DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

 レン・デイトンの『イプクレス・ファイル』を読んだ。
 作者は、今ではすっかり忘れられているが、かつてはジョン・ル・カレとともにスパイ小説の新時代を築いたとまで言われた人気作家である。当時、スパイ小説界の詩人、あるいはスパイ小説のカフカなどと賞賛された通り、とっつきにくいが癖になる文章を書く。たとえばこんな文章である。以下、深夜、敵の乗っている車を山道で待ち伏せして、爆弾で攻撃を仕掛ける場面。ダルビーは「わたし」の上司である。

わたしは大きなグレイのボンティアックがとうとうすぐ下にすべりこむように近づいてきて、ヘッドライトがやわらかい道路の両側を照らしだすまで、軍隊風に距離の報告をつづけていた。ヘッドライトの光はダルビーの頭の上を向いていた。彼がそこにうずくまって身動きひとつしないでじっとしている姿が想像できる。こういう場合、ダルビーはおさまりかえって、すべてを自分の潜在意識にまかせてしまうのだ。彼は生まれついての不良少年みたいなもので、何も考えずに行動できるのだ。車が速度を落とす。これもダルビーには見当がついていることだ。車が近づくと、彼は立ち上がり、円盤投げの彫像みたいに狙いをつけ――やがて持っていた危険な包みをひょいと投げつける。スープのカンをたてにふたつつないだぐらいの大きさの粘着爆弾だ。衝撃でその小さな爆薬が戦車の銃眼からはいってナパームのようにひろがるやつだ。あとで調べる警官も、こいつで燃えた車やその中身は、ただの爆破されたのや撃たれたのみたいに苦労することはない。信管が破裂した。ダルビーはパッとほとんど身を伏せたみたいにからだを低くする。はねた焔のいくつかが、きわどいところで彼のからだからそれた。しかし、焔の大部分はラジエーターとタイヤに当たった。車はスピードも落とさなかった。いま、ダルビーは立ち上がって車のうしろから走っていた。(pp.63-64)

 緊迫のアクションシーンでさえもこの持って回った調子が続く。語り口はいつも淡々としていて、少々わかりにくいながらもユーモアと皮肉の利いた文章が続く。これが一貫しているので、油断するといつの間にか上司が失脚していたり、主人公のいる国が変わっていたり、とんでもない国家機密に触れて追われる羽目になったりする。解説によれば、小林信彦も2回読まなければよくわからなかったというから相当なものである。
 しかし話自体は他愛もない。イギリスの情報機関のエージェントたちが、組織内の不審な動きを探っていたら、大規模な洗脳組織の存在を突き止め、実は上層部にそれに関係する人間がいた、ということが明らかになるという筋である。執筆当時の1962年は、50年代のイギリスを騒がせた二重スパイ、キム・フィルビー事件の衝撃が残っていたというから、それなりなリアリティはあったかもしれない。しかし今読んでびっくりする人はいないだろう。
 にもかかわらず本書がいまだに面白さを保っているとすれば、やはり薀蓄を語ろうがアクションシーンになろうが回りくどい文体によるものだろう。そもそも情報機関に入るときも洒落た会話などして余裕ぶっているし、どれだけの危機にあろうとも皮肉とユーモアを忘れないというのは、ある種狂っているようにも見える。今で言えば村上春樹の文体に近いだろうか。そのあたり、007以降のスパイ小説の多くが、フェアプレイを遵守した頭脳戦を旨とし、グルメや美女とのロマンスを不可欠な要素とした(そして今ではすっかり退屈となってしまった)のとは一線を画していると言えそうである。
※なお、タイトルは著者の造語で、Induction of Psycho-neuroses by Conditioned Reflex with Stressという精神医学っぽい用語を略してIPCRESS。作中の重要な要素である洗脳プログラムのことなのだが、そんなものをいきなりタイトルに使ってしまうあたりが人を食っている。

イプクレス・ファイル (ハヤカワ文庫NV)

イプクレス・ファイル (ハヤカワ文庫NV)