DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

柳沢玄一郎『軍医戦記 生と死のニューギニア戦』A、柴田錬三郎『異説幕末伝』B

【最近読んだ本】

柳沢玄一郎『軍医戦記 生と死のニューギニア戦』(光人社NF文庫、2003年、単行本1979年)A

 軍医戦記――というから、野戦病院で働いた記録なのかと思ったら、工兵部隊として破竹の勢いのシンガポール攻略から一転して地獄のようなニューギニア戦まで参加して、そのつど負傷者がでたら治療にまわるという、よく生き延びられたというレベルの歴戦の勇士である。最後の方では、

「高級軍医、敵機がきました」

「あの爆音はね、ここに爆弾をおとす飛び方の音ではない。心配無用!」

 戦歴の勘だ。

「軍医といえば、後方の安全な場所で安穏としているものと思うだろう。だが、戦闘兵科部隊付軍医はそんなものではない。人一倍の体力と精神力、そして勘が必要なのだ。かずかずの死地にのぞんだ戦闘の体験がいうのだ。今ごろになって、こんなところに連れられてきた君たちが気の毒に思うよ」

 そういいながら、碁盤の上に、静かに、石をおいた。(pp.211-212)

 などと、やや格好をつけた、本書の内容を集約したような述懐がある。

 面白いのは、軍医であるからか妙に記録が詳細で、何日にどこにいて、他の部隊がどこへ行き、兵力は何人、というようなことが、地図もつけてこまごまと書いてある。かといって単調な記録の羅列におちいらず、シンガポール陥落時のイギリス兵の混乱や、現地の住民との交流、途中で小さなサルを拾ってずっと連れていたエピソードなど面白いし、山下奉文も少し登場して、一介の兵にまで気を配る好人物として描かれている。軍医としても、凄惨な治療風景もあれば、あわてて駆けつけたら顎がはずれただけだったという笑い話もあり、サービスも十分で、かなり書きなれているように見える。

 ただ、大局的な戦況は他の本を読まないとよくわからないところもあるし、イギリス軍の暴虐を批判するのに対して自軍への批判は甘いように思われる(敗色が濃くなると、だんだん現地人や非戦闘員とのかかわりが書かれなくなり、現地の畑から食物を獲得し、などとそっけなく済まされたりする)あたり、注意は必要そうである。また、地図があるのは良いが、地名の間違いが多い(一枚目の地図の「タルアン」は本文中では「クルアン」となっているし、ポート・モレスビーが本文中で「ポート・モスビレー」になっている箇所もあった(p.115))。

 とはいえ、山下奉文の独壇場として知られる戦場の、一介の部隊員からの貴重な記録であることは間違いないと思う。

 

柴田錬三郎『異説幕末伝』(講談社文庫、1998年、単行本1968年)B

 もとは『柴錬立川文庫 日本男子物語』として出たのを改題したもの。確かに日本男子物語だと手に取る人は少ないだろう。私だって敬遠する。

 連載した1967年の当時で70歳を確実に超えるというから、明治時代を実際に見てきたと言いたいのであろう老人・等々呂木神仙を語り手に、作者が幕末明治の反逆者の真実を拝聴する――という筋で、彰義隊、白虎隊、天狗党五稜郭桜田門天誅組など、時の権力に反乱を起こしてあえなく消えていった人々を題材に、歴史上賞賛されている者の裏面や、逆に貶められている者の内実といったものを明かしてみせる。

 しかしそう意外なことがあるわけではない。井伊直弼はすでに死ぬ気でいて、水戸藩士の襲撃も隠密の報告で知っており、彼らが襲い掛かったときはすでに服毒自殺していたのだ!などと言われても、ひねりすぎて面白くはない。等々呂木神仙も、別に実際に彼らの活躍を目の当たりにしたわけではなく、のちの歴史学の成果を踏まえたかのごとく、フカン的に歴史を語ってみせる。もちろん柴田錬三郎の名調子でわかりやすいものの、それ以上ではない。

 ただ、最近『青天を衝け』でにわかに存在を意識するようになった渋沢成一郎が、彰義隊の話で主人公格であったところは面白い。ここでの彼は、最初は彰義隊のリーダーとして、慶喜を擁して日光を拠点に政府への反逆を主張する。これは、江戸にとどまることにこだわる者たちの反対で挫折するが、彼はいちはやく脱隊して、榎本艦隊に加わって五稜郭に立てこもる。その際、混乱に乗じて大阪城から軍資金を持ちだし、五稜郭を脱出したあとは商売の資金にするなど、したたかな人間として描かれている。博徒たちとも独自のつながりがあり、資金を運ぶときはそのネットワークで無事に運びおおせるなど、成一郎本人はいちども負けを味わっていない。

 『青天を衝け』では、どうしても栄一に一歩遅れをとってついていくような描かれ方になってしまっているが、やや過大とはいえこうした描かれ方をみると、幕府のなかでの成一郎の存在の大きさについてもっと知りたくなってくる。