DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

吉川英治の『私本太平記』(講談社吉川英治歴史時代文庫)を読んでいる。
とりあえず今2巻で、日野俊基ら公卿による二度の幕府打倒計画の失敗、後醍醐天皇と皇子たちの京都脱出を経て、いよいよ楠木正成足利尊氏らが挙兵するというところ。
尊氏を起点に手際よく、南北朝時代を彩る人物が現れては消えていき、読んでいて飽きさせない。
しかし足利尊氏は読んでいてどうにもよくわからない人である。
冒頭、執権・北条高時の愛犬を蹴り飛ばすようなとっぴな行動を取って従者をハラハラさせたかと思えば、自分の野望を用心深く隠して弟の直義にも本心を明かさなかったり(しかし弟も従者もすでに全部知っていたり)、佐々木道誉北条高時の悪ふざけに翻弄されたり、一夜の過ちから隠し子ができて困ってしまったりと、用心深いのか豪快なのか、頭がいいのか悪いのか、輪郭がはっきりしない。
そういった描き方は尊氏のみにとどまらない。
朝廷内部から反乱を起こそうとした日野俊基は、腐敗した朝廷には珍しい優れた人物として登場したのに、大した戦果もあげないうちに反乱計画が発覚してあえなく処刑されてしまう。また、尊氏の弟の直義も冷静な性格といわれながら、囚われの兄を助けようと無謀にも単身敵陣に乗り込んで騒ぎを起こしてしまう。
誰もが曖昧な、言い換えれば二面性を持つキャラとして描かれている。
二面性といえば、これから表舞台に出てくる佐々木道誉などその最たるものだし、
おそらく意図的にそうした描写をして、転変めまぐるしい南北朝時代の混沌を描こうとしたものだろうか。
ではそんな中で唯一、徹底した平和主義者として描かれる楠木正成は何なのだろう。


ちなみにこういった二面性は自然描写にまで及んでいて、それが吉川版『太平記』の魅力になっていると思う。
時は南北朝時代、都を少しでも離れればそこにはまだ、手つかずの川や野や森が広がっている。
裕福な貴族たちは、都市の中に閉じこもって暮らしている。そこは停滞した空間である。対して、この時代を代表する存在である「悪党」は、自然の中で定住せず、流動しながら暮らしている。後醍醐帝たちが幕府に反抗して都から自然へ出て行ったのは、自分たちを取り巻く状況に変化を求めたがためである。
初登場時に楠木正成が日照りで悩んでいたように、自然は容赦なく人間に死をもたらすが、同時に敵から逃げるときには、追っ手からの隠れ家にもなる。
(実際、日野俊基は、山や野を幕府の捜索隊を巧みに撒いて逃げつづけながら、都に入るなりあっさり捕まってしまった。)
荒々しい自然とその中で生きようとするたくましい人々という構図から、都市vs自然の対立軸への移行、そんな歴史上の転換点が『私本太平記』では描かれていると言えようか。


しかし現時点では尊氏と直義の兄弟が仲がよすぎて、今後対立することになるのだと思うと読んでいて辛い。

私本太平記(一) (吉川英治歴史時代文庫)

私本太平記(一) (吉川英治歴史時代文庫)