DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

大江健三郎『奇妙な仕事・飼育』A、ドット・ハチソン『蝶のいた庭』B

【最近読んだ本】

大江健三郎『奇妙な仕事・飼育』(新潮文庫、1959年、単行本1958年)A

 大江健三郎は初期作品が良い、というと大抵賛同が得られるのだが、本書を久しぶりに読んで、やはり名作揃いであると思った。それは何故か考えてみると――江藤淳の解説では、大江作品に共通するテーマは、大江自ら「監禁されている状態、閉ざされた壁のなかに生きる状態を考えること」と書いていたそうだが、それ以上に「つかの間のユートピアの生成とその崩壊」というパターンが全作に共通している、ということが挙げられると思う。

 舞台は様々である。死体洗いのバイトで出会った者たちと死体たちの連帯感、戦時中のある村に現れた黒人兵捕虜と少年たちの交流、脊椎カリエス患者の療養所で歩行できない少年たちの間に生まれた共同体など、色々と工夫している。しかしそれらで繰り返される、現出するユートピア空間の一瞬の美しさや、それがある日不意に失われる喪失感という物語は、多くの青春文学のフォーマットとなっているくらいに普遍的なパターンである(今思いつくところでは最近の『万引き家族』や『天気の子』もそれに沿っている)。

 正直なところ、いずれも途中で展開は読めるのであるけれど、わかっていながら我々はそれに対してなぜかいつも、手もなく感動してしまうのだ。そしてそれが一貫しているからこそ、大江の初期短編は今でも読めるものになっていて、ファンも多いのではないか。もっとも流石に大江自身は、第一長編の『芽むしり 仔撃ち』を集大成として、そのパターンからは脱して行っているように見える。それはあくまで大江自身のテーマが「監禁されている状態、閉ざされた壁のなかに生きる状態を考えること」であり、定型的なストーリーはその道具に過ぎないという証左であるのだろう。

 

 

ドット・ハチソン『蝶のいた庭』(辻早苗訳、創元推理文庫)B

 ジョン・ファウルズの『コレクター』の現代版を目指したものだろうか。気に入った女の子を誘拐してきて、人工的に自然を再現した広大な屋敷に監禁し、背中に蝶のタトゥーを彫り娼婦として愛玩し、その美しさの絶頂のときに死なせ、樹脂で固めた標本にして愛でる男。

 彼の「楽園」がいかにして崩壊に至ったのかを、事件を担当するFBI捜査官と、生き残った女性のリーダー格の取り調べの駆け引きのうちに描く。

 つまらなくはないが、少々読者の「良識」に頼りすぎていると思う。読んでいる間ずっと、ほら異常でしょう、残酷でしょう、恐ろしいでしょう、心が痛むでしょうと言われ続けている気分だった。それは主にFBI捜査官が、「供述」の切れ目で毎回「自分の娘がこうなっていたらどうだったか」といちいち思いを馳せるというシークエンスが入ることに、有体に言えば飽きてしまったというのが大きな原因である。それはまあ、現実にこんな事件が起こったらそう思うかもしれないが、フィクションの世界では、こういった「残酷」は特に珍しくもなく、インパクトの弱いものになってしまっている。著者がヤングアダルト小説の出身とのことで、そういうくだりを入れずにいられなかったのかもしれない。構成も凝っている割には大した真相があったわけでもなく、期待外れである。