DEEP FOREST/幻影の構成

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「生体実験 ある小児科看護婦の手記」について


「生体実験 小児科看護婦の手記」清水昭美 三一新書(1964年)

生体実験―小児科看護婦の手記 (1964年) (三一新書)

生体実験―小児科看護婦の手記 (1964年) (三一新書)


「きこえる
あの声
密室の乳児のもだえ


耳をすませ
『ゆうれい児』の
かなしきなき声に」


何とも衝撃的なタイトルの本である。
「生体実験」だけでなく「小児科」、「手記」という語が合わさることにより、
いやがうえにも読者の注意をひきつけるものとなっている。
しかし、筆者が本当に書きたかったことはそれなのかどうか、ということに関しては多少疑問が残る。


著者は元銀行員だったが、数字の奴隷のような仕事に嫌気がさし、「魂の躍動するような仕事」を求めて看護婦になった女性である。
雑然とした中になんとない暖かみがあり、
ユーモアのある話しぶりでいつも周囲を笑わせ、
太い神経の持ち主で、重厚な印象を与え、
一方で涙もろく、はっと思わせるような繊細さを見せ、
くらいついたら離さない「涙もろいスッポン」と称えられている。
――と、裏表紙の著者紹介に書かれているが、
まあ大体どんな感じかはわかるものの、書けばいいというものではない、という気になる。
何か書いてもすぐにその反対のことを書かれたのでは一体どちらなのかわからない。
まあそういう人は実際にいるからいいのだが。
他に「文学のなかの看護」(医学書院)という著書もある。


本書でメインで扱われている問題は、ある大学病院で実際に行なわれていた(と思われる)生体実験に関するものである。
生体実験というのはそのままの意味である。
乳児の鼻から直径1ミリのビニール管を通し、鼻腔、食道を通り胃、十二指腸、小腸、大腸を経て肛門から出す。
これは医師が乳児栄養、その中でも特に乳糖代謝ビフィズス菌についての研究のため、
腸管内部の液を自在に吸引採取し、
消化状態を観察することを目的とした処置である。
たとえば小腸下部の内容を観察したいと思ったら、ビニール管の側壁に穴をあけ、
穴の開いている部分を小腸下部に通して、そこの内容物を吸引する。
あるいは、乳児が飲みたがらないような成分のミルクを直接胃に送り込み、その反応を見る。


これを「神戸チュービング法」といい、この方法は従来のゴム管を使った方法よりも乳児への負担が少ないため、
長時間の調査を継続することができ、なおかつ乳児の健康を損なうことはない。
――と、学会ではそのように発表されているが、
実際自分がそれをやった時を考えてみればわかる通り、乳児たちにとっても相当なストレスになる。
著者である清水昭美が見たのは、このビニール管をなす術もなく通され、実験のために身体の受け付けない物質を投与されて苦しむ乳児たちの姿であった。
ただそのストレスのみならず、処置の手際が悪かった場合、
腸にビニール管がつまるなどして、さらなる苦しみを味わうこととなる。


ではなぜこのようなことをしていて世間に、特にその乳児の家族に知られることがないのかというと、
主に実験の対象が、未熟児と、乳児院に引き取られた親のいない子ども(病院では”ゆうれい“とよばれる)であること、
そしてその当時、「完全看護」という、子供が完全な健康体になるまでは病院が常に面倒を見続ける、
すなわち、「付き添いをはずし、すべてを看護婦の手で。」という制度があったことによる。
そのシステムにより乳児は完全に外部から隔離され、
乳児の家族は、病室の窓から乳児の姿を見ることしかできず、
「退院はまだ無理です」という言葉を聞かされるだけで帰ることになる。
「生体実験」の被験者にされている以上、その乳児たちが健康になることなどほぼあるはずがなく、
しかしその事実は家族に知らされることはもちろんない。
当然入院させ続けるには費用がかさみ、
経済的な窮乏を訴えても、看護婦に過ぎない著者はそれを聞くことしかできない。


こういったことに対し、当の実験を行なう医者たちは呆れるほど無頓着に描かれる。
著者によれば、彼らは一刻も早く博士号がほしいので、
研究のために乳児を犠牲にすることも厭わない。
博士号を持っていると給料が大きく上がる上に、この場合の博士号は「旧制度の博士号」というものらしいのだが、
新制度になるとこういった研究によってではもらえなくなるらしく、
旧制度のうちにとらなければならない――というわけで、
医者たちはみな焦っているのだと言う。


