DEEP FOREST/幻影の構成

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 ジョン・ガードナーの『ゴルゴタの迷路』(水上峰雄訳、新潮文庫、1981年、原著John Gardner Golgotha, 1980年)を読んだ。

 時は近未来――1980年時点での近未来、199x年。ソ連は突如として西欧諸国に侵攻を開始する。ドイツ、イタリア、フランス等、抵抗も虚しく制圧され、イギリスに至っては、未曽有の混乱の収拾を求め、首相自らがソ連に救援を要請し、あっさり占領されるという信じがたい行動に出る始末。アフリカや中東もソ連に従い、中国はソ連と不可侵条約を結び、孤立したアメリカ合衆国大統領は、洗脳や催眠を駆使した極秘作戦「ゴルゴタ」を発動、スパイをソ連占領下のイギリスに送り込む。
(以下ネタバレ)
 エンターテイメントの一つのお手本のような小説である。近未来とはいえ、政治や哲学の議論は一切なしで、描写はひたすらにスパイとそれを追うソ連軍の駆け引きに費やされる。敵の占領下の国に潜入するのなら、ナチス占領下のパリなどでもよさそうなものだが、そこをあえて近未来にした理由は、真面目な未来予測のためではなく、「催眠」という新技術を鍵とした作戦を描くためにすぎない。訳者あとがきによると、原著観光直後にソ連アフガニスタン侵攻があったとかで、リアリティがないとは必ずしも言えないようだが。
 洗脳や催眠というのは、恐らくレン・デイトンの『イプクレス・ファイル』(1961年)を代表にほぼ使い古されているはずのもので、本書の中でも、映画の『影なき狙撃者』(1963年)が、似ているものとして主人公に言及されている。そういった作品の多くは、上記二作がそうであるように、仲間が洗脳されていつの間にか敵になっていたというような、誰が的かわからなくなる状況をサスペンスとして使っている。しかしこれは、ミステリにおける「動機」という点を「洗脳」で安易に逃げているということでもあり、ずっと使い続けるには無理がある。
 ではガードナーがあえて洗脳というガジェットを使った新しさは何かというと、多分「ゲームっぽさ」ではないかと思う。主人公のスパイは、まずキーワードを与えられ、イギリス内の指定された人物と接触する。その人物は何年か前にある実験に参加し、本人も知らないうちにある条件付けがされている。その人にキーワードを言うと、相手は催眠状態に陥り、次に会うべき人の名前と、作戦に必要な情報の一部が伝えられるのだ。催眠が解けると、その人物は言った内容は忘れ去り、スパイの方は得られた情報をもとに、新たに指定された人物に会い、キーワードを言うとまた次に会う人と情報が伝えられる――という段取りで、最終的に「ゴルゴタ作戦」の全貌が、パズルのピースが揃うような要領で明らかになる、というわけである。
 このシークエンスは、ほとんどテレビゲームのRPGのようなノリである。その感覚をガードナーがいちはやく取り入れた、ということだと思うが、しかしwikiによると、RPGの始祖として名高いウルティマウィザードリーが1981年発売とのことで、この場合はむしろテーブルトークRPGだろうか。
 これはもう、昔のスパイ小説が描いたような組織と個人の対立とか、正義とは何かなどといった「重い主題」や、ボンドシリーズに始まる「フェアプレイの精神に基づく頭脳戦の応酬」とは無縁で、読者はただ情報が揃っていくのを読み進めていくだけとなる。その過程でラブロマンスが挟まったり、彼らをなかなか捕まえられないソ連軍が、上司をどうやって誤魔化すか頭を悩ませたりと、単調にならない工夫もされ、一気に読めば申し分のない娯楽小説である。自分の場合、忙しくて数日かかってしまったため、少々損をした気分ではあったが。
 ラストは大体予想がつく――ゴルゴタ作戦が、軍事衛星を利用した核ミサイル攻撃のことだったという真相(作中で何度も推測としてあげられているのだが、まさか本当にそうだとは)も含め、主人公のハッピーエンドにいたるまで、順当に結末を迎える。
 個人的には、登場人物が全員「理性的」だったのが不満である。物語上、アメリカやイギリスは正義の側だからいいとして、肝心のソ連首相が登場してみると妙に気が弱くて、不利になったとみるとあっという間に撤退を決定してしまい、今までの話はなんだったのかと思ってしまう。なぜ無謀とも思える作戦に踏み切ったのか、どれほど非人間的な上層部が出てくるのか、少々楽しみだったのだが。しかしまあ、それをやれば、恐らく上下巻でも終わらないくらいの大長編になってしまうのだろうから、仕方ないのかな。

ゴルゴタの迷路 (新潮文庫)

ゴルゴタの迷路 (新潮文庫)