高橋直樹『天皇の刺客 曾我兄弟の密命』B、伊東潤『修羅の都』B
【最近読んだ本】
高橋直樹『天皇の刺客 曾我兄弟の密命』(文春文庫、2009年、単行本2006年)B
時は鎌倉時代、曾我兄弟は、父のカタキである工藤祐経を、源頼朝の主催した富士の巻狩りのさなかに討ち果たす。兄は倒され、弟は勢いにまかせて頼朝も討とうとして捕らえられる。頼朝は、敵討ちをする志を多としながらも、巻狩りの場を乱したことを咎めて彼を斬首する。しかしこの事件は、親孝行の手本、日本三大仇討の一つとして後世まで語り継がれることとなった。
しかしこの事件には謎も多い。父のカタキを討つだけだったのがなぜ頼朝まで狙ったのか、なぜ兄弟は巻狩りの場に忍びこんで頼朝まで肉薄できたのか、その直後に起こっている源範頼らの粛清はこの事件と関係があるのか……
本書はそういった疑問に新しい答えを与える、文庫にして460ページの力作……なのだが、曾我兄弟といわれても、そもそも定説を良く知らない。解説の井家上隆幸も、有名な事件とはいいつつも「講談本で親しんだ」と言っている程度なので、現代人になじみがないのも無理はない。なので、この「異説」を読んで、「定説」の方の曾我兄弟はよほど純粋な兄弟愛と復讐心に燃える人物だったに違いないと、さかのぼって考えるという転倒が起こってしまう。
この小説はもうタイトルが潔いほどのネタバレで、曾我兄弟の仇討ちは実は天皇の命令で頼朝を暗殺しようとしたものだった、ということなのだが、そうすると問題は、坂東の取るに足りない武士にすぎなかった曾我兄弟と、京の天皇がどう結びつくのかというところになる。それが恐ろしく複雑な経路をたどるわけだが、これはまったくの妄想ではなく、『吾妻鏡』のここの行間を読むとここがこう結びついて、という「謎解き」を著者みずからがあとがきでしてくれている。創作の舞台裏を堂々と明かしているわけで、本編を読んだあとにこのあとがきを読むと、なかなか感動するものがある。ここはぜひ読んでほしい。
しかし高橋直樹は曾我兄弟といえば誰でも知っているという自信がよほどあるのか、歴史背景の説明はあまり親切とはいえない。流人時代の頼朝が出てきたと思ったら、次の章では源平合戦をすっとばしてもう鎌倉殿になっているのは、曾我兄弟に関係する重要な事件だけ拾っていけばそうなるだろうが、しかしわかりにくい。(伊東)祐親と間違って殺された(河津)祐泰のカタキが(工藤)祐経というのもややこしい。なので、基礎知識はしっかり頭に入っているという状態でなければすらすら読むのは難しい。
むしろ楽しみどころは、この時代の仕官のありかただろう。復讐の準備をすすめながらも、兄のほうはむしろなんとか身を立てたいとも考えている。そのためには、有力者の援助を受けねばならず、それにはまず存在を認識してもらうことが大事なので、たとえば弟の元服式のためにほうぼうを訪ねまわって幕府の要人に出席してもらうなどする。和田義盛は本作でも気の良い人で、来てくださいと頼めば何にでも来てくれるので、それで「和田様が来てくれるほどの大きな元服式なのにあなたは来ないのですか」などと遠まわしに脅して人を集める。それでなんとか幕府内での職を得られそうなところを、過去の因縁が邪魔して立ち消えになってがっかりするなど、仇討ちとは別に生きていく苦労が物悲しい。もちろんその背後では京と鎌倉の政治的な陰謀も進められ、決して無駄話ではない。
また、高倉範季(源範頼を養育した他、頼朝と対立する義経を支援し、藤原秀衡の息子・高衡を保護するなど、時の権力者にことごとく逆らう行動を取りながらもしぶとく生き抜いた)や安田義定(武田信義や木曾義仲と同じく、頼朝とは別の独立勢力として挙兵し、後に頼朝に臣従するが、謀反の疑いで処刑された)など、やたらマイナーな人物が暗躍するのもマニアには面白いのだろうと思われる。
高橋直樹は代表作の『虚空伝説』のように、「報われない死」を描くのがうまい。本当の目的を果せず意に反して英雄としてまつりあげられる曾我兄弟もまた、高橋直樹がとりあげるにふさわしい人間であったといえよう。
伊東潤『修羅の都』(文春文庫、2021年、単行本2018年)B
話は、平家滅亡直後からはじまる。義経との対立や、奥州合戦、戦後の処理、後白河との対決、大姫の入内をめぐる駆け引きと死、畠山と和田の確執などが手際よく語られ、あたかも大河ドラマのダイジェストのようである。ただ校正が甘いのか、「義経は頼朝の意を察して官位や所領を返上し、謹慎などしなかった。」(p.54)など、一見して意味がとりにくい(義経の生涯を考えればどちらかはわかるが)文がところどころあったので少々読みにくいかもしれない。
本作の源頼朝は坂東武者のなかにあって孤独な天才で、目先のことばかりにとらわれる鎌倉武士の中でただひとり、冷静に日本全体を見すえて行動しようとする。誰も自分を理解してくれない孤独に悩む頼朝は、少々鼻につく。しかしその中で、小物にすぎなかった北条義時が、頼朝の思考を読んで先回りしようとするこざかしいまでの存在として台頭してくることになるのも、大河ドラマを別の視点から見ているようである。
が、3分の2を過ぎたあたりから、様相ががらりと変わる。
(以下ネタバレ)
なんと頼朝が認知症になってしまうのである。なにしろ10歳近く上の北条時政がぴんぴんしているので、あまりの若さに驚いてしまうが、この時代の50代ならありえない話ではないのだろうか。以後、記憶力が減退し、運動能力が低下し、感情の抑制の利かなくなった頼朝の視点から、幕府内の混乱が語られる。ここからははっきりとホラーである。頼朝は先ほどまで話していた重大事をあっさり忘れ、めちゃくちゃな命令を下し、果ては政子のことさえも忘れてしまう。こんな状態の視点から語られるものだから、読者もいったい鎌倉幕府がどうなっているのかさっぱりわからず、ただただとりとめのない頼朝の思考を追うしかない。
これはもう、新しい形の老人文学であるといって良いだろうし、たぐいまれなるホラー小説でもある。この二つが意外に近いのは、清水義範のホラー小説「靄の中の終章」が証明しているところであるが、歴史小説を読んでいてこんな恐怖を感じるとは思わなかった。最期は一時的に明晰になった頼朝が自ら死を選ぶが、まあ現実はこうはいかないのだよな。最後の最後でご都合主義が入って、そこは少し残念。