そのために、乳児にとって明らかに危険な薬品を投与し続け、
実験中の乳児が退院できそうになると、慌てて止めに来たりする。
逆に実験対象として不適になってしまうと、衰弱状態にまま退院させてしまう。
その一方で実験のストレスで乳児が死にかけているとなると、
なかなか腰を上げず、酷い時には死んでから呼べ、というだけで相手にしない。
医者はそうして指示を出すだけだが、
看護婦は薬品の投与から乳児の死まで目の当たりにしなければならない。
だが看護婦の立場ではそうそう逆らうわけにも行かない。
彼女らは諦めの気持ちでただ医師の言うとおりにしていた。
その中で著者は独り抵抗を試みる。


勿論それまで実験が続けられてきた以上、
一つの体制として生体実験は受け入れられてきたわけで、
それに反抗した著者は当然糾弾される。
医師たちが部長に告げ口をするだけでなく、同僚の看護婦にも余計なことをするな、と白い目で見られてしまう。
だが著者の抵抗の精神、本来の命を愛する心が徐々に浸透していったのか、
それとも元々の動きか、看護婦たちはひそかに医師の指示に逆らって薬品の投与をしなかったり、
自分たちの休憩時間を削って乳児たちの衛生状態を保とうとしたりし始める。
そんな中著者は未熟児室の担当をはずされそうになるが、
何人かの医師の口利きにより残ることが許される。
それは看護婦のみならず医師にも自分の声が届いた瞬間でもあった。


だが実験そのものがなくなったわけではなく、
そのまま生体実験は続けられていった。


実際は何度か新聞等で告発されそうになったことはあるし、
証拠もあるのだ。
医師たちが学会で発表した論文のデータには、
乳児に与えられる栄養成分のそれぞれの限界値が記されている。
それがわかるのは実際に投与したからであり、
実際その時乳児たちは下痢や嘔吐などの症状を示して苦しんだのだが、
医師たちは「実験方法は絶対安全な方法である」と言い張っていたため、大きな問題にはなりえなかった。


本書の最後には、著者たちが関わっていた実験が最終的に大きな評価を得て、
研究に携わったものたちは博士号を得るなり欧州に旅立つなりしていった、という事実が語られる。


しかし、こういった乳児を使った人体実験という凄惨な場面を描きながら、
本書はどこか、読んでいて実感に乏しい。
それは恐らく、著者の感情が全体を通してどうも見えにくいからだと思われる。
著者の感情に関する描写はたとえばチューブを通された乳児を見たときとか、
医師に理不尽な恫喝をされたときなどに少し描かれる程度で、
あまり内面を描いたところはない。
また反応があってもどこか機械的、常識的である。
しかしそれは著者が意図して極力客観的な描写に徹していたわけではないようにみえる。
これは判断を我々に委ねる態度ということなのかもしれないが、
この酷い状況の中感情を露わにしない看護婦たちもまた我々から遠い存在に見える。
結果として、一体なぜその時になって看護婦が反抗を始めたのかもよくわからない。
どこか消化不良のままこの話は終わる。


一方で、本書の半分以上を占める生体実験の告発に、おまけのように加えられた8つのエピソード――いずれも小児科に限らない、著者が看護婦として直面した出来事を描いたもの――は、
その心情を率直に書かかれていて興味深い。


例えば「死後の笑い」では、食道癌で入院している患者・春名さんが出てくる。
春名さんは自分に死期が迫っていることを薄々感じていて、
その不安のあまりひっきりなしに看護婦を呼び、助けを求める。
看護婦たちもあまりのしつこさにうんざりしてしまい、
著者もそばにいてほしいという願いを無視してしまうが、
その夜春名さんは亡くなってしまう。
死の夜にまで邪慳にしてしまったことを後悔しながらも、
著者はどこかで解放感を感じ、そのことに慄然とする。


あるいは「優秀な患者」の、子宮癌の小西さん。
この人は逆に、苦痛も何も訴えず、ただ黙って耐えている。
文句一つ言わず病と闘い、そのために「扱いやすい患者」と言われていた。
だがそれは、実家が貧しく、入院費用を出すのが精一杯で、
そのため迷惑をかけないためにじっと耐えていただけだったのだ。
生活保護もよそに迷惑をかけるわけにはいかないと拒否し、
手術もなるべく早めに終わらせていただきたいと相談されていた、
その現実を知り、著者は何も言わないことをいいことに放っておいたことを深く後悔する。


「囲われた命」では、酷い頭痛に苦しむ少女が出てくる。
彼女は耳鼻科で誤った診察をされ、必要のない手術をされた。
小児科は慌てて小児科にまわすように言ったが、耳鼻科は評判を落とすのを恐れて拒否する。
そのまま少女は適切な治療を受けられず、
耳鼻科のリーダーが癌で倒れ引退するどさくさに紛れて小児科に移されるまで、
頭痛に苦しみ続けた。
小児科に移るとすぐに退院でき、感謝の言葉を著者は複雑な思いで聞く。


「詫びながらの死」では、家族に見捨てられた瀕死の患者が、
医師を兄と間違えたことで医師が怒って診察を拒否したらしく、
そのことで興奮状態に陥って亡くなってしまう。
医師に責任を追及したかったが、著者はヒエラルキーが見に染み付いているのか、
何も言うことができなかった。


「とびおり自殺」では、子宮癌の患者がとびおり自殺を図る。
医師たちの手当ても虚しく、患者は「死なせて」とうわ言のように呟きながら息を引き取る。
筆者は患者の抱えていた苦しみに思いを馳せるが、
その一方であれだけ手当てしてやったのに自殺するとは、と、
医師という職業に疑問を持つ同僚たちを眼にしてショックを受ける。


「生命短縮術」では、死の目前に迫った患者に対する措置を巡る対立が描かれる。
パンオピン(麻薬)を打って安らかに死なせるか、
それとも強心剤などにより最後まで治療を続けるか。
医師たちは早く死んだ方が楽だとばかりに、麻薬を打つことを看護婦に求めるが、
その姿勢に疑問を覚えた筆者は抵抗、患者の家族との話し合いの結果治療を続けることに決まる。
結局患者は死亡するが、この話は今でも続く安楽死の問題を端的に提起してみせる。


「演出」は、当直の医師が酒を飲みに出て行った時の急患の話。
不安がる患者と家族に対し、たとえ何もわからなくても、大丈夫、という態度をとらないわけにはいかない。
そのためにありとあらゆる手で時間を稼いで医師の到着を待ち、
医師が酔っていることを悟られないようにしながら治療を行なう。
深夜の嵐のような治療風景が描かれる。
そこに描かれるのは、必死に人を助けようとする看護婦と、
患者を助けることに無頓着な、呑気な医師の姿である。


最後の「深夜勤」は、夜、休む暇もなく患者たちのもとを回る看護婦たちが描かれる。
人手不足のため十分に手が回らず、ある女性が難産の末亡くなってしまい、
その家族に精いっぱい治療したことを感謝されながら、
著者たちはやりきれない思いを隠しきれない。
そのため婦長に現状を訴え、看護婦の増員を要求し、婦長も前向きに検討することを約束し、実際に増員されたが、完全看護制度に移行し、結局手間は減らず、
また医師たちにはあまりでしゃばるなと恫喝されてしまった。
結局のところ問題は解決されないままとなる。


これらはどれも一つにつき10ページ程度であるが(生体実験は117ページである)、
看護婦という立場から見た、様々な医療の現場が記録されている。
そこにあるのは新米医師よりも病院内の様々なことを知っていながら、
医師ほどの力を持たないためにどうにもできない看護婦という立場の人間である。


しかし同時に多少こちらにも脚色めいたものは感じられる。
生体実験にしても4階の立ち入り禁止区域で行なわれているが、
こちらもカロッサの描いたドクトル・ビュルゲルに気持ちを託すというわざとらしいくだりがある。
そこにどうしてもわざとらしさを感じてしまい、
問題が実感として伝わりにくくなってしまっているのではないか、という気がした。


ちなみに「カロッサの描いたドクトル・ビュルゲル」というのは、ハンス・カロッサ著「ドクトル・ビュルゲルの運命」という小説(岩波文庫他)のことである。
心優しい青年医師ビュルゲルが、多くの人々の悩みをまともに自己の良心に引き受けずにはいられないその重荷によって、ついには絶望と破滅にいたるまでの内面的な魂の苦悩を描いて、20世紀初頭の「ヴェルテル」といわれる傑作となった…らしい。
文学全集などにはヘッセとともに収録されている。つまりはそんな作家である。


しかしこの本、現在もよくでている医療問題告発本の先駆的な本といえるのではないかと思うのだが、
言われている問題は、時代が関係しているものを除けば今とあまり変わらない気がする。
進歩がないようにも思えるが、そもそも社会問題というものはそういうものなのかもしれない。


なお、本に合わせて「看護士」の表記は「看護婦」にした。