DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

 ハリイ・ハリスンの『人間がいっぱい』(浅倉久志訳、ハヤカワSFシリーズ、原題MAKE ROOM! MAKE ROOM!、1966年)を読んだ。
 舞台は2000年を目前にひかえたニューヨーク。世界人口は増加の一途をたどり70億を突破、世界中の都市が過密化し、エネルギー不足が深刻になっていた。そんな中、中国人の少年が、女めあてである家に忍び込み、そこの主人を撲殺するという事件が起こる。それ自体はありふれたことだったが、殺された男が裏社会の大物だったことや、少年がふざけて書いたハートマークがある組織を指し示すものだったことから、警察は巨大な陰謀を(勝手に)かぎつけて少年のあとを追う。主人公の刑事・アンディはニューヨーク3500万市民の中から彼を探し出すべく、絶望的な追跡を開始した。
 読んでいてえらく普通な近未来小説だという印象を受けたが、それは作者の読みの正確さを示すものだということらしい。人口増加、環境破壊、合成食品(海草クラッカーや豆でつくったステーキ、栄養を手軽にとれる錠剤、一方で闇肉屋では犬の肉が高値で売られ…)、暴動やデモ、治安の悪化、スラムで生きる人々、宗教の流行、産児制限の提唱などなど。居住空間なんかなくなっているので、冬になったら、家のある者たちは、貧民たちを受け入れることを強制される。どれもが近未来小説においてはおなじみの風景ではあるが、これを1966年の時点でほぼ正確に描き出して見せたのは、確かにすごいことではあるのかもしれない。冒頭に起こる事件はあくまでとっかかりにすぎず、その調査のために刑事が駆けずり回ることによって、地獄のようなニューヨークの姿を描き出していく。
 これを原作として作られた映画『ソイレント・グリーン』は、この打開策として人肉が食料として利用されていたことが明らかになるショッキングな結末が話題を呼んだ。対して、この作品で、世界はなすすべもなくミレニアムを迎える。そして、待ち望んだハルマゲドンが来なかったことを知った宗教家が、「この世界が、またもう千年も、こんな状態でつづくのか? こんな状態で?」と呟いて物語は終わる。
 今になってみれば、何も起こらない、そしてどうすることもできないことを描いた原作の方が、より絶望が深い。映画は真実を知ることの絶望を描いたが、ハリスンに言わせればもはやそんなわかりやすい悪者はどこにも存在せず、絶望すらもできない。ラスト、恋人も仕事も失った主人公は、それでもニューヨークで生きていかなければならない。死すらも安息にはならない彼らの姿をみるとき、2000年も過ぎさってしまった我々はやはり自分の現実に目を向けずにはいられないのである。

人間がいっぱい (ハヤカワ文庫SF)

人間がいっぱい (ハヤカワ文庫SF)