DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

 高橋健誰『文明生物考古学への招待』(セガ少年少女科学新書)を読んだ。
 あまりもったいぶるのは得意ではないのでさっさとネタバレしてしまうと、昔流行った育成ゲーム『シーマン』の解説本である。

 ゲームは全くやらないので、CM以上のことは知らなかった。

 まあなんだかよくわからない生物をよくわからないまま育成するゲームなのだと思っていたのだが、意外に細かい設定があったらしい。
 本書で中心となるのは、フランス人生物学者、ジャン・ポール=ガゼー(1899- ?)である。

 貧乏画家のアランと出奔したポーランド貴族メリーの子として生まれた彼は、幸せな少年期を送るが、14歳のときに父を喪いワルシャワにうつり、以後は言語のハンデを背負って内向的になっていく。動物や植物と親しむ日の増えた彼は、大学で生物学をまなび、卒業後しばらくは生物教師のかたわら研究を続け、論文を書いてパリ大学で研究をすることになる。そして1933年、33歳のとき、フランス政府が派遣した第7回エジプト調査隊に参加し、同地の生態研究を行う。そのとき彼は、謎の生物・シーマンに出会うことになる。ガゼーは言語を操るこの生物の飼育を試みるが死なせてしまい、研究報告は学界から黙殺され、失意のうちに失踪する。しかしその研究記録はガゼーの友人の日本人留学生・増田きもが保管していた。

 1997年、エジプトで再びシーマンが発見され、それによりガゼーの記録は歴史的価値を帯びることになる。

 ガゼーの生涯の紹介は半分程度で終わり、あとはシーマンの生態として、幼生からわれわれの知るシーマンの姿になるまでの過程や、特殊な餌であるウォ・アイ・ニーという植物(これも奇妙な生態をもっているらしい)、言語獲得へのプロセス、ガゼー発案の飼育装置の実体などが語られる。
 何も知らないで読むと、ガゼーの生涯の部分など、思わず信じてしまいそうなディティールである(写真が少し綺麗すぎるという難はあるが)。これを見て、なるほど、やりたいのは『鼻行類』だったのか、と得心がいった。架空の生物「鼻行類」の生態を、研究論文形式で描き出したこの本は、レオ・レオーニ平行植物』などとともに、学問を知的にパロディしてみせた奇書として今なお絶賛されている。その直截な影響下にある作品としては、石黒達昌の『新化』などが思い浮かぶが、『シーマン』もまたそうだったというわけである。
 『鼻行類』にせよ、『新化』にせよ、ただ学術論文形式で架空の生物を描き出した、というワンアイデアに終わるものではない。前者は、鼻行類の生息していた島が核実験で消滅した、という背景により、文明批判の書となりえているし、後者は、解決を読者にゆだねるミステリ小説の形式になっている。アイデアで終わらず、なんらかの発展があるからこそ、今でも読まれているのだ。『文明生物考古学への招待』――というか『シーマン』はどうなのかというと、これは超古代史に行きつく。シーマンは、世界各地への文明の伝播を説明するためのガジェットなのである。
 なぜ世界各地に同時発生的に高度な文明が生まれたのか、というのは、オカルト関連本でよく提起される問題である。解決案としてよく出されるのがアトランティス大陸ムー大陸で、超高度な文明を誇ったそれらが滅んで沈んだことで、その生き残りが世界各地に散って行った、というものである。
 『シーマン』の場合はもっとシンプルである。この喋る魚が海を泳いで、他の大陸に知識を伝えた、というわけだ。
 これは少し意表を突くストーリーである。なるほど、文明を伝えるのは必ずしも人間である必要はない。人語を解する生物でもよいわけだ。しかし実際には、オカルト本を読むと、半獣半人とか、人語を解する獣といった存在は出てくるが、彼らはただ会話ができるか敵対、せいぜい何か断片的な真実を伝える程度(スフィンクスなど)で、文明の運搬者になったとまで書いているものは全くなかった気がする。シーマンによる文明伝播の設定は、十分人間の想像力が生み出すはずのものだった――各地に宇宙人が飛来した、などというより、よほど簡単な説明である。しかし古代の想像力は、人に獣の混ざったものに、文明の一部ならともかく、すべての担い手たるを認めなかった、ということなのか。こんなところに、我々の人間中心主義的な部分が貌をのぞかせている――ともいえるのかもしれない。
 本書の示唆するところでは、シーマンは育成を続けると、やがて足が生え、陸上に進出するらしい。そこから新たな真実が明かされるという。もしかしたらいずれ直立し、シーマンが人間の祖先だったということになるのか。そうすれば、人類はかつて海中で生活していた、という説とも接続することになる。さらにその先にどんなストーリーが待っているのかは、本書からは窺い知ることはできない。実際にプレイして、それを知ることになる日は――まあ多分、永遠に来ないのだろうけれど。