DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

岬兄悟『あたしがママよ』B、清水一行『毒煙都市』A

【最近読んだ本】

岬兄悟『あたしがママよ』(角川文庫、1986年)B

 見事にワンパターンな短篇集である。まず、

  ①現状に不満を持つ人がいて、

  ②それを脱出する糸口としての超常現象が起こるが、

  ③最後にしっぺ返しを食らう。

 不満を持っている人の性別や境遇、物語の視点人物などを変えて工夫してはいるが、結局すべてはこのパターンに集約される。その代わりに冒頭から引き込む力があって、だいたい売れないバンドマンや作家が多いのだが、これは解説の高井信が、「岬さんの作品からSFを取り去ったら、これはもう、ほとんど私小説になってしまうのだ」と述べているように、①の「現状への不満」に、彼自身の鬱屈を反映させることで発端の部分に現実味を与えているのだろう。

 しかしワンパターンだからといって、つまらないのではない。むしろどれも面白い。パターン化というのは、それを言ったらドラえもんも同じことで、結局アイデア次第で面白くもつまらなくもなるということでもある。この場合、毎回巻き起こる超常現象がバラエティに富んでいることと、右往左往する人々がうまく描けているためどれも楽しめる。文章もシンプルで読みやすい。

 能天気なドタバタを予想していたら意外に暗い作品が多かったが、特に印象に残ったのは「瞑想昇天」。社会で瞑想がブームになり、主人公の妻や子もはまって、やがて瞑想に熱中する人々がカルト化して集まり、ついには集団で瞑想して天に昇っていくが、それから数日後……という話。思わぬブラックなオチで、「本当に悟っているのはだれか」という新宗教ブームへの批判として、現在にも通用する秀逸な作品である。

 岬兄悟は、当時はSFマガジンで増刊特集が組まれるくらいの人気作家で、10年くらい前まではブックオフでも1冊くらいは作品が見つかったものであるが、今ではそれすらも滅多に見なくなってしまった。寂しいものである。

 

清水一行『毒煙都市』(角川文庫、1979年)A

 タイトルから水俣病あたりをモチーフにした公害小説かと思ったら、少し違った。公害といえなくもないが舞台はなんと戦前、九州の地方都市で実際に起こった集団赤痢事件をモチーフにした、ノンフィクション的なパニック小説である。調べると「大牟田爆発赤痢事件」として有名らしく、ネット上にもいくつか情報がある。これは軍が秘密裏に開発していた赤痢爆弾が原因とみられているが、いまだ未解決で現在に続いているという。

 この小説を読むことで、篠田節子の『夏の災厄』が触れなかったものが見えてくる。疫病に見舞われた地方都市を描くパニック小説という点で二作品は共通するが、篠田が疫病(日本脳炎)の原因追究に主眼をおき、感染経路が突き止められたところでほぼ物語が終わるのに対して、清水は原因以上に、一体この事態の責任追及の様子を執拗に描く。もちろん軍は秘密兵器を開発していたなどと認められるわけがない。代わりに犠牲として選ばれたのが市の水道課である。後半、何者かの意志により水道課の過失がどれだけ否定しても次から次へと、あの手この手で執拗に調査される。このあたりはほぼサイコホラーである。内務省赤痢予防薬と称して赤痢菌の混入した薬を配布し、事件を攪乱するなどということまでしている。

 否定しても否定しても水道課への責任追及はやまず、あらゆる検査や権威を投入した果て、原因は上水道への赤痢菌混入と断定され、上水道の機構からありえないという反論もむなしく、課長が責任をとって辞任するという形で「解決」を見る。現実にも同様の経過をたどったらしく、遺族は今でも真実の解明を求めた告発を続けているらしい。Wikipediaの事件の記述はあたかも清水の小説のあらすじのようでもあり、清水がかなり詳しく調べて、かなり忠実に小説化したことが窺われる。当時はかなりスキャンダラスだったのではないか。

 戦前が舞台とはいえ作中では軍部はほとんど姿を見せず、何者かの思惑に翻弄される水道課員をはじめ、突発的な赤痢にわけもわからないまま子を失っていく親たち、事態を見極めようとする医者、秘密兵器開発にかかわっていた軍と企業の暗躍などが描かれ、あまり戦前という時代性を感じさせない。水道課長と軍上層部のささやかな「対決」が一応のクライマックスだが、理不尽な敗北のラストはやはり物足りないものがある。現実の事件に材をとっている以上しかたのないことであるが……

 『夏の災厄』も小松左京の『復活の日』もそうだったが、この手の話で一番面白いのは、序盤の誰も気づかないうちに疫病が広がっていき、それに人々が気づくまでである。のどかに晴れていた街や公園がにわかに曇ってくるような不安の正体を、読者たる自分のみが知っているという優越感とそれをどうにもできない無力感、やがてくるカタストロフへの緊迫感など、作家の力量はここでこそ発揮される。

 徳間文庫版も出ているようだが、やはり角川文庫版が、生頼範義の表紙で良い。爆煙に包まれる工業都市を背景に、亡くなった幼い娘を抱いて怒りに震える父親を描き、黙示録的な迫力がある。