DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

トマス・H・クックの『夏草の記憶』(文春文庫)を読んだ。道尾秀介絶賛とか、クックの作品中最も後味が悪いとか脅されて覚悟して読んだものの、読み終えてのショックはそれほどではなかった。むしろ、明らかにこれを参考にしている道尾の『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫)の方がその完成度において遥かに勝っている。最初は『夏草』が人種問題を重要な要素としているせいかとも思ったが、よく考えるとそうではない。

夏草の記憶 (文春文庫)

夏草の記憶 (文春文庫)

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

この二作品は物語の背後に共通の核を持っている。それは、「ある行動が招いた取り返しのつかない悲劇」である。しかし、その「行動」は、クックの場合は悪意、道尾の場合は善意に基づくという点で大きく異なる。『夏草』の場合は、初々しい青春の風景が、隠された醜い部分が露わになっていくことで一変して惨劇に発展していくが、『向日葵』は、悲劇の原因が親子の間の確かな愛情であり、よりショックが大きかった。悲劇的要素を積み重ねていった果てに成立する悲劇より、幸せそのものの風景が一瞬にして悲劇に転じる方が読者が受ける衝撃は大きいだろうが、しかしこれだけ上手くはまった例は稀有だろう。また悲劇を経て、『夏草』の主人公が最終的には未来へと歩もうとするのに対し、『向日葵』においては、主人公は救われるものの、同時にその未来は絶望的に閉ざされているという点で、その悲劇は徹底されている。『向日葵』を読み終えたときに思ったが、このテーマでこれに勝る作品は今後登場しないのではないか。同作者の『ラットマン』(光文社)でさえも、『向日葵』に比べれば物足りないものと思えた。
あと『夏草の記憶』への疑問として(ネタバレ)、
これだとエディなりトッドなりから真相が判明していたんじゃないかと思うのだが、なぜ30年以上もバレないままだったのかがよくわからない。その点、この物語で一番謎なのはその後成功したらしいエディである。あとケリーが廃人同様になったにせよ生きていたのなら、彼女のその後の人生は彼らとどう関わっていたのかも説明は必要だったと思う。あたかもその後30年以上何もなかったというのは無理がある。物語の構成上書くことができなかったのはわかるけれど。