DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

滝口康彦『流離の譜』B+、水上勉『修験峡殺人事件』B-

【最近読んだ本】

滝口康彦『流離の譜』(講談社文庫、1988年、単行本1984年)B+

 歴史小説では、長州征伐の指揮官として大軍を率いて出征するも、高杉晋作大村益次郎に翻弄され、あげく将軍家茂の死に動揺してろくな戦果もあげずに兵を引き上げてしまった、おおむね愚将としてのみ名前が登場する、幕府老中・小笠原長行。本書は彼の生涯を描いた、500ページ近い大長編小説である。

 実は彼は幕府の崩壊後は榎本武揚と函館に行っており(ただし戦闘には加わっていない)、戦争終結後は隠居して明治24年に68歳で死んだなど、激動の歴史の裏でひっそりと生き延びていたというのは知らなかった。どんな形でも生き延びることが勝利であると信じる自分には、ケレンスキーやマレンコフのその後を知った時のような面白さがある。

 山内容堂に認められる英才でありながら、幼くして父を喪ったため家督相続権を持てず、藩政から離れて育ち、30代になってようやく藩主の嗣子として藩政にとりくみ、江戸にのぼって老中にまでなる。そこで取り組んだ仕事は、生麦事件の賠償金支払いを、反対を押し切って独断で(ということにして)強行することであった。そこが人生のハイライトで、その後は家茂の上洛を画策するが失敗し、長州征伐で醜態をさらし、責任をとって辞任して、以後は歴史の本流からははずれる。

 残念ながら小説としてはあまり面白くない――それだけ、こういう人物を小説の主人公にするには難しいということでもあろう。最初は権力に興味のない自由人ぶって登場するが、すぐに化けの皮がはがれる。まじめで正義感の強い性格は、根回しをするタイプでもなく不器用極まりなく、藩政につくや家老の嫌がらせを受けて全く対抗できないなど、読んでいてイライラする。

 何よりいけないのは、聡明だが粘り強さのない人物としては、徳川慶喜という「上」がいることで、結局のところ、慶喜が二人になったようなものでしかない。考えてみれば政治にかかわるまでの遊び人ぽい雰囲気も、『西郷どん』の慶喜を彷彿させるものであり、ある種のステレオタイプといえよう。

 本は分厚いが、要所で長行の視点を離れた歴史事項の解説がはいるし、それぞれ胸中に複雑なものをかかえる家臣団のドラマもあり読みやすい。ただ、そのドラマ部分はそれほど面白くはないし、どこまでが創作かもよくわからないので、歴史を知る興趣や小説としての面白さにはやや難がある。それでも小笠原長行という人物に光を当てた点は評価されるべきだろう。

 

 

水上勉『修験峡殺人事件』(角川文庫、1985年)B-

 火曜サスペンスのようなタイトルである。調べてみると、1984年には皆川博子に『知床岬殺人事件 流氷ロケ殺人行』というやはり火曜サスペンスのようなタイトルの作品がある。火曜サスペンスの開始は1981年らしいので、当時はタイトルのつけ方として流行ったのかもしれない。

 松本清張などと並んで社会派ミステリの第一人者として知られる著者だが、少なくとも本書に関してはそれほど良いとは思えない。

 舞台は主に和歌山の熊野川上流にあるダム建設地。ここに新たに水力発電所を建設することになり、近畿地方公益事業部の土木課長が監査のために出張するが、現地に着く前に行方不明になり、十津川峡谷で惨殺死体となって発見される。有能で尊敬される彼が、死の直前に女連れだったという目撃証言も入り、痴情のもつれか、ダム開発をめぐる村とのトラブルかで、刑事たちは迷いながらも真相を追っていく。

 序盤は課長と同行する予定だった部下が、尊敬する課長の行方を追うので、彼が課長の知らなかった一面を目の当たりにしていくことになるのかと思ったら、しばらくすると主役はあっさり刑事に移る。彼らは別に課長に思い入れも何もないので、浮気なんて考えられなかったはずの課長の意外な一面が明らかになっても反応が淡泊で、少々物足りなかった。

 捜査は「社会派」にイメージされるような地道な聞き込みがメインで、断片的に提示される手がかりを頼りに、芋づる式に人間関係をたどって真相に行きつくのだが、まあそのあたりは意外さはない。

 問題はこの作品の「社会派」たるゆえんである。凄惨な殺人事件が起こり、その動機の部分に、ダム開発や発電所建設による、地方の荒廃や利権争いといった暗部が見いだされる。これが、都市の人間の営みが地方を犠牲にして成り立っているという構図として示され、読者はいつの間にか、自分が犯行の一部を担っていたという罪悪感を抱くことになる――という仕掛けになっている。

 しかし本書で犯人がやっているのは、利権を握るための裏取引で私腹を肥やし、それがうまく行かなくなると家族ぐるみでの殺人と隠蔽を企て、途中で仲間割れによる殺し合いを始め、あげくの果てに大規模な山火事を起こして焼死するという、ストーリーに意外性を持たせようとするあまり無茶苦茶な行動になっており、元々に異常性があったとしか思えず、とてもではないが都市による開発がここまで狂わせたのだといわれても説得力がない。ために、普通の本格ものの動機の部分に、社会派的なテーマを代入しただけという安直な印象が残った。これが社会派を代表する作家の作品だというのなら、他も推して知るべしという気がする。

 解説は沼正三だったので驚いたが、意外に普通の解説だった。熊野が舞台ならではの土俗的な面(山伏が出てきたり)といった面に着目していたのが、少し沼正三らしいと言えるかもしれない。