DEEP FOREST/幻影の構成

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 もりたなるお『銃殺 運命の二・二六事件』(講談社文庫、1994年、単行本1990年)を読んだ。

 タイトル通り、二・二六事件を扱っているが、その中心部ではなく、周辺にいた一将校の立場から描いている。主人公の宮林直大中尉は、皇道派将校に思いを寄せ、蜂起への参加を願うが、千葉県佐倉の連隊に所属していたため、連絡がつかずに参加を果たせなかった。そして彼は、その射撃の腕ゆえに、死刑になった将校の射手を務めることを命じられてしまう――
 BLのような筋書きである。実際、二・二六事件は元来、北一輝をはじめ西田税、安藤輝三、相沢三郎など個性的な人物がかかわり、彼らを中心として青年たちが純粋な理想を掲げて団結し、命がけで事を起こすという、BLにはうってつけの舞台であるように見える。しかし二・二六事件を扱ったBLコミック・小説はあまり聞かない。調べてみると、最近の作品で大竹直子の『白の無言(しじま)』が挙げられており、これは面白そうだ。だが他には昔からよく挙げられる、恩田陸『ねじの回転』が見られる程度である。戦国時代や幕末が少女小説等でよく扱われるのとは対照的である。
 とはいえ、二・二六事件を題材とするのは、少々難しいのかもしれないとも思う。蜂起した将校は皇道派、すなわち天皇を神のように頂点に戴く者たちである。しかしまさか天皇と恋仲になる話は書けない(久世光彦『陛下』のような作品もあるが)から、同僚や上司・部下の間での愛情を描くことになる。そうすると、彼らにとって「頂点」は、天皇と愛する相手の二つあることになり、これではどちらが大事なのか、という話になってしまう。天皇を神とあがめつつ、それとは別の人間への愛を貫く、というのは、両立させるのは難しいのかもしれない。
 残念ながらもりたなるおにはそういう志向性はなく、耽美的な要素は一つもない。ただ、本書も含めて何度も直木賞候補になったベテランらしく、読みやすくまとまっており、また当時の騒然とした世相を知ることもできる。入門的にはとても良い本のような気がする。
しかし、似たような題材を扱っている本とくらべると、やや理想主義的な描かれ方をしているように見える。本作品には、北一輝がまったく出てこない。必ずキータームとして挙がる、蹶起将校の行動原理たる『日本改造法案大綱』など、言及もされない。かわりに末端の下級将校どころかその母親にいたるまで、政治の腐敗や貧富の差の拡大を認識し、心を痛め、一人一人がそれをただそうという義憤のもとに立ち上がったことになっている。
 しかし寺内大吉『化城の昭和史』や、三好徹『興亡と夢』などを読むと、二・二六事件というのは、一部の過激な将校が天皇北一輝に心酔して事を起こしたものとされている。大部分の参加者は、それに引きずられて蜂起しただけで、そもそも自分がなんのために銃をもって立っているのかもわかっていなかったというのである。どちらを信じるかという話であるが、たとえばロシア文学ゴーリキーなどを読むと、政治運動に打ち込む息子を頼もしげに見守る母親、などという嘘っぽいものが出てくる一方、革命の歴史をみれば、デカブリストの乱をはじめ、ただ一途な理想を掲げただけで周りから全く理解を得られず、一瞬で鎮圧された「行動」の例はいくらもある。本作と現実の関係は、これとよく似ているように思われる。
 最終的に、生き残った者たちは怖気づいて、理想を忘れたかのように体制に順応していく。なおも心中にくすぶるものを抱き続ける主人公は、疎まれて前線にばかり送られ、奇蹟的に生き延びるものの、ボロボロになって復員し、間もなく死んでしまう。そこが読者に感動を呼び覚ますものらしいが、しかしまあ、妥当な終わり方だと思ってしまった。
 ところで、もりたなるおはあとがきで、

昭和11年に起きた二・二六事件関係資料や証言が公にされるのは、昭和20年の終戦後もしばらくたってからである。
それまでは、蹶起部隊は反乱軍として、その言動の一切は隠されたままだった。

 と述べているのだが、これは本当なのだろうか。Wikipediaによると、乾信一郎*1は1936年に『北一輝西田税 二・二六事件の惑星!』(第百書房)という本を出しているようなのだが、この種の本でどの程度「真実」が明かされていたのか、気になるところである。

*1:1906-2000。アンソニー・バージェス『時計仕掛けのオレンジ』の翻訳で有名