DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

CLANNADと葵〜徳川三代

まあ多分僕だけだろうけど、
CLANNAD〜AFTER STORY〜」の18話「大地の果て」を観ながら、
僕は2000年のNHK大河ドラマ「葵〜徳川三代」(脚本・ジェームズ三木)を思い出していた。


二代将軍徳川秀忠・お江(おごう)夫妻の間には、家光と忠長の兄弟がいた(長男は早世した)が、
この4人(+春日局)の関係は作中で終始、非常に険悪に描かれていた。


徳川家光は、生まれてすぐに乳母の春日局に預けられたため彼女に異常に懐き、その一方で両親を嫌ったため、秀忠夫妻は弟の忠長を溺愛していた。
このため秀忠とお江の死後は春日局が家光の威光をバックに大奥の実権を握り、
後ろ盾のなくなった忠長は自殺に追い込まれてしまう。
結局彼らは会うたびに反目しあい、一度も和解することはなかった。


まあ何なのかというと、
家光が汐のように親に心を開いたり、春日局が早苗さんのように無欲だったりしていたら、
あの観ていて居た堪れなかった大河ドラマも、CLANNADのような感動的な物語になっていたのだろうかと思った、ということなのだけれど、
逆に言えばCLANNADも、汐が朋也を拒絶したり、早苗さんが渚の忘れ形見である汐を手放したくないと考えたりしたら(それらは人間として十分にありうることだ)、
一体どうなっていたかわかったものではない。
その意味では18話は、ひとえに汐の無限の包容力と早苗さんの不気味な「不可解さ」のおかげで成り立っていたのであって、
育児放棄とか言って責められる前に、あの花畑の中でさえ朋也は何一つ意味のあることはしていないのだ。
秀忠にしても、最期には涙ながらに兄弟の和解を訴えていたが、結局果たされなかった。
ずっと忘れていたが、僕はそのことがとても哀しかったのである。
なぜかそんなことをふと思い出した。



いや、もちろん――かどうかはともかく――18話を観て泣いたことは泣いたんだが、
僕が泣いたのは花畑じゃなくて電車のシーン、渚の思い出を語ろうとした朋也が、初めて渚の死を実感して涙を流すシーンであった。
ああいういわば「喪失の哀しみ」、というのに僕は弱いのである。
そういう意味では僕にとっては、第一期の風子の消滅のほうがよほどぐっと来たのであった。