DEEP FOREST/幻影の構成

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「いちど変装をしてみたかった」について

いちど変装をしてみたかった (講談社文庫)

いちど変装をしてみたかった (講談社文庫)

「あなたにはできるかな?」


内容は読んで字の如し。
恐らく誰もが持っているであろう変身願望というものを実現して、都市の人間の反応を見てみよう、というのがこの本の趣旨だ。
ただ著者が変装するのは、大多数の人が望むようなもの――人気タレント、超お金持ち、尊敬される人物などといった、「この社会で成功したと思われている人物」ではない。
「今回僕が変装しようとしている対象は、必ずしもそういう人物ではない。簡単にいってしまえば、<いてほしくないと思われている人>とか、<少しおかしいのではないかと思われている人>とか、
ようするに突出している人物である。」(p.4)
――で、以下の12人の人物に変装する。


「募金男/黄色い<ユニセナ募金箱>を持ち、街頭で頭を下げてみる」
「酔っ払い男/作業服を着て楊枝をくわえ、山手線の乗客に話しかけてみる」
「調査員男/昼下がりの住宅街で<都市生活者の性生活>を調査してみる」
「軍服男/軍服にブーツを履き、防衛庁で幕僚長に会見を申し込む」
「中年フォーク男/ネクタイをしめ、公園で60年代のフォークを絶唱してみる」
「女装男/入念に化粧をして、銀座のブティックで“春物”を探してみる」
「外国人男/髪を金髪に染め、つけヒゲをして英語で道を尋ねてみる」
「少年男/半ズボンをはいて”お子様ランチ“を注文してみる」
「セーラー服男/セーラー服を着て、原宿で男子高校生をナンパしてみる」
「パジャマ男/赤い格子縞のパジャマを着て、銀行のソファーで眠ってみる」
「絶叫・トレパン男/馬券売場で”あなたの人生精一杯生きてますか“と絶叫してみる」
ケニア男/検問のとき、ケニアで取得した国際免許証を見せてみる」


いかがであろうか。これを50歳の、妻も息子(受験生)もいる男がやるのである。
ついでに毎回家で変装し、妻と母に見送られて出発するのである。
ちなみに表紙には「少年男」の著者が写っている。
髪を坊ちゃん刈り風にし、紺のブレザーに紺の半ズボン、紺のハイソックス、学生帽をかぶった50歳の男が表紙。
凄まじく異様である。
何なんだろう、という感じだ。
とはいえこんなことをしているが、別にこの人は売れないあまりネタに困ってヤケになった、というわけではない。
プロフィールによるとこの作者、
元TBSの敏腕プロデューサー、
井上陽水小室等を手がけた音楽プロデューサー、
八重山共和国』『ポーランド子ども収容所』などの硬派なノンフィクション作家、
小説「黄色い流砂」でのサントリー・ミステリー大賞受賞、
若き山下洋輔ともセッションしたジャズドラマー、
試食までしたゴキブリ研究家、などなど、
実に多彩な経歴の持ち主である。
ちなみに1944年、満州生まれ。


で、まあ幸せな家庭も社会的地位もある人が恥を捨てて上のようなものに変装して、
都市の人々がどんな反応をするか見てみよう、というのことのだが、
結論から言えば、自分が遭遇した身になって考えてみればわかるかもしれないが、
どう反応すればよいのかわからない、というのが大多数の反応であった、と言ってよい。
変装した著者に遭遇した人は大抵無視するか怒り出すか、場合によっては泣き出すかしていて、
あるいはまれに変装した著者をその存在として受け入れて話したりする。
読んでいる限りでは相当胡散臭いに違いないのに、だ。
それはつまりどう反応するのが正しいのかわからないからである、といえるだろう。
それぞれの変装の結果をまとめると以下のようになる。


「募金男」
・20代女性…ごめんなさいといって何度前に立っても逃げ続けた
・おばさん…自分はペルーの方に募金してるからルワンダはダメ、とよくわからないことを言って逃げた
・若い男…怒鳴りつけた
・20代女性…しつこく前に立っていると100円募金した
・10代女性・男性…完全に無視
結果として1783円の募金が集まり、ユニセフに寄付


「酔っ払い男」
・本屋の女性店員…怖がられた
・電車内の学生…話しかけると応じ、しばらく話した後、弱々しい声で「もう構わないでください」と言った
・20代女性…何を話しかけても愛想よく答えてくれた
・10代女性…話しかけたらどうだっていいでしょ、と怒鳴られた
・喫茶店…観察される対象となる


「調査員男」
大抵は門前払いだが、
中には詳細に、浮気まで正直に答えた人もいた


「軍服男」
・尊大に話しかけると、相手も丁寧に答えた(周りはそれをみて笑っていた)
防衛庁に行って「幕僚長にお会いしたい」…しばらくもめた後「アポイントをとってまた来てください」、という返事
・クラブ…さして疑問も持たないらしい女の子と話し、世代の違いを実感する
・外国人ホステスのいるクラブ…本物の軍人がいてうろたえつつ退散
・おばさん…呼び止めて激励


「中年フォーク男」
下手な歌で殆ど誰も見向きはしなかったのだが、
一人リクエストをしてきて涙を流しながら聞いていた男性がいた。
また、7人の人が小銭を入れてくれた。
ちなみに涙を流していた男性は2000円置いていった


「女装男」
・服屋…「これいいかしら?」ときくと調子を合わせていた。
・トイレはどちらに入るべきか聞いてみると、しばらくもめたあと好きなほうを使え、という結論。
・連載時は、本物の女装趣味の人から手紙が来た。


「外国人男」
カツラに付け髭というわかりやすいあからさまな変装だったのに、
英語で話しかけると話しかけられた人はほぼ全員外国人であることを疑わず、
流暢に答えたり何も言えずに固まっていたりした


「少年男」
・女の子に遊園地の遊具の乗り方を聞こうとしたり、場所をきいたりしたが、大抵逃げられた
・お子様ランチを注文したが拒否された
・煙草の火を求めたら逃げられた
・ピンク・サロン…普通の客として扱われ、暴力サロンだったので逃げた


「セーラー服男」
・男子高校生に話しかける(「遊びに行こうよ」「ごめんね、ヒロシ君!またせちゃって!」など)…一様に怒ったり泣き出しそうになりながら逃げた
・店に入ると大抵客として扱われるが陰で笑われていた
・カツアゲをしていた高校生を怒鳴りつけた・・・怯えた様子で逃げ出した


「パジャマ男」
・銀行の椅子で毛布をかぶって寝た…ほぼ完全に無視
上野動物園の手すりのところで寝る…やはり無視
・文化会館の案内カウンターの下で寝た・・・外で寝てくれませんか、と柔らかく言われた
・通りかかった人…みて笑うだけ
・丸井…パジャマで歩き回っても誰も驚かない
どうもこれは失敗だったらしい


「絶叫・トレパン男」
・競馬場で「あなたの人生精一杯生きてますか」…完全に無視あるいは小声で苦情をいわれた
・80歳の女性…あなたみたいな人がまだいるのね、と感激していた
・女子高生…なんか軽くあしらわれる
・ホームレスの老人…会話にならなかった


ケニア男」
つまりケニアで免許をとって、そこで国際免許をとって日本で使っており、
結果としてケニアの免許証を持っていたのだが、
ほぼ完全に警察官はケニア人と勘違いしたらしい。
あまり係わり合いになりたくないのか、駐車違反をしても許されたりとかしていた


とまあ、こんなところである。
どれも話しかけられた人の心情を想像して色々楽しめたが、
結局のところどの行動も、どうすればよいのかわからなかったがゆえであるのは間違いないだろう。
前述のように怒ったり無視したりするのはその典型であろうし、
それ以外にも例えば外国人に変装した著者を外国人として応対した人は、
別に変装であることがわからなかったはずはないのだが、
もし「変装ではなかったとき」を思うと、
変装でしょというのも失礼であり、
その上英語で話しかけられたから外国人として扱うことにした、という。
もしその後変装であることを打ち明けられたら、多分「わかってましたよ」とか何とか言うのであろう。
とはいえそれではどう反応するのが実際は正しいのか、というのは正直よくわからないのだが。


だがそういった分析は本書の中ではなされない。
著者は基本的に誰かに話しかけて、反応を見て、それを描写するだけである。
ただその見方には結構悪意があって、
たとえば「募金男」の時は、怯えたように逃げ続ける女性の前に執拗に立ち続け、お願いだから来ないでください、といってその場から逃げ出すのを見送りつつ、
ただ単に募金を集めてるだけなのになんでそんな反応をするのだろう、と不思議がりながら笑い転げている。
大体他の変装もそんな調子であり、
嫌がっているのに執拗に続け、嫌がれば嫌がるほど喜ぶ著者を見ているのは、恐らく計算づくとはいえ不快だった。
勿論得体の知れない人に話しかけられて不安がる気持ちは著者にもわかっているはずなのだが、
そこは彼の手法というもので、あくまでよくわからないものとして話しかけているのである。
確かに募金男に対して「すいません、あっちにいってもらえますか」と懇願する、というのはよく考えるとおかしなことだ。
著者はおかしなものをおかしなものとして提示し、それで終わらせて次に移る。
それが逆に我々に考えさせることにもなるのだろうけれど。


その行動に至った思想的な背景みたいなものも最後に明かしてはいる。
その出発点にあるのはロバート・キャパの写真「協力者」である。
ナチスの占領下にあったころナチス将校の情婦になっていた女性が、解放後市民たちの反感を買い、
頭を丸坊主にされて歩いているところを撮影したその写真(女性は赤ちゃんを抱き、後ろには父親が歩いている)について、
むしろ問題は彼女と彼女を見ている群衆ではなく、彼女が一体何を見ていたかを見たい、と著者は思う。
そうするためにはその女性と同じ見られる側に身を置くしかないのである。
しかしキャパも含め人間は大抵「見る者」として存在していることが多く、「見られる者」でいることはほとんどない。
そこで著者はあえて「見られる側」になり、そこから何かを見たかった、というのである。
その実践の結果としてこの本があるのだ。


とはいえこの人の場合は、それ以上にただ純粋に楽しかったからこれだけいくつもの変装を続けたのであろうけれど。


ちなみに本書は『いちど尾行がしてみたかった』に続く「都市の人間観察ノート」シリーズ(と後でまとめられたらしい)の2冊目にあたり、
3作目は『いちど混じってみたかった』という。
いずれもその内紹介してみようと思っている。