでみると、謀略に次ぐ謀略で読んでいてげんなりしてくる。身内以外は一切信じず、いつか倒すことを視野に入れて敵勢力と同盟を結び、機が来れば裏切る、の繰り返し。昔観た大河ドラマ版の『毛利元就』ではあくまで善人として描かれていたが、それは世間の声もしっかりと計算にいれて敵を陥れていたからと説明される。ほとんど超人的な働きであるが、敵の誰もが人間的な弱さを強調された上で滅んでいくので、あまり爽快感はない。元就もまた「悪業」の果て、一族に看取られながら孤独の中死んでいく。
 本書で面白いのは、謀臣である源五郎なる男の存在である。主人に寄り添い、その陰で汚れ仕事を一手に引き受ける人物というのは、歴史小説にはよく出てくる。彼らは歴史上の出来事がなぜ起こったかに説明をあたえ、また主人のよき相談相手になることにより、その心境を読者に向けて語らせる役割も果たす。その多くは架空であるか、史料のほとんど残っていない人物であるが、その分作家的な想像力の見せどころでもある。司馬遼太郎がそういう役回りの人物が好きなのか、『関ヶ原』はあの大合戦を実質的に石田三成島左近徳川家康本多正信のコンビの対決として描いていたし、『燃えよ剣』で土方歳三近藤勇にとっての謀臣としたのもおそらく司馬の独自解釈であろう。彼らは歴史的事件の背後で超人的な働きを見せ、冒険小説・伝奇小説的な興趣を添えることになる。大河ドラマ毛利元就』にも、小三太という隠密がいた。
 それらを見るとき、彼らの「別れ」は一種特別な物語になることに気づく。長年苦楽――それももっぱら闇の部分――をともにしていたがゆえに、二人は切っても切れない、ユング心理学的な「影」のような存在になってしまい、時には妻や子の死よりも衝撃を与えたりもする。創作ではあるが、田中芳樹銀河英雄伝説』のラインハルトとキルヒアイス――のちに田村由美『BASARA』でも繰り返されるあの関係性のように、その不在こそがのちのちまで物語を支配することにもなる。
 本書の源五郎の場合は、若き日の元就に仕えて、隠密行動を担い、彼とともに老いていくが、最後に死期を悟った元就により死を命じられる。功臣が主君に死を言い渡される、という構図は、吉川英治三国志』の曹操荀紣などが思い起こされるが、本書の場合はそのような悲壮感はなく、むしろ殉死に近い、二人の仲の美しさを象徴する挿話としてしまうあたりが、徳永真一郎の真骨頂というものかもしれない。誰も信じず、時に妻も欺き、権謀術数に明け暮れた元就が、唯一小細工なしで命令を与えたのが隠密の源五郎であったということ、そしてそれが「死ね」という命令であったというのが、哀しい余韻を残すのである。
 こういう主君とその謀臣の別れのエピソードをまとめてみたら面白いのではないか、と思っていたら、本屋で『軍師の死にざま』なるアンソロジーを見つけた。

 しかしこれ、いざ目の前にすると手を出すのをためらってしまう。タイトルから推して、どれも主人公の軍師が死んで終わるのだと思うが、そういった話を連続で読むのは多分とてもきつい。昔池波正太郎の初期短編集を読んだら、みんな切腹して終わっていて読後どんよりしてしまったことがあったが、これもそれに近そうな気がする。こういう話は好きではあるのだが、一気読みするのではなく、たまに一つ読んで、しばらくその余韻を味わっているのが良い気がする。そういう意味ではこのアンソロジーは、初読者よりも、読みなれている人のレファレンス用のものであると思う。
毛利元就

毛利元就