柚木麻子『終点のあの子』B、ビル・グレンジャー『ラーゲリを出たスパイ』B
【最近読んだ本】
柚木麻子『終点のあの子』(文春文庫、2012年、単行本2010年)B
都内にあるプロテスタント系女子高に入学した生徒たちの青春を描いたデビュー作「フォーゲットミー、ノットブルー」(オール讀物新人賞受賞作)と、その続編にあたる3作品を収録した連作短編集。「フォーゲットミー、ノットブルー」は、ごく平凡な女の子が奔放に生きる型破りな女の子に出会い、憧れと友情、そしてふとしたきっかけからの幻滅と破局へと至る物語。つづく「甘夏」と「ふたりでいるのに無言で読書」は脇役だった友人たちが主人公となり、最後の「オイスターベイビー」は「奔放な女の子」の4年後の現実を描く。
同じ時期の出来事が、その場にいた人それぞれの内面から語りなおされることで、ある学校の、あるクラスの、あるクラスメイトたちの青春の姿が立体的に浮かび上がってくる。語り手のタイプも引っ込み思案、読書家、ギャルなど、定番ではあるものの、色々な視点や価値観を巧みに描き分けている。最近の学園もの同様にスクールカーストが重要なテーマになっており、中高一貫校で内部進学か外部からかということや、どの駅の近くに住んでいるかがそのまま校内のヒエラルキーにもかかわってくる――それどころか電車という小道具は全編を通して、タイトルにまで影響を与えている――という構図は、都会育ちの読者には共感のわく描写なのかもしれない。
解説の瀧井朝世が絶賛しているように、観察力と繊細な描写は群を抜いている。自由で才能に溢れるクラスメイトに対する崇拝や羨望のような感情が、些細なきっかけから失望や憎悪に変わっていくような、感情や友情の不安定な揺れ動きが、この本に一貫した著者のこだわりであり、それは他の3作品にも共通している。そこにかつての自分自身を見出せるかどうかが、この本を気に入るかどうかの分かれ目だろう。
ただミクロ的な描写は優れているものの、マクロ的な視点になると少し雑になっていた気もする。「フォーゲットミー、ノットブルー」の主人公の女の子は、クラス全体を巻き込んだ事件で友情が破れてからは、ずっと地味に埋没し、別の友人もできつつ、勉強に専念して生きていくという風に、一応その後もフォローされてはいる。しかし高校1年の出来事の密度に比してあまりにおざなりに流れている印象がある。それだけにこの物語で描かれる事件が大きなものだったということになるのだろうけれど、どうも物語に描かれない「外部」が時折ひどく薄くなることがあって、そこは気になった。あくまで細部の繊細さに比して、ということではあるけれど。
ビル・グレンジャー『ラーゲリを出たスパイ』(井口恵之訳、文春文庫、1985年、原書1983年)B
おもにフィンランドのヘルシンキを舞台に、陰謀あり、ロマンスあり、アクションありで、ジェームズ・ボンドの衣鉢を継ぎつつ荒唐無稽には流れない、正統派のスパイ小説……と言い切りたいところだが、過度に複雑に書かれているようなところがあってどうも読んでいてわかりにくい。
全体の構図はむしろ単純かもしれない。鍵を握るのはトマス・クローハンなる男。アイルランド独立運動の英雄とされる彼は、独立運動にアメリカの援助を得るためスパイとしてナチス支配下のウィーンで暗躍し、侵攻してきたソ連軍に逮捕されて収容所で死亡したとされていた。しかし実はひそかに生きながらえており、40年経った1984年、極秘に出所しての亡命をアメリカに打診してくる。アメリカの情報部Rセクションは主人公たるデヴェロー――コードネーム「ノヴェンバー」を派遣するが、この情報はソ連やイギリスにもキャッチされていた。どうやらトマス・クローハンには、世界情勢を揺るがすような秘密が隠されているらしいのである。かくしてイギリス情報部やKGBも動き出し、世界各地で熾烈なスパイ戦が始まる。
で、この戦いが非常にわかりにくい。いくつもの組織がそれぞれ最低二つの派閥に分かれ、めいめいに殺し屋を送り込んだり政治的手段で交渉を妨害したりと様々にかかわってくるので、ある場所では凄惨な殺しが起こったが別の場所では職場をクビになる程度で済むなど、場当たり的な展開が続く。現地の警察もかかわってくるのでより事態は混迷をきわめる。あとまあ、アメリカの読者はアメリカ陣営に肩入れして読むのだろうが、日本人だとアメリカの名誉にかかわるといわれても少々実感に乏しいきらいはある。
クローハンが何者なのか、末端のスパイはおろか上層部もよくわかっていないため、それぞれの国ごとに違う見解をもっており、少しずつ明かされていく「クローハンの正体」も二転三転するのでややこしい。実は本心からナチスを支持する反ユダヤ主義者だったとか、実はそれはアメリカの命令で演じたものであったのにアメリカは名誉回復に動かず黙殺したとか、実はそれがカムフラージュであり、ナチスに協力するふりをしてユダヤ人救済に尽力していたとか、その人望を危険視したイギリスの陰謀により投獄されたとか……次から次へと、公表されたら英米ソ各国に都合の悪いクローハン像が提出されたすえ、実はクローハンは暗殺されていて、今収容所にいるのは暗殺者がなりかわった偽物だという可能性までもが浮上してくる。
さながらポストモダン小説のように真相は定まらず、最終的にはヒロインのジャーナリストが世界に向けて発表した「真相」が事実として確定されるあたり、マスコミが事実を作り出すというメディア論的なオチとも見える。データベースで「トマス・クローハン」と検索しただけで当局に捕捉されて転落のきっかけになったりもして(これが伏線となり、三谷幸喜の『振り返れば奴がいる』を想起させるラストはなかなか良い)、情報化社会のスパイ戦をうまく描いている。
本書は特に、冬のヘルシンキの陰鬱な描写がよかった。
灰色の、陰鬱な、しびれるような日日がやってきた。これこそフィンランドの暗い冬なのに、そのきびしさを身にしみて感じている者はすくない。人びとは太陽でさえも、はるか彼方の別の太陽系に属している惑星ででもあるかのように眺めているだけであった。星のない夜は長い。夕暮れの灰色の雲の彼方に陽は沈んでいく。凍った港のかなたに拡がる浅い海、フィンランド湾を閉ざす雲は月光も星影のありかも遮ってしまうのである。(pp.9-10)
クライマックスのロンドンにいたるまで全編こんな調子で、独特の暗い雰囲気を与えている。
本書は実はシリーズものの3作目だったらしく、
『ノヴェンバー・マン』 The November Man (1979)矢野浩三郎訳、集英社文庫
『スパイたちの聖餐』 Schism (1981)井口恵之訳、文春文庫
『ラーゲリを出たスパイ』 The British Cross (1983)井口恵之訳、文春文庫
『チューリヒ・ナンバー』 The Zurich Numbers (1984)加藤洋子訳、集英社文庫
『ヘミングウェイ・ノート』 Hemingway's Notebook (1986))加藤洋子訳、集英社文庫
となっている。作中を通してしょっちゅう前の事件の回想が入るので、順番に読むべきであったとは思う。