西村京太郎『十津川警部の休日』B、熊谷徹『なぜメルケルは「転向」したのか』B
【最近読んだ本】
西村京太郎『十津川警部の休日』(徳間文庫、2005年、単行本2003年)B
実は西村京太郎を初めて読んだのだが、意外に面白いし、読みやすい。
ただし文体は
十津川が組み伏せた相手は、突然、泣き出した。
十津川は、相手を放して、立ち上った。
もう、相手は、逃げようとしなかった。
十津川と、小沼は、顔を、見合わせて、溜息をついた。
小沼が、しゃがみ込んで、中田の肩に手をかけた。
「今度は、おれが、お前の弁護を、引き受けるよ」
と、小沼が、いった。(p.257)
みたいに読点が多い異様なもので、なんだか知らないがいちいち目につく。ネットで見てもこの点は不評らしい。
十津川警部というのはどんな人か。赤川次郎『三毛猫ホームズ』シリーズの主人公・片山義太郎は、「血と女性に弱い頼りない刑事」というキャラが繰り返し描かれるが、十津川警部は特にそういう欠点は見られない。あまり感情をあらわにすることもないようである。だからといって没個性的なのかというとそうでもなく、吉川英治小説の主人公――劉備玄徳や足利尊氏、源頼朝のような、やや茫漠とした「好青年」的なキャラクターである。
たとえば本書には、長年の友人が殺人犯らしいと判明する意外に重い話がある。十津川警部は最初はそれをなんとか否定しようとするのだが、いよいよ間違いなさそうとなると、潔く同僚に事情を明かして、一転して友人を冷静に追いつめていく。義理や友情には篤いが、だからといってそれに流されて事態を悪化させることもない。なるほど、これは読んでいて安心できると思った。
巻末には西村京太郎作品リストというものがついているが、2005年のもので、なにしろその後死去までに600冊近く出しているのでなんの役にも立たないのであった。
熊谷徹『なぜメルケルは「転向」したのか』(日経BP社、2012年)B
表紙には、アニメキャラ然と描かれたメルケル。
だからこれは当時現役の首相だったメルケルの評伝――と思いきや、メルケルがメインの話は1章で終わり、緑の党をはじめ反原発派が国政に食い込んで原発の完全停止を実現するまでの40年に及ぶ原発政策史――と見せかけて、結局のところ、著者のドイツ人観をメルケルや原発にあてはめて延々と持論を語る本である。
いわく、ドイツ人は「世界で最もリスク意識が高い民族」(p.203)である。どれだけ原発に安全策を講じようとも、リスクがあると見れば迷いなく廃炉に踏み切る。それがリスクをゼロにできない原発の完全停止をもたらしたのだと。
とはいえかつてはドイツも原発をなんとか存続させようとしていた。古くはブロッホすら、原発に期待する文章を残している。それが一応は、2000年には一基の原発を稼働して32年で停止すると決定した。だがこれとて、原発を停止した期間は年数には含まれないことになっていたりと、抜け道は多い。さらに、メルケル政権下でも代替エネルギーが十分に確保できるまでは原発を停止しないことにしたりと、あの手この手で延命を図っていた。それが3・11に接するや、その4か月後には、日本以上の鋭敏さで2022年の原発の完全廃止を決定した。調査委員会は、リスクはあるものの十分存続可能であると結論していたにもかかわらず、である。
日本の現状をみたら信じられないほどの英断ではあるものの、それを、リスク感覚の鋭敏なドイツとそうでない日本の国民性ひとつで押し切るのはさすがに無理がある。理系出身者のメルケルの判断と、それを実現するドイツの政体、緑の党などエコロジーを主要な政策に掲げる政党の存在、そして福島以上にチェルノブイリを間近で経験した過去など、国民性だけでなく複雑な要因がからみあっての決断であるはずだ。それを過度に単純化してしまっているように思える。
明快ではあるものの、色々と疑問の残る本であった。