DEEP FOREST/幻影の構成

読書記録。週2冊更新。A:とても面白い B:面白い or ふつう C:つまらない D:読むのが有害

【最近読んだ本】


森真沙子『転校生』(角川ホラー文庫、1993年) B
 一編ごとに異なる高校を舞台とするホラー短篇集。転校生という外部の視点から、学校内の些細な違和感――古い言い伝えや行動のおかしな生徒など――が発見され、その正体をさぐる内に意外な真相が明るみにでる、という、お手本として書かれたかのような正統ホラーである。伝言ダイヤルやボート転覆事件など、多少時代を感じる、当時はホットだったのであろう話題を取り込んでいるのも(発行当時に読めば)上手い。
 書き下ろしで、主人公の名前が全部同じなので、主人公だけは同一人物なのだと思われる。しかし各話につながりが全く見いだせないので、転向する先々で大事件に遭遇している主人公の全体像が見えてこないのが難点。また、大人たちが基本的に矮小な存在として描かれているばかりで、青春小説としてみると不満。個人的には主人公が子どもの世界を破って広い大人の世界を知る、というのが、青春小説の重要な要素であると思うのである。それまで世界のすべてだと思っていたものが、実はちっぽけな箱庭に過ぎなかったことに気づく、その落差こそが、青春小説に不可欠な要素なのだ。



石坂洋次郎『あいつと私』(新潮文庫、1967年) B
 この時代の風俗の資料……というよりは、この時代に若者たちが目指した社会のある種の理想像を描き出している、といえようか。主人公の大学生ふたりの恋愛模様はそれほど重要ではなく、主眼は彼らを通して彼らの家族や友人たちの「破天荒」さを描くことにある。主人公が個性豊かな四人姉妹の長女で毎日にぎやかだったり、恋人の方の母親はテレビにも出る有名美容師で奔放な生活が話題になっていたりと、今となっては定番ではあるが。
 先日皆川博子を読んだら、終戦後の社会の変化を、

 女は早く結婚して子供を産めというのが時代の常識であったが、自由とか平等とかいう言葉が――その実態がなんだか訳のわからないまま――絶対的な価値を持ち始め、戦前に美徳とされたことはすべて<封建的>の一言で否定され、権力はあっても権威はなくなった(少女外道)

 と書いていたが、本書はまさにその評言があてはまる。作中、確かに男女は対等な関係のもと、時には大学の講義の時間にセックスについてためらいなく語り合うし、気に入らない男がいたら女の子がみんなでとっちめてしまうし、プールに落とされた青年は着替えがないのでスカートを借りて穿いたりする。タイトルはもちろん、女の子が男の子を「あいつ」と呼んだりする「過激」さを端的に示している。
 しかしこの男女対等は、あくまで見せかけのものである。作中、安保闘争の真夜中のデモに参加した女子学生が、信頼し尊敬していた仲間に酔わされて強姦されるという「大事件」が起こるのだが、この件は別にクライマックスというわけではなく、他の事件と平等に流されてしまう。そして平松幹夫の解説を読むと、この事件に対する石坂洋次郎自身の言として、

 男の烈しい信念に牽かれて女が犠牲になる。こういうケースは、宗教や政治の烈しい運動が行われている時代には珍しくないことだと思う。……そして、結局の責任はそういう頭の弱い女性自身にあるのだろうが……

 が引かれていて、これを平松は「若い人に対する作者の愛情と教訓」と評しているのには、本音があまりにもストレートに述べられていて恐怖すら感じてしまう。結局のところ男女は対等になったのではなく、これから女性の側が努力して対等に「なっていく」のだと慈愛をもって見つめている――というのが、少なくともこの時点での石坂洋次郎の見解であり、限界であったといえる。
 作品自体は、他の石坂作品同様、全体に明朗快活な雰囲気で読ませる。東宝で映画化もされたようだが未確認。


大下英治『総理戦争 上・下』(新風舎文庫、2006年)B
 田中角栄小泉純一郎まで、それぞれが総理になった経緯とやめた顛末を描くノンフィクション・ノベル。基本的に就任と辞任の前後を中心に描いているので、流し読みしていると、みんな総理になったと思ったらすぐにやめていくようで索漠とした印象を残す。
 首相人脈の角栄派から竹下派への移行、その分裂、今までの体制を覆す存在としての小泉の登場という見取り図があとがきで述べられていて、最初に読むと非常にわかりやすい。これは冒頭に置くべきだろう。
 宇野宗佑が教養豊かな文人宰相として実は当時は非常に期待されていたとか、後世の評価しか知らない人間には当時の雰囲気を知ることができて勉強になる。あと、妙に森喜朗がカッコいい。

 やりとりを一時間ほどつづけた。会談の予定時間は、とっくに過ぎていた。
 プーチン大統領は、最後にいった。
「少し考えてみたい」
 森首相は、しんみりとした口調でいった。
「ウラジミール、じつは、わたしは帰国したら総理を辞めることになるとおもう」
 プーチン大統領は、エッという表情になった。
「まだ、だれにもいってないが、おそらくそうなるとおもう。いま、あなたと大事な話をしていて、ひと月もたたないうちに辞めたというのでは、あなたに失礼になるから、自分の気持ちだけ伝える。日本では、まだだれにもいってないから、そのつもりでいてほしい」
 プーチン大統領は、寂しそうな顔でいった。
「ヨシ、この問題は、わたしとあなたでやりたいんだ」
 森首相は答えた。
「わかっている。本当にすまない。だけど、日本の政治の状況だから仕方がない。しかし、退陣しても、この問題はやるから。だれが総理になっても、しっかり支える。ウラジミールも、そのことは承知しておいてくれ」
「ヨシ、わかった。しかし、本当に残念だ」
(pp.370-371)

"Who are you?" "I'm Hillary's husband." "Oh, me too." などという話が信じられてしまうような人とは大違いである。