DEEP FOREST/幻影の構成

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 杉森久英の『浪人の王者 頭山満』(河出文庫1984年、単行本1967年)を読んだ。

 頭山満(1855 - 1944)は、明治から戦前までの歴史を扱った本に、たびたび出てくる名前である。だがその活動内容のためか、全貌はなかなか知ることができない。彼は、明治維新後、政府になじめない浪人たちの結社・玄洋社の中心メンバーとして活躍した人物で、大隈重信襲撃などのテロ事件、大規模な選挙干渉運動などにかかわり、満州事変、五・一五事件二・二六事件など、あらゆる事件の影に、頭山の顔が見え隠れするとすら言われる。それゆえ、簡単には「右翼の大物」「政府の監視人」などと紹介されることが多いが、彼の持つ思想は大アジア主義と呼ばれる雄大なもので、韓国の金玉均、中国の孫文、インドのラス・ビハリ・ボースなどの独立運動を積極的に支援し、また左翼的立場の中江兆民アナーキスト大杉栄などとも積極的に親交を結ぶなど、思想の枠にとらわれない縦横の活躍をしたとされている。
 そんな彼の生涯を追った伝記的小説である。とはいえ記述は彼が表舞台に出ていた時に限られ、「宮中某重大事件」(1921)のあたりで終わってしまう。黒龍会内田良平など、他にも色々気になる名前は出てくるのだが、杉森はあくまで頭山が前線に出ていた時期に絞って描き、真の「黒幕」として指示を出す立場になった時期のことは書いていないようである。しかし困るのが、頭山の顔でよく知られているのは親しみやすい、翁とでも呼ばれそうな晩年の白髭の写真であり、どうしてもそれでイメージしてしまう。

Wikipediaより)
この顔で、羽織袴に下駄ばきで闊歩する、というのが勝手なイメージなのだが、だいぶ実像とは違っているだろう。
 短いながら杉山茂丸夢野久作の父)などの周辺人物も、背景まできっちりと描いており、頭山のみならず、維新の志を持ち続けた浪人たちの群像が魅力的に描かれている。頭山は玄洋社の創立から末期まで長生きしたから代表のように言われているが、何も頭山だけが突出して優れていたわけではなく、そこには巨大なエネルギーが渦巻き、自分たちの理想を実現しようとしていたことがわかる。だが、一か所気になったのが、玄洋社第四代社長の箱田六輔が急病で死んだとされていることである。実際には、玄洋社内の方針の対立に悩み、頭山の前で自決したのだと、井川聡・小林覚の『人ありて 頭山満玄洋社』(海鳥社)にある。彼の顕彰碑にも急病とあるので、杉森はそれ以上調べなかったのか、あるいはこの事件は玄洋社内部でもタブーだったというので、それを慮って触れなかったのかはわからない。
 読んでいて面白かったのだが、同時に気になったのが、頭山が行動派として描かれていたことである。ということはつまり頭脳派ではなく、論理的に見て正しいかどうかより、孫文にせよボースにせよ、会った人の好き嫌いに基づいて方針を決め、そのまま突っ走る。これは、特に明治維新を描いた小説の人物描写としてよくあって、高杉晋作坂本龍馬など、たいていは頭で考えるよりも感じたままに動いていたように語られているような気がする。複雑怪奇な明治維新の混沌の中を、己の感覚のみを信じてわたってゆく、それが快男児としての印象を読者に残す(そしてあまり業績を客観的に評価しようという意欲を持たせない)所以でもあるのだが、しかし彼らが松下村塾勝海舟のもとで学び、頭山もまた高場乱(たかばおさむ、1831-1891)という男装の女傑のもとで学んだといわれるように、決して勘のみで生き抜いたのではなく、深い考察もあったはずなのである。それを、ただ人間が気に入っただけで孫文らを支援したかのように書くのは、実は昔の人間に対する蔑視が含まれているのではないか。今読んでいる同著者の『夕陽将軍』では、石原莞爾が突拍子もないようでいて実は論理的なのだ、と各所で強調されているのを見ると、一層その思いを強くするのである。