DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

森村誠一『凶学の巣』C、東野圭吾『宿命』B

【最近読んだ本】

森村誠一『凶学の巣』(新潮文庫1984年、単行本1981年) C

 校内暴力に悩まされる中学校で殺人事件が起こり、暴力グループのリーダーが疑われる。しかし彼は皮肉にも、その時間はある教師の妻を強姦していたという「アリバイ」があった。彼が「教師の家に遊びに行った」とぼかしてアリバイを主張し、教師夫婦は強姦の事実を恥として少年がきたこと自体を否定したため、少年の容疑はとけず、事件は混迷する。

 社会派推理として、話はとめどもなく広がり、教師と生徒だけでなく、その家族や周囲の大人たち、10年以上前に起こった殺人事件まで巻き込んで、緻密な物語が展開される。しかし物語は偏見と飛躍の連続で、読んでいて不快になる。登場人物のキャラクターや行動が、たとえば「気の優しい善良な性格であるが、やや肥満な体質が災いして、無気力なところがある」などと、当時の通念で規定されて、それが強固に物語の進行を支配しているのである。この強引さのために、中編程度の長さでおさまっているともいえるのだが。

 偏見の最たるものは、子ども時代の絵から、ある人物が幼少期に犯した犯罪をつきとめ、さらには犯人逮捕につなげるという、児童心理学の無理な援用だろう。「小さいマルを多数集中して描く子は盗癖があるか、所有欲が強い」「過保護の子は手を描かないようになる」などといった知見が引かれているが、今の目でみるとさすがに強引である。参考にしたのは久保貞次郎編『色彩の心理』とのことだが、どうにも意外な犯人を強引に明かすための小道具程度の扱いに思えた。事件が解決し、校内暴力が去った後は、学歴偏重主義に毒されていったというオチも、取ってつけたようである。

 もう一編はとても読む気にならなかったのでパス。

 

東野圭吾『宿命』(講談社ノベルス、1989年) B

 医師への夢破れて刑事になった男が、ある事件の捜査で再会したのは、子どもの頃に一度も勝てなかった「宿敵」だった。彼はいまや男が夢みたエリート医師になり、しかも自分のかつての恋人を妻としていた。夫を理解できないことを悩んでいた彼女は、かつての恋人との再会をきっかけに再びの恋に目覚め、男はかつてのライバルを容疑者と目して独りで捜査を進めていく。

 メロドラマ的な設定だが、恋愛ものというより心理サスペンスとして一気に読ませる。ただ、読んでいるあいだは3人の関係の進展が気になってしまって、殺人事件そのものはあまり興味がわかないのはご愛敬である。

(以下ネタバレ)

 「宿敵」の男が、最初はすべてを操る悪の天才のような顔で現れるのが、終わってみると、思わせぶりな割に実はほとんど何もわかっていなかったことがわかる。カタストロフを期待して読んでいた身には、穏当ではあるがやや腰砕けに終わる印象だった。

 作者自信の「最後の一行」は、直感的にはわかりにくかった。たしかに双子だったということで、同じ脳外科の医師を志したことや同じ女性に恋したことも説明できて面白いとは思う。しかし双子というのは先に生まれた方が弟になるという話もあり、先に生まれたのが「勝ち」といえるかどうかは疑問が残る。それに「誕生日が同じ」というのは、小学生には割と重要な事実であると思う。当時それに気づかずじまいだったというのは不自然なのではないか。

 真相はいきなりSF風で戸惑ったが、『宿命』の刊行は1990年、『アルジャーノンに花束を』の邦訳改訂版が1989年。アイデアへの影響関係はこの辺かもしれない。