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井上靖の『天目山の雲』(角川文庫、1975年、『異域の人』1957年の再編集・改版)を読んだ。
- 作者: 井上靖
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 1975/02/10
- メディア: 文庫
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物語的には主に前半と後半にわかれており、前半の収録作と主要人物は以下の通り。
「桶狭間」織田信長
「平蜘蛛の釜」松永久秀
「信康自刃」徳川信康
「天正十年元旦」「天目山の雲」武田勝頼
「利休の死」千利休
「佐治与九郎覚書」佐治一成(徳川秀忠の妻・江の最初の夫)
後半は多少雰囲気が変わり、人物そのものが架空であったり、中国が舞台であったり、また、人物そのものではなく研究者や遺跡の盗掘者を通して人物を間接的に描くなど、バラエティに富む。
「漂流」江戸時代に漂流の末ロシアに行った男たちの話
「塔二と弥三」鎌倉時代、囚われて元に連れていかれた男の話
「明妃曲」王昭君(中国四大美女の一人。匈奴のもとに嫁ぐ)
「異域の人」班超
「永泰公主の首飾り」永泰公主(武則天により死に追いやられた)
名前をならべてわかるように、全体に「滅び」がモチーフとなっている。それでも読んでいて気がめいるようなことがないのは、井上靖の独特な語り口によるものだろう。
語り口が特徴的なのである。井上靖の文章は、読んでいて謎が残らない。基本的に井上靖の文章は、まず行動を描き、その理由を述べるという、対をなすユニットの集合として成っている。ためしに、「桶狭間」から比較的短いものを抜き出してみる。太字が「理由」にあたる。
馬へ飛乗る。見事である。見ていて見事な許りではない。信長自身馬へ乗る瞬間が、下半身がさあっと馬の腰に沿って宙に閃くその瞬間が好きである。自分がいかにもあるべきありようをしている感じである。併し惜しいことには、この感じは一瞬である。何事でも行動に移ろうとする瞬間が好きである。 4,5年前まで、3月から9月まで、毎日のように川で泳いだが、あれも水へ飛込む瞬間が好きなのである。(p.7)
平手中務政秀は苦手である。幼時からこの人物によって訓え育てられているので頭も上がらないが、そんなことではない。この老人の一徹な律義さがうるさいのである。(p.6)
信長は奥へ入って行った。咎めるような烈しい幾つかの視線を信長は顔に感じた。感じたが直ぐ、それを忘れて仕舞った。忘れたのではなく、平手政秀が既にこの世にいない淋しさが、信長の足の運びを急に大きく荒くさせたのであった。(p.16)
いずれも行動-理由が対になっており、疑問は残らない。少なくともこの本における井上靖の文章は、ほとんどシステマティックにこの原則が貫かれている。その読みやすさが、大衆小説的な人気を得た理由でもあるだろう。
しかしこれは、果たして信長自身がこのように自分を客観視しているのか、いわゆる神の視点から語られているのかはっきりしないのが個人的には気持ち悪くもある。解説の山本健吉は、井上靖の描く主人公を自己韜晦的と評しているが、しかしこの信長は自己をあまりに客観視しすぎているように思える。やはりこれは信長自身の認識を超えた視点とみるべきだろう。読者は信長の馬の早駆けや怒りを追体験しつつ、それを冷めた目で見降ろしてもいるのである。そのようにして、短編とはいいながら、それぞれの人物のごく一部分をドラマティックに描くのではなく、生涯全体を簡潔にえがいている。他の作家なら大長編になるような話を、ほんの短編にまとめてしまうのが、井上靖の力量である。
では単に歴史的な事項を羅列しただけの無味乾燥な小説なのかといえば、そうではない。先に引用したように、井上靖は歴史人物を内面と外面の両方から描いて見せるが、その一方で彼らの行動を、一切良いとも悪いとも言わない。たとえば司馬遼太郎のように、この人物は優れているがこの人物はおろかである、というようなことは全く言わず、ただ行動とその理由を描き出してみせるだけなのである。
個人的に本短篇集で一番好きなのは、武田勝頼の滅亡を描いた「天目山の雲」であるが、周りに推されて戦いに出たり、再起を期して城を捨てたり、誇りのために上杉氏の庇護を拒否したりといった、結果的に裏目に出ていく行動を、作者はただ追体験させるように描いていく。
恐らく読む人によって、感想は全く違うのではないか。ある人は勝頼は愚か者だったのだと軽蔑するだろうし、またある人は、勝頼は彼なりに努力はしたが不運だったのだ、と同情するだろう(個人的には後者である)。他の作品にしても、作者はあえてそれぞれの人物の生涯を、ことさらに悲劇的に盛り上げたりせず、評価は読者にゆだねるように描く。読み終えると、彼らにはほかにどんな生き方がありえたのだろう、と、歴史の運命に思いを馳せるようになっている。そういう多様な読みの可能性を、フィクションとしてふくらませながら示すことができたのが、井上靖の歴史小説作家として優れた部分だと思う